魔女見習いと影の獣
 バザロフの遺跡の外へ出ると、階段下にサディアス皇太子の姿があった。
 護衛騎士らと共にリアたちの帰還を待っていた彼は、こちらの無事を確かめるや否や溜息をつく。

「そこのおじさん、通して正解だったみたいだね」

 サディアスが指差したのは、言うまでもなく師匠だった。聞けば師匠が遺跡に突入してくる前にひと悶着あったらしく、「オーレリアの保護者だ!」という主張により皇太子が許可を下したとか。さぞ激しい取っ組み合いをしていたのだろうと、リアは疲れた顔をしている師匠を見上げた。
 しかしリアの身を案じて遥々遺跡まで来てくれたことを思うと、つい頬がゆるんでしまう。

「何だお師匠様、やっぱり私のこと大好きぃたたた」
「言いつけを守らなかった馬鹿弟子の尻拭いだ。罰として暫く精霊術の使用は禁止!」
「ええ!?」

 だらしない頬を強めに(つね)られたリアは、しゅんと表情を萎ませた。エドウィンを助けるためとはいえ、師匠の言葉を無視して遺跡に踏み入ったことは事実。おまけに自分もエドウィンも一時は危険な状態に陥ったわけで──当然のことながら弁解の余地などなかった。
 ごめんなさいと小さく謝れば、濡れた頭に暖かな手のひらが押し付けられる。わしゃわしゃと黒髪を掻き混ぜた師匠は、沈んでいるリアのことは一旦置きつつ、エドウィンに視線を移した。

「で、お前だお前。その剣どこで拾ってきた?」
「あ……」

 心配そうにリアを見詰めていたエドウィンは、はたと気付いて自身の右手を見遣る。
 美しい輝きを纏う白き剣を持ち上げ、彼は静寂を取り戻した遺跡を振り返った。

「大広間の奥に祭壇のような場所がありました。そこで……ハーヴェイ様にお会いして、この剣を預かりました」

 師匠はふと瞠目し、動揺を露わにエドウィンの肩を掴む。

「な……彼と話したのか? 自我が残っていたのか!?」
「……! ええ。失礼ですが、貴殿は──ヨアキム殿でいらっしゃいますか」

 ヨアキム・ヴィレン。
 それが師匠の名だが、何故エドウィンが知っているのだろう。リアが不思議に思いつつ首を傾げた直後、大きなくしゃみが出てしまう。ついでに忘れていた寒さが全身を駆け抜ければ、ぽっと暖かな火が視界に浮かぶ。
 師匠が召喚してくれた火の精霊が、リアの体を温めるべく寄り添った。

「ふむ。積もる話がありそうだね。オーレリア嬢も何か寒そうだし、取り敢えず遺跡から離れた方が良いんじゃない?」

 そこで会話を中断させたのはサディアスだ。
 にこやかに提案した皇太子を一瞥し、ヨアキムは溜息交じりに頷いたのだった。


 ▽▽▽


 遺跡を囲う森林から抜け出した一行は、広々とした湖のほとりに待機させていた馬車と合流する。
 護衛騎士らが安全確保のため忙しなく動く間、一人ずぶ濡れのリアを気遣い、エドウィンが上着を貸してくれた。

「リア、その髪……」

 ずっと気になっていたのか、彼は心底残念そうに短くなった黒髪を見詰める。(のこぎり)よろしくナイフで強引に引き切った髪は無残なもので、乱切りと呼ぶに相応しい状態だ。
 リアは湿った毛先を適当に首元へまとめながら苦笑いを浮かべる。

「影の精霊に喰われそうだったから、咄嗟に餌にしちゃってさ。あんまり意味なかったけどぅ」

 リアは努めて明るく振る舞ってみたが、ぎゅうと抱き締められてしまい敢え無く沈黙。服や手が濡れることも厭わずに、エドウィンはしばらく彼女を離さなかった。
 陽を浴びて輝く湖の水面から、ゆっくりと視線を持ち上げていく。詫びるように、悔いるように瞼を閉じている彼の姿を見て、リアは控えめにその背を摩った。

「えっと……ごめんなさい、エドウィン。私やっぱり未熟だったわ。自分の身もちゃんと守れないのに、あなたを助けるなんて大口叩いちゃった」
「リアがいなければ、僕は既に死んでいましたよ。寧ろ──あの剣を手に入れる瞬間まで、リアに頼ることしか出来なかった僕の方が情けない」

 固く閉ざされていた瞼が開き、水面の光を湛えた菫色の瞳が現れる。苛立ちを孕んだ悲痛な眼差しで、彼はリアの髪を両手で撫でつけた。
 鼻先が触れるほどの距離でエドウィンを見詰めていたリアは、ふと、その指が触れている紫水晶(アメジスト)の耳飾りを思い出しては微笑む。

「ううん。エドウィンがくれた耳飾りね、私とお師匠様を守ってくれたのよ。ずっと着けてて良かった」
「これが?」
「そうよ。その後すぐにエドウィンが来てくれて……何だ、じゃあお互い助け合えてたってこと? 落ち込むことないじゃない!」

 あっけらかんと笑ったリアを、エドウィンはとても驚いた様子で凝視し、やがて釣られるように笑みをこぼした。
 先程はヨアキムから叱られて萎んでしまったが、影の精霊の存在に気付いたり、四大精霊のアミュレットを自力で完成させたりと、精霊術師としての成長は確かにあったのだ。
 エドウィンを狙っていた遺跡の精霊も、どうやら彼自身の抵抗を受けて諦めてくれたようだし──何とかこれで、大公家の呪いについては解決できただろうか。

 ──お前など要らない。

 しかしそのとき、遺跡で聞いた低い囁きを思い出し、リアの笑みが剥がれ落ちる。
 あれは影の精霊の声だったのだろうか。それにしては嫌にはっきりと聞こえた上に、人間の言葉を流暢に発音していたのも奇妙だった。
 ──まさか、リアとエドウィン以外の誰かが、あの場にいたのでは?
 不気味な話だが辻褄は合う。遺跡内部に水の精霊があれだけ集まっていたのも、それによってリアの精霊術が相殺されてしまったのも、その人物の仕業かもしれない。
 ──考え過ぎかしら。
 胸中に滲む不安を押し殺し、リアは密かに溜息をついた。

「リア……?」

 そんな彼女の異変に気付いたエドウィンが、そっと顔を覗き込もうとしたとき。

「他人の弟子にくっ付きすぎじゃねぇか? 色男」
「えッ……」

 めりめりと指が食い込むほどの力で彼の肩を掴んだのは、こめかみにうっすらと青筋を浮かべた師匠だった。

< 53 / 156 >

この作品をシェア

pagetop