魔女見習いと影の獣
開口一番に唾を飛ばして叫んだのは、白いミトラを頭に被った男──西方教会に属しているであろう司教だった。その後ろにはあろうことか武装したままの教会騎士が控えており、アズライト宮の兵士が必死に彼らを押し留めている最中だ。
「ムイヤール司教様、どうか正式な手続きをお願いいたします。こちらはセシル公子殿下の宮でございますゆえ……!」
「ええい、黙らんか。事は急を要するのだ! はようゼルフォード伯爵を連れて来んか!!」
全く話が通じない様に、その場に居合わせてしまった者たちは辟易する。何故か騒ぎの渦中に立たされているエドウィンも同様にして仰け反ってしまったが、これは早めに出向いた方がよいかもしれない。
ムイヤールというのは確か、以前トラヴィスが言っていた些か過激な信徒だろう。エルヴァスティを魔物の巣窟だとか、邪教徒の国だとか、とにかく好き放題に言っている男だ。五年ほど戦場にいたエドウィンは面識がなかったが、なるほど確かに──トラヴィスが鬱陶しそうな顔をするわけである。
「相変わらず図々しいな……エドウィン、セシル様の部屋にいろ。取り合う必要はない」
「しかしあのまま騒がせておくわけにも……」
「どうせ戦場から戻ったお前に難癖を付けに来たに決まっている。構うだけ無駄だろう」
トラヴィスの投げやりな言葉に、つい先日難癖を付けられたエドウィンは複雑な表情で頷く。そのとき彼は、ムイヤールの後ろでおろおろと縮こまっている人影を見つけては首を傾げた。
──ワイアット公爵家のブレントンだ。
以前の威勢の良さは鳴りを潜め、困り果てた様子で司教を宥めようとするも、弱々しい声は全く届いていないようだ。一体どうして彼らが共にいるのかという疑問は、しかしてすぐさま当人によって明かされることとなる。
「──ブレントン殿が証言したのだ! ゼルフォード伯爵が怪しげな魔女と行動を共にしているとな!」
母の次はリアを槍玉にあげる気かと、エドウィンは菫色の瞳に怒りを滲ませる。舌打ちまじりに階段を下りた彼は、恐れおののく兵士の間を大股に進み、今もなお喚き散らすムイヤールの元へ向かった。
「ムイヤール司教、今の発言はどういうことでしょうか」
「やっと出てきよったか、背教者め」
司教はエドウィンの姿を頭から爪先まで無遠慮に眺めては、不満げかつ納得したような笑みを浮かべる。
「ふむ、まさしく悪魔をも魅了する男だな。魔女と密会をしているとは真か?」
「そのような事実はありません。ブレントン殿が仰っているのは、伯爵邸に滞在している薬師殿のことでは?」
「そ、そう、薬師だそうです司教殿、私の早合点だったので、どうかここはお引き取りを……」
すかさずブレントンが震えた声で同調してきた。
きっとまた軽い気持ちでリアのことを魔女だ何だと喚いたのが、タイミング悪く司教の耳に入ってしまったのだろう。しかもそれが過激な思想の持ち主としてもっぱら有名なムイヤールだったため、大慌てで火消しに回ったのだろうが──全く上手く行っていないようだ。叱責を恐れるような怯えきった顔が、そんな幼稚な経緯を雄弁に物語っていた。
エドウィンから鋭く睨み付けられたブレントンが再び委縮したところで、二人の言葉を聞いた司教が呆れたようにかぶりを振る。
「だがその者が魔女でない証拠はなかろう? 善神の徒である我らが検めなければなぁ……?」
「な……っ」
ぞっと背筋が凍り付き、エドウィンは息を呑む。
「拷問に掛けるとでも仰るのか!?」
「おやおや人聞きの悪い……。大公家の血縁に不審死が頻発していること、まさか知らぬとは言うまい? あれぞ悪魔と契りを交わした魔女の仕業だと、まことしやかに囁かれておるではないか! 私はその証拠を掴むべく派遣されたのだ、潔く薬師を引き渡せばよし、さもなくば──」
ムイヤールがおもむろに右手を挙げた直後、それまでじっと控えていた教会騎士がエドウィンの両腕を後ろへ捻り上げる。通常であれば痛みに崩れ落ちるところを、エドウィンは険しい表情のまま動かない。
激しい怒りを湛える菫色の双眸に心なしか怯えを露わにした司教は、それでも自身の信じる善神の威光を背に、堂々言い放ったのだった。
「魔女を庇い立てた罪人として、貴殿を罰するまでよ!」
「待て、ムイヤール司教!」
階上から広間に響いたのは、騒然とする人々の声を掻き消すほどの高く澄んだ玉音。皆の視線が一斉に向けられた先、堂々たる足取りで階段を下りてきたのはセシルだった。
護衛騎士のトラヴィスを伴って現れた若き公子に、皆がすぐさま道を空けて頭を垂れる。
「あろうことか私の宮で、大公家の親戚たるゼルフォード伯爵を拘束するなど……大公殿下に、いや皇帝陛下にもご報告せねばならないな。西方教会の世間知らずが、無作法にも私の宮で騒ぎを起こしたと!」
わずか十歳とは思えぬほど毅然とした態度に、不意を食った司教がたじろぐ。しかし大見得を切った手前、引き下がれなくなったムイヤールは強気の姿勢を崩さなかった。
「お言葉ですが公子殿下、善神イーリルの元で戦った由緒あるガーランド皇室の血に、本来は悪魔の影などあってはならないのです。初代大公の怪死が追及されていないのは、征服戦争での功績を鑑みて聖下が恩情をお与えになっただけ。どうもそのことを大公家は忘れていらっしゃるようだ」
故人を貶めるような発言に、セシルが不愉快そうに眉を顰める。
だがムイヤールの言葉が半分ほど当たっているのも確かだ。魔女狩り以降、初代大公ハーヴェイの死について教会が深く追及できていないのは、ひとえに皇帝と教皇の交わした約束が生きているがゆえ。
つまりはその恩情と無関係な者──過去に謎の死を遂げた大公家の人間や、魔女との関わりを疑われているエドウィンには容赦をしない、というのが教会の意向なのだろう。
「公子殿下の宮を踏み荒らしたことは謝罪いたしましょう。その代わり、ゼルフォード伯爵が匿う魔女の素性を明らかにしていただきたい! これは大公家の信頼に関わる問題と認識なさりますよう、くれぐれもご留意くだされ」
善神イーリルの支配する大地には、一点の曇りも許されない。
断罪によって多くの血が流れたとしても、誰かが悲しみに暮れようとも。それは神の世界へ近付くための尊き一歩なのだと、その司教は心の底から信じているようだった。
「ムイヤール司教様、どうか正式な手続きをお願いいたします。こちらはセシル公子殿下の宮でございますゆえ……!」
「ええい、黙らんか。事は急を要するのだ! はようゼルフォード伯爵を連れて来んか!!」
全く話が通じない様に、その場に居合わせてしまった者たちは辟易する。何故か騒ぎの渦中に立たされているエドウィンも同様にして仰け反ってしまったが、これは早めに出向いた方がよいかもしれない。
ムイヤールというのは確か、以前トラヴィスが言っていた些か過激な信徒だろう。エルヴァスティを魔物の巣窟だとか、邪教徒の国だとか、とにかく好き放題に言っている男だ。五年ほど戦場にいたエドウィンは面識がなかったが、なるほど確かに──トラヴィスが鬱陶しそうな顔をするわけである。
「相変わらず図々しいな……エドウィン、セシル様の部屋にいろ。取り合う必要はない」
「しかしあのまま騒がせておくわけにも……」
「どうせ戦場から戻ったお前に難癖を付けに来たに決まっている。構うだけ無駄だろう」
トラヴィスの投げやりな言葉に、つい先日難癖を付けられたエドウィンは複雑な表情で頷く。そのとき彼は、ムイヤールの後ろでおろおろと縮こまっている人影を見つけては首を傾げた。
──ワイアット公爵家のブレントンだ。
以前の威勢の良さは鳴りを潜め、困り果てた様子で司教を宥めようとするも、弱々しい声は全く届いていないようだ。一体どうして彼らが共にいるのかという疑問は、しかしてすぐさま当人によって明かされることとなる。
「──ブレントン殿が証言したのだ! ゼルフォード伯爵が怪しげな魔女と行動を共にしているとな!」
母の次はリアを槍玉にあげる気かと、エドウィンは菫色の瞳に怒りを滲ませる。舌打ちまじりに階段を下りた彼は、恐れおののく兵士の間を大股に進み、今もなお喚き散らすムイヤールの元へ向かった。
「ムイヤール司教、今の発言はどういうことでしょうか」
「やっと出てきよったか、背教者め」
司教はエドウィンの姿を頭から爪先まで無遠慮に眺めては、不満げかつ納得したような笑みを浮かべる。
「ふむ、まさしく悪魔をも魅了する男だな。魔女と密会をしているとは真か?」
「そのような事実はありません。ブレントン殿が仰っているのは、伯爵邸に滞在している薬師殿のことでは?」
「そ、そう、薬師だそうです司教殿、私の早合点だったので、どうかここはお引き取りを……」
すかさずブレントンが震えた声で同調してきた。
きっとまた軽い気持ちでリアのことを魔女だ何だと喚いたのが、タイミング悪く司教の耳に入ってしまったのだろう。しかもそれが過激な思想の持ち主としてもっぱら有名なムイヤールだったため、大慌てで火消しに回ったのだろうが──全く上手く行っていないようだ。叱責を恐れるような怯えきった顔が、そんな幼稚な経緯を雄弁に物語っていた。
エドウィンから鋭く睨み付けられたブレントンが再び委縮したところで、二人の言葉を聞いた司教が呆れたようにかぶりを振る。
「だがその者が魔女でない証拠はなかろう? 善神の徒である我らが検めなければなぁ……?」
「な……っ」
ぞっと背筋が凍り付き、エドウィンは息を呑む。
「拷問に掛けるとでも仰るのか!?」
「おやおや人聞きの悪い……。大公家の血縁に不審死が頻発していること、まさか知らぬとは言うまい? あれぞ悪魔と契りを交わした魔女の仕業だと、まことしやかに囁かれておるではないか! 私はその証拠を掴むべく派遣されたのだ、潔く薬師を引き渡せばよし、さもなくば──」
ムイヤールがおもむろに右手を挙げた直後、それまでじっと控えていた教会騎士がエドウィンの両腕を後ろへ捻り上げる。通常であれば痛みに崩れ落ちるところを、エドウィンは険しい表情のまま動かない。
激しい怒りを湛える菫色の双眸に心なしか怯えを露わにした司教は、それでも自身の信じる善神の威光を背に、堂々言い放ったのだった。
「魔女を庇い立てた罪人として、貴殿を罰するまでよ!」
「待て、ムイヤール司教!」
階上から広間に響いたのは、騒然とする人々の声を掻き消すほどの高く澄んだ玉音。皆の視線が一斉に向けられた先、堂々たる足取りで階段を下りてきたのはセシルだった。
護衛騎士のトラヴィスを伴って現れた若き公子に、皆がすぐさま道を空けて頭を垂れる。
「あろうことか私の宮で、大公家の親戚たるゼルフォード伯爵を拘束するなど……大公殿下に、いや皇帝陛下にもご報告せねばならないな。西方教会の世間知らずが、無作法にも私の宮で騒ぎを起こしたと!」
わずか十歳とは思えぬほど毅然とした態度に、不意を食った司教がたじろぐ。しかし大見得を切った手前、引き下がれなくなったムイヤールは強気の姿勢を崩さなかった。
「お言葉ですが公子殿下、善神イーリルの元で戦った由緒あるガーランド皇室の血に、本来は悪魔の影などあってはならないのです。初代大公の怪死が追及されていないのは、征服戦争での功績を鑑みて聖下が恩情をお与えになっただけ。どうもそのことを大公家は忘れていらっしゃるようだ」
故人を貶めるような発言に、セシルが不愉快そうに眉を顰める。
だがムイヤールの言葉が半分ほど当たっているのも確かだ。魔女狩り以降、初代大公ハーヴェイの死について教会が深く追及できていないのは、ひとえに皇帝と教皇の交わした約束が生きているがゆえ。
つまりはその恩情と無関係な者──過去に謎の死を遂げた大公家の人間や、魔女との関わりを疑われているエドウィンには容赦をしない、というのが教会の意向なのだろう。
「公子殿下の宮を踏み荒らしたことは謝罪いたしましょう。その代わり、ゼルフォード伯爵が匿う魔女の素性を明らかにしていただきたい! これは大公家の信頼に関わる問題と認識なさりますよう、くれぐれもご留意くだされ」
善神イーリルの支配する大地には、一点の曇りも許されない。
断罪によって多くの血が流れたとしても、誰かが悲しみに暮れようとも。それは神の世界へ近付くための尊き一歩なのだと、その司教は心の底から信じているようだった。