魔女見習いと影の獣
 ──冷たい静寂だけが居座る無人の廊下。濃厚な青の絨毯、幾重の斜光が優しく照らすその隙間を、リアとアスランはそうっと走り抜けた。
 微かな衣擦れと踵の音の他、最も騒がしいのは自分の心臓だ。リアはだらだらと冷や汗をかきつつ、迷いのない足取りで進む青年の背を追う。
 結局アスランに手を引かれるがまま、アズライト宮に侵入してしまった。まごうことなき不法侵入。下手をすれば極刑である。今のうちに師匠に遺言を送るべきかと思案していると、不意に鈍い音がリアの耳に届く。

「……? 何ですか今の音」
「ん? これ」

 アスランの前を覗き込んでみると、そこに兵士らしき男が倒れていた。もしかしなくともアスランが殴り倒したのだろう。リアは勝手に新たな罪を重ねてくれた青年に絶句してしまう。

「こ、この、何してやがるんですか」
「よく見なよ。アズライト宮の兵士じゃない」
「え?」

 言われてみれば確かに、大公宮で勤めている兵士とは軽鎧の形が異なっていた。それだけでなく大きな布で不自然に顔を覆っており、公子の宮殿で働く人間にしては少々怪しい出で立ちだ。
 何者だろうかと怪訝に思っていれば、アスランが不審な兵士の顔を確認する。

「……教会騎士かな」
「え……イーリル教会の? 何故またそんな……」

 邪魔臭そうに頭を振った彼は、リアの疑問に答えることなく歩を再開した。口をへの字に曲げつつ、彼女もその後に続く。

「知り合いがどこにいるか分かるの?」
「いや、全く分からないです。今の今まで、アスランさんの後に付いて行けば会わせてくれるのかと思ってたほどです」
「図々しいねお前」

 無断でアズライト宮に侵入して教会の人間を殴った奴に言われたくないと、共犯のリアは渋い顔で頬を掻いた。
 正直な話、アスランさえいなければ精霊術でエドウィンを探すことぐらい出来る。
 エドウィンには既に水の精霊のアミュレットを持たせているため、それが放つ気配を風の精霊に辿ってもらえば良いだけだ。しかしそうなると自分の髪を切って呪文を唱えて、といくつか手順を踏まねばならない。
 ──アスランさん、急に気絶したりしないかな。そしたら精霊呼べるのに。
 ここまで面倒事に付き合わせておいて何と無礼な思考なのだろう。我ながら溜息が出てしまった。

「おい、そこの者! 何をしている!」

 びくっと肩が跳ねる。弾かれるように後ろを振り向けば、向かいの回廊から数人の兵士がこちらを睨んでいた。「そこにいろ」と厳しい声音で告げては、すぐさまリアたちの方へ近付いてくる。

「うわわっ見付かっちゃいましたけど!?」
「あー大変だね。ところで脚力に自信は?」
「は?」

 聞き返す頃には既に、アスランはすたこらと走り出していた。思わずもう一度「は!?」と叫んでしまったリアは床を蹴り、全速力で駆けては彼の隣に食らいつく。

「置いて行かないでくださいよ!!」
「お、脚速いね」
「うるさい! って私、大公宮で走らないってエドウィンに約束したのにーっ!」

 不法侵入した上に自身の野生児っぷりまで晒してしまったとリアが嘆く傍ら、涼しい顔で走っていたアスランが突如として彼女の腰を引き寄せた。「ぐえ」と潰れた声を挙げたのも束の間、そのままリアは横の通路に放り込まれる。
 ごろごろと床に転がり、目を回しつつ体勢を立て直した頃には──既に片がついていた。
 リアたちを追ってきた兵士はアスランによって尽く叩きのめされ、皆一様に呻き声をもらして倒れている。いつの間に奪ったのか、彼は一本の槍を両手で持ち上げてはぐぐっと伸びをする。
 今更だが、この青年──本当に身分ある人間なのだろうか。もしかしてアズライト宮の宝物を狙う盗賊ではなかろうか。そして頃合いが来たら全ての罪を擦り付けられたりしないだろうかと、リアは目の前で行われた躊躇のない迎撃に頬を引き攣らせた。

「お前の知り合い、エドウィンって言うの?」
「え!? そ、そうですけど」
「なら拘束されたのはエドウィン・アストリーか。なるほどね、それを先に言いなよ」
「どういうことですか? お知り合いだったり?」
「んー、まぁ少し……あと──」

 そこでリアの腕を引いて立ち上がらせると、アスランは途切れさせた言葉の続きを告げる。

「公子と仲の良いゼルフォード卿を、いきなり地下牢にぶち込むことは出来ないだろうと思っただけ。西方教会の一司教にそんな力ないからね」
「は、はあ……じゃあどこにいそうですか?」

 そもそも司教が大公宮に来ているということ自体リアは知らなかったが、取り敢えず今は話を進めることにした。
 アスランは器用にも片手で槍をぐるぐる回しながら、嵌め殺しの窓の向こうを見るよう促す。それに従って目を凝らしてみれば、庭園を挟んだ向かい側に大塔が聳えていた。

「あそこかな」
「わあ、これまた立派な……」
「昔はあの塔に国王をたぶらかした寵姫を幽閉したり、魔女の疑いを掛けられた貴族を匿ってたんだよ。だから中はとっても快適」
「居住塔なんですね。めちゃくちゃ豪華な」
「そういうこと」

 リアのいる主塔から少し離れた位置に建てられたそこは、魔女狩りの時代にも頻繁に使用されたそうだ。エドウィンの母であるエスターも、本当ならあそこで嵐が過ぎ去るのを待つ筈だったのだろう。リアが複雑な思いで塔を見詰めていると、隣から欠伸まじりの話が再開される。
 アスラン曰く、西方教会の司教は以前から大公家の周辺を嗅ぎ回っており、その取っ掛かりとしてエドウィンを拘束したのではないかとのこと。アズライト宮の内部を教会騎士が勝手にうろついていることを鑑みても、彼らは大公家で起きている不審死の手がかりを探っているのだろう、と。

「え、不審死って……」
「十七年前から何人かが病で亡くなってるんだとさ。あの司教、それが悪魔とか魔女の仕業だと帝国のあちこちで吹聴しててね」

 それは影の精霊によって引き起こされている失踪事件──大公家の呪いと呼ばれている現象を指しているに違いない。既に司教から目を付けられていたのかとリアが青褪める傍ら、アスランはこうも述べたのだった。

「まぁ案の定あんまり信じてもらえてないどころか、教皇から注意は受けるわ皇帝派からもバッシングを受けるわで、司教の立場も危ういわけだ。だからこそ、ここで何が何でも大公家と魔女を関連付けたい、ってところかな」

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