魔女見習いと影の獣
5.疑いを晴らすには
 ──砕けたジェムストーンが一つ、二つ、三つ。
 ゼルフォード伯爵邸の小ぢんまりとした書斎にて、リアは勢いよく机に突っ伏した。

「ぜ、全然上手く行かない……」

 遡ること数日前、リアとエドウィンは大公宮の国立図書館でキーシンに関する書物を漁ってみたが、大して有益な情報は得られなかった。況してや封鎖されたバザロフの遺跡についてなど何処にも書かれておらず。
 仕方なく、ひとまずはアミュレットの作成に集中しようということで、二人は伯爵邸に戻ったのだが──肝心のアミュレットも完成する兆しが無い。

「全てを還す宥恕(ゆうじょ)(いわお)、遍く命を巡る癒しの清流、大地を巡る導きの翠風、凪に燃ゆる裁きの紅炎、……全員呼ぶとこまでは良いとして、問題はその後よね」

 小声で召喚の呪文を確認しつつ、四つに砕けたジェムストーンを転がす。
 四大精霊──土・水・風・火は世界を構成する要素でもあり、互いが引き合い呼応することで理の循環を促しているとされている。そのため基本的に自然界でこれらがぶつかり合うことはないのだが、精霊術師によって集められた場合はそれに該当しない。
 力を注ぐ器であるジェムストーンに彼らが後先考えず一挙に集合することで、その意図はなくとも自ずと衝突してしまうのだ。本来なら精霊術師が出力の仕方を上手く調整してやらねばならないのだが──勢いよく弾けた四つの力は見事にジェムストーンを均等に砕けさせ、当の精霊は「すまんな」とリアの髪だけ食って消える。
 勿論、その石クズにアミュレットとしての機能は備わっていない。

「もう三回も食い逃げを許してしまったわ……」

 げんなりと呟いたリアは、一旦休憩をしようと椅子から立ち上がった。
 これが師匠や大巫女なら簡単にアミュレットを作ってしまえるのだろうと思うと、何ともやるせない。盛大な溜息を辛うじて途中で堰き止める。
 書斎を出て、当てもなく屋敷の中を歩く。静かな廊下に射し込む眩しい光に、リアは目を眇めつつ思考を動かした。
 ここ数日は四大精霊のアミュレットを作ることばかり考えていたが、その傍ら、少し気がかりなことがリアの頭の隅で燻っていた。
 ──それは先日、ノルベルトから聞いた親友の話だ。
 豊穣の女神クロリスに見初められ、忽然と姿を消してしまった青年。彼は精霊の誘惑と称される稀有な現象に巻き込まれ、己の意思とは関係なしに命を、その肉体ごと捧げることになった。
 今頃ノルベルトは消えた友人の痕跡を拾うべく、件の樹海へ向かったことだろう。遺品の一つでも残っていれば良し、何もなくとも別れの言葉を告げる場としては相応しい。

「……彼は毎日花の世話をして、クロリスへの祈りを欠かさず……ある日、一瞬で消えてしまった」

 どんな精霊であっても、属性が違おうとも、精霊の誘惑というのは総じて同じ過程を経ると師匠は言っていた。精霊が愛するのは規律を重んじ、他者への愛にあふれた心優しい人間。精霊は彼らを日頃から見守り、「欲しい」と思った瞬間、そっと神域の内側に連れ去ってしまうのだと。
 そして──精霊の誘惑とは全く逆の現象に苛まれているのが、エドウィンだ。

「エドウィンは戦場で血を見続けて、徐々に獣になっていって……最後はきっと」

 自らどこかへ消えてしまう。
 それを声にするのがとても恐ろしくて、リアは思わず口元を押さえる。胸中にじわりと広がった冷たい恐怖に、自分で驚いてしまった。
 足を止め、嵌め殺しの窓から庭園を見下ろすと、グレンダと庭師の男が親しげに話す姿があった。少し視線を移動させれば、メイドが大きなシーツを抱えて洗濯場へ向かう。窓枠の外へ消えた背を追い、リアは廊下の先を見遣った。

「……リア?」

 ちょうど曲がり角から現れたのは、今しがた思い浮かべていた藍白の髪。光の向こう、おぼろげに霞む姿が、リアの胸の奥を強烈に締め上げる。

「どうしたのですか、顔色が……」

 幾重の光をくぐり、はっきりと彼の顔が見える距離に至った瞬間、リアは大きく目を見開いた。

「──エドウィン!」
「うわっ」
「精霊だわ、あなたのことを欲しがってるのは精霊よ! ()()は呪いなんかじゃない!」

 呆けているエドウィンの胸元を掴みながら訴えれば、菫色の瞳が動揺を露わに揺れる。
 そうだ、何故気付かなかったのだろう。精霊のアミュレットで対抗が可能ならば、呪いはこの世界の理に則った代物であるはず。加えて彼の呪いと精霊の誘惑には、奇妙なほど対照的な点が多くあった。
 四大精霊はどれも光を伴う属性であることから、誘惑をするのは決まって日の昇っている時間だという。つまり朝、陽光の下で人間を攫い、その希望と慈愛に満ちた心身を喰らうのだ。
 対してエドウィンは決まって日が落ちる頃に影の獣へと変化し、執拗に襲い来る頭痛と眩暈によって意識を奪われそうになっている。きっと呪いの主はそれを繰り返すことで彼の希望を失わせ──絶望に染まった彼の魂を喰らうつもりだ。

「ノルベルトの話を聞いて思ったの。それもきっと精霊の誘惑の一種なんだわ」
「……これが精霊の……? ですが先日聞いた話とは随分違うような」
「ええ。確かに正反対だけど、それなら大公家の人たちが狙われる理由も分かるの。本来、誘惑を受けた人の家族や血縁者は精霊に守られるけど、そいつは違うわ。性質が真逆だから──ずっとあなたの血筋を喰らおうとする」

 そしてその呪いに対抗するには、全ての精霊の力を込めたアミュレットが必要だ。それが意味するところはすなわち。

「あなたたちを……大公家の人間を見初めたのは、影の精霊。……光と対を為す、闇に属する精霊、かもしれない」

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