魔女見習いと影の獣
 元老院。ぽつりと反芻したリアは、暫し記憶を遡る。だがすぐには詳細が思い出せず、あえなく彼女はエドウィンに助けを求めた。

「元老院って何だっけ、エドウィン」
「共和国の政治機関ですよ。べドナーシュには国王がいませんから、彼らが国政を担うんです」
「へー……」

 続けてエドウィンは元老院が貴族から構成される機関で、平民によって構成された代議院と議論をしながら、公平な政策を練るよう体制が整えられているとも説明してくれた。
 エルヴァスティを含む多くの国々が君主制を採用する中で、べドナーシュの政治体制が特殊であることだけは知っていたが──ひとつの神に依存せず、個々の信条で行動するべドナーシュ人らしさに溢れた体制だとリアは納得する。
 そしてノルベルトは、そんな共和国の中核で政を行う一人というわけだ。

「そんなに賢い人なのに図書館で女の人といちゃついてたの?」
「おうおう黙れ黙れ、ありゃ情報収集の一環だ」

 すかさずリアの発言を食い気味に制止したノルベルトだったが、しっかり聞き捉えたエドウィンが密かに眉間を押さえてしまっていた。
 珍妙な空気を変えるべく大袈裟に咳払いをして、ノルベルトはその大きな手のひらをリアに向ける。

「お嬢さんの名前は?」
「オーレリアよ。ノルベルト……様?」
「今更畏まったところで俺を破廉恥呼ばわりした過去は消せないが」
「別にそこは訂正する気ないけど……」
「聞こえてるぞ」

 ぼそっと呟いてしまった本音を笑って誤魔化したリアは、彼の手を握っては上下に振っておく。
 そうして立ちっぱなしだったエドウィンを石垣に座らせつつ、リアもその隣に腰を下ろしたところで、ようやく本題を切り出した。

「それで、何を聞きたいの? あなたの知人って言ってたわよね」
「ああ。……そいつが今どこにいるのか知りたい」
「え」

 失せ人捜しなど出来るだろうかと、リアは途端に険しい顔をしてしまう。彼女の困惑顔を見てか、ノルベルトは少しばかりの諦めを滲ませながらも、知人に関する詳しい話を始めた。

「親友とでも言っておくか。奴がある日突然消えちまってな。最初は家出かと思ったんだが、実家には荷物が全て置かれたままだった」
「……事故に遭ったとかは?」
「付近の危険な谷やら河川を調べてみたが、それらしい死体はなかったな。何より……」

 ──その親友が家を出て行く姿を、誰も目撃していない。
 近隣の住人はおろか、同居している家族すら彼が出て行ったことに気が付かなかったという。更に奇妙なことに、彼は家族と朝の挨拶をした後、昼食時には既に姿を消してしまっていた。
 わずか半日未満の間に忽然と行方をくらませた友人は、今もなおノルベルトの前に現れることなく。

「それは……いつ頃の話なのですか?」
「二年ほど前だ。家族もすっかり窶れちまってるよ」

 エドウィンの神妙な問いかけに、ノルベルトは溜息交じりにそう答えた。
 二人の間でじっと俯いていたリアは、右手の親指と人差し指を擦り合わせながら、ふと質問を口にする。

「その人、どんな人だった?」
「ん?」
「毎日欠かさずやってる習慣とかなかった?」

 ノルベルトは怪訝そうに眉を顰めながらも、友人の姿を思い描くように顎を摩った。

「……お人好しだったな。あいつの家は豊穣の女神クロリスを信仰してたから、ガキの頃から毎朝花の世話を……」
「じゃあそのクロリスの発祥地はどこ? 神話の舞台とか」
「べドナーシュの南方にある樹海だが……おい、これは何の確認だ?」
「多分そこにいるのかも、あなたの親友」

 隣で彼が絶句したのが分かった。
 リアは気まずさを感じつつ頬を掻き、過去に師匠から聞いた話を静かに語る。

「今の話、精霊の誘惑によく似てるの」
「誘惑……?」
「精霊が気に入った人間を誘き寄せて、自分の眷属にしてしまうそうよ」

 信仰する神的存在への祈りや祭壇の掃除を欠かさず、各々の象徴とされる物や場所に深く関わった人間は、まれに信仰対象から愛されてしまうことがあるという。
 精霊術師の立場から見れば、ノルベルトの友人は豊穣の女神クロリスに見初められた可能性が高い。優しく、心身ともに清らかな彼のことがいたく気に入ったのだろう。
 ──しかし精霊の愛というのは総じて、人間が想像するようなものではない。

「……精霊に愛された人は二度と戻ってこない。運が良ければ遺品が残る程度だって」

 それは一般的に、「神隠し」と呼ばれる現象だと師匠は言っていた。

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