魔女見習いと影の獣
 バザロフの遺跡の最奥部に打ち捨てられていた一振りの剣。
 一見して普通の剣と変わらないが、その刃は特殊な鉱物──精霊が非常に好むとされる星涙石(せいるいせき)を用いて作られた貴重な武器だという。優れた耐久性に加えて精霊の力との親和性も高く、それゆえ大昔の英雄は星涙の剣を作ろうと各地を奔走したとか。
 しかし星涙石はそもそも入手が困難であり、奇跡的に発見できて剣を鍛えたとしても、今度は力を吹き込める良質な精霊術師が見付からず、といった具合だった。
 そのため、かの剣は長らく幻の剣と呼ばれていたのだが……。

「征服戦争中にハーヴェイ殿がひょいと拾って来たから、渋々作ってやった」
「誰が?」
「俺が」
「うそぉ!!」

 小鳥のさえずりと水のせせらぎを背に、リアは思わず驚愕の声を上げる。草むらに座ったまま器用に飛び上がる弟子を一瞥し、師匠は静かに星涙の剣に触れた。
 今より三十二年前、征服戦争の英雄ハーヴェイ・オルブライトは、ある一人の精霊術師見習いと知り合う。各地を巡って修行をしていると言った若者から、故郷エルヴァスティの話をあれこれと聞くうちに、大公はすっかりその見習いと意気投合してしまった。
 言わずもがな、それがヨアキム・ヴィレン──当時十四歳だった師匠である。
 若い頃から既にその才能を露わにしていたヨアキムは、大公の話し相手兼、臨時の薬師としても大いに重宝された。
 ハーヴェイは少年の域を出ないヨアキムを対等な友人として扱い、戦争終結後も交流を続けたという。

「……ん。なら帝国の記録に残ってる、大叔父上の傍にいた精霊術師っていうのはヨアキム殿のこと?」
「そんなもん残してんのか。帰国したら燃やしてくれ皇太子殿」
「はは、無理無理」

 馬車の荷台に悠々と腰掛けているサディアスは、リアとエドウィンの間に堂々と陣取る師匠を眺め、愉快げに笑った。

「いやーしかし婿いびりみたいで面白いね、その座り方」
「誰が誰の婿だと?」
「サディアス殿下、後生ですからお戯れはやめてください」

 途端に気色ばむ師匠と戦慄するエドウィン。自身の左側から発せられる緊迫した空気に構うことなく、リアは興味津々に星涙の剣を両手でそっと持ち上げてみた。
 これは言わば、形は違えど四大精霊のアミュレットと同様の代物だ。星涙石が単なるジェムストーンと格が違うということは、刃の輝き方を見れば一目瞭然である。水面の光を反射させたり太陽に翳したりしていると、隣から溜息交じりの語りが再開された。

「戦が終わって三年ぐらい後だったか? ハーヴェイ殿がバザロフの遺跡に消えた、ってのを陛下から内密に知らされてな。……遺品とばかりに、その剣も一緒に届けられた」
「それでお師匠様、一人で遺跡に行ってみたの?」
「ああ。あの人に何が起きたのか知るために」

 ヨアキムは星涙の剣を手に、単身でバザロフに乗り込んだ。崩れた大広間を抜けた先、若き精霊術師を待ち構えていたのは──漆黒の巨躯を持つ獅子だった。
 その理性なき獣が、かつて戦場で同じ釜の飯を食った英雄であると、ヨアキムはすぐに分かった。ゆえに何度も繰り返し、声が枯れるまで名を呼び続けたという。
 しかし、影獣がそれに応えることは終始なかった。
 咆哮と共に振り抜かれた前脚がヨアキムの背中を鋭く(えぐ)ったところで、諦めが頭をもたげる。彼は朦朧とした意識の中、固く握り締めていた星涙の剣を掲げ──ハーヴェイと得体の知れぬ精霊を、まとめて遺跡の奥に封じ込めたのだった。

「……陛下には詳しい経緯は伝えずに、ただ遺跡を封鎖してくれとだけ言った。あそこは人が入っちゃならん神域だと。俺は……納得はしなかったが、それで全て終わったもんだと思ってた。詰めが甘かったらしいな」

 話を聞きながら、ついついリアは師匠の背中を案ずる。言われてみれば腹は見たことがあっても、背中は一度も見たことがなかった。もしや未だに大きな傷痕でも残っているのだろうかと、一人そわそわしてしまう。
 一方で、実際にハーヴェイと対面したというエドウィンが、気遣わしげに師匠へ告げる。

「ハーヴェイ様が、傷は癒えたかと仰っていました。……そのことだったのですね」
「何だ、じゃああのときも起きてたのか。恨み言の一つや二つぶつけてやれば良かったな」

 然して悲しむ様子を見せずに笑ったヨアキムは、ひとつ大きな息をついた。肺に溜まっていた空気を入れ替えては、師の顔つきでリアを見遣る。

「オーレリア。影の精霊が動き始めたのはいつだ? 手帳にまとめてんだろ」
「あ、えっと……十七年前! だよね?」

 少し湿ってしまった手帳を開いて、リアは師匠越しにエドウィンを覗き込んだ。菫色の瞳が優しく頷いたところで、さっと二人の視線を遮るが如く仏頂面が割って入る。
 リアがひたすら書き連ねた大公家の情報に目を通しながら、ヨアキムは思案げに顎を摩っていた。

「二代目の大公様が影の獣になっちゃって、それ以降も何人か……エドウィンは四人目よ」
「ならその十七年前に──星涙の剣を勝手に抜いて、影の精霊の封印を解いた馬鹿者がいるってことだ」
「え」

 師匠の言葉にエドウィンが緊張を滲ませたのは勿論、サディアスの瞳も剣呑に細められた。
 ハーヴェイが影の精霊ともども封印されてから、大公国と帝国における魔女狩りが収束するまでの約七年間、大公家から行方不明者は出ていない。
 つまりそれまでは星涙の剣がしっかりと役割を果たしていたのだ。影の精霊を遺跡の奥に抑え込みつつ、ハーヴェイの暴走を鎮めるという重要な役割を。

「影の精霊は従来の精霊と違って、見初めた人間の血をいつまでも辿り続ける、か」
「どう? 私の考え良い感じでしょ?」
「ここまで推測しながら当事者を遺跡に連れて行くとは、お前なかなか鬼畜だな」
「うぐっ」
「あ、それは僕が自ら申し出ただけで……」

 はっとした様子でエドウィンが補足したものの、師匠から何とも呆れた視線をぶつけられては硬直する。二人まとめて軽率な行動を咎めた師匠は、濡れたページが皺にならぬよう慎重に手帳を閉じてから、重々しく告げたのだった。

「ったく……まあ、俺の封印が不十分だったことも原因の一つだが、大公家も皇室も用心した方が良いぞ。封印を解いたのが好奇心旺盛な盗賊ならまだしも──精霊術師なら野放しには出来んからな」

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