魔女見習いと影の獣
精霊術を行使するかどうかは関係なしに、この世界に存在するあらゆる精霊を呼び寄せてしまう人間。
それをエルヴァスティでは愛し子と呼び、発見された場合には国で手厚い保護を受けることになっているという。
リアは幼い頃、早い段階で愛し子であることが判明し、メリカント寺院で育てられてきたのだ。
「愛し子は放置していれば、必ず精霊にかどわかされて命を落とす。ゆえに彼らは光華の塔で過ごさなければならん。声に耳を傾けやすい子どもなどは特にな」
精霊との対話を前提とした精霊術の行使に、愛し子が不向きである理由はそこにある。
下手をすれば術を行使した直後、精霊に肉体を持って行かれることも珍しくないのだ。
淡々と語られる愛し子の──否、リアが辿るかもしれない末路に、エドウィンは辛うじて動揺を押し殺していた。
リアはこの話を知りながら、精霊術師になろうとしているのだろうかと。
「私とヨアキムが何度も説明したさ。だがあの子は引かなかった」
「……何故でしょうか?」
戸惑い気味に尋ねれば、ユスティーナはおもむろに唇の端を吊り上げる。
「ただ庇護されるだけじゃあ、ヨアキムと家族になれんからだと。……あの子が精霊術師じゃなかろうが、誰も捨てるなど言った覚えはないんだがね」
その言葉にハッとした。
リアとヨアキムには血の繋がりがない。それはつまり──彼女の両親が別に存在するということだ。
そして彼らは家族として共に過ごすことなく、今日に至っている。リアが頑なにヨアキムに師事したがった理由は、恐らくそこに起因するのだろう。
もちろん普段の様子からして、精霊術師への純粋な憧れもあっただろうけれど。
「まぁその話は置いておこう。とにかくリアは、光華の塔で定期的に精霊を追い払う必要がある。今回は卿の推察通り、別の事情が絡んだがな」
「街で彼女を襲った者達ですか」
「そうだ」
ユスティーナは低く肯定すると、手元にあった書簡をテーブルに置く。
促されて目を通してみれば、そこには不穏な内容が記されていた。
「重罪人の密入国……?」
「今までどこに潜んでおったのか、数ヶ月前に目撃情報が入ってきた。ちょうど、リアが卿の手助けをしていた頃か」
それは過去にある大罪を犯し、エルヴァスティから永久追放を受けた男だという。
否、正確には「脱獄した死刑囚」だとユスティーナは忌々しげに明かした。
「奴はどうやら愛し子を狙っておるようでな。安全確保のためにリアを光華の塔に入れていたが……まさか外へ出した途端に襲われるとは」
「……一体何を企てているのでしょうか?」
「さてな。それを探るためにも、あの子には今しばらく隠ってもらわねばならん」
ふと眉間のしわをほどいたユスティーナは、こちらを試すような笑みで身を乗り出した。
「ゼルフォード卿。あの子はいつ消えてもおかしくない。それが精霊によるものでも、人の手によるものだとしても……いずれにせよ、そういう存在だということは理解しておけ」
──その覚悟がなければリアに関わるな。
それが脅しではなく、こちらを案じての発言だと気付いたのは、エドウィンが扉を閉めた後だった。
大巫女がわざわざ彼を呼び出し、リアを取り巻く事情について話したのは恐らく……。
ちらりと扉を一瞥し、エドウィンはその場から静かに離れようとしたのだが。
「おい。話は終わったのか」
「あ……ヨアキム殿。お久しぶりです」
呼び止めたのは、リアの師匠ヨアキムだった。柱に気だるげに凭れ掛かっていた彼は、エドウィンの芳しくない顔色を見て溜息をつく。
「オーレリアのことを聞いたな?」
「……はい。彼女の体質と……脱獄囚についても伺いました」
「そうか。──付いて来い」
ヨアキムは微かに眉を顰めたが、投げやりな仕草でそれを覆い隠すと、すぐに背を向けてしまった。
寺院の正殿を出ると、あっという間に視界が白く染まる。ヨアキムの後を追って暫く歩けば、メリカント寺院の建つ小高い丘から伸びる、素朴な石橋が現れた。
そしてその先。深い谷の中央に聳え立つは、雪を纏いし城。一際目立つ大塔にはエルヴァスティの国旗が揺らめき、頂上付近に暖かな光がぽつんと灯っている。
「あれが光華の塔。愛し子を突っ込んでおく場所だ」
簡潔に説明したヨアキムに続き、エドウィンは広大な谷に架けられた石橋へ足を踏み入れると、しんと静まり返った銀世界を見遣った。
終始一言も話さぬまま、二人は光華の塔の門前に到着する。雪空を貫く城を仰ぎ見れば、同様にして顔を上向けたヨアキムが口を切った。
「厄介な娘だからと尻尾巻いて逃げるつもりじゃあないよな?」
「……。ユスティーナ様もヨアキム殿も、お優しいのですね」
「あ?」
心底嫌そうな声が返ってきたので、エドウィンは隣を見ないようにしつつ苦笑をこぼす。
「僕は自ら、リアに関わりに来たのです。精霊にも危険な輩にも、黙って彼女を差し出すつもりなどありません」
きっぱりとした返答にヨアキムはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、エドウィンの背中を肘でぐいと押した。
「脱獄犯についてあいつに話しとけ。俺が言うより真剣に受け止めるだろ」
「わ、分かりました」
「オーレリアが自由に出歩けるまでこき使ってやるからな。泣き言漏らすなよ」
「……。はい、勿論」
つまり最後まで首を突っ込んでもいいということか。少しの逡巡を経てから笑って承諾したエドウィンに、ヨアキムは思い切り顔を歪めて立ち去ったのだった。
それをエルヴァスティでは愛し子と呼び、発見された場合には国で手厚い保護を受けることになっているという。
リアは幼い頃、早い段階で愛し子であることが判明し、メリカント寺院で育てられてきたのだ。
「愛し子は放置していれば、必ず精霊にかどわかされて命を落とす。ゆえに彼らは光華の塔で過ごさなければならん。声に耳を傾けやすい子どもなどは特にな」
精霊との対話を前提とした精霊術の行使に、愛し子が不向きである理由はそこにある。
下手をすれば術を行使した直後、精霊に肉体を持って行かれることも珍しくないのだ。
淡々と語られる愛し子の──否、リアが辿るかもしれない末路に、エドウィンは辛うじて動揺を押し殺していた。
リアはこの話を知りながら、精霊術師になろうとしているのだろうかと。
「私とヨアキムが何度も説明したさ。だがあの子は引かなかった」
「……何故でしょうか?」
戸惑い気味に尋ねれば、ユスティーナはおもむろに唇の端を吊り上げる。
「ただ庇護されるだけじゃあ、ヨアキムと家族になれんからだと。……あの子が精霊術師じゃなかろうが、誰も捨てるなど言った覚えはないんだがね」
その言葉にハッとした。
リアとヨアキムには血の繋がりがない。それはつまり──彼女の両親が別に存在するということだ。
そして彼らは家族として共に過ごすことなく、今日に至っている。リアが頑なにヨアキムに師事したがった理由は、恐らくそこに起因するのだろう。
もちろん普段の様子からして、精霊術師への純粋な憧れもあっただろうけれど。
「まぁその話は置いておこう。とにかくリアは、光華の塔で定期的に精霊を追い払う必要がある。今回は卿の推察通り、別の事情が絡んだがな」
「街で彼女を襲った者達ですか」
「そうだ」
ユスティーナは低く肯定すると、手元にあった書簡をテーブルに置く。
促されて目を通してみれば、そこには不穏な内容が記されていた。
「重罪人の密入国……?」
「今までどこに潜んでおったのか、数ヶ月前に目撃情報が入ってきた。ちょうど、リアが卿の手助けをしていた頃か」
それは過去にある大罪を犯し、エルヴァスティから永久追放を受けた男だという。
否、正確には「脱獄した死刑囚」だとユスティーナは忌々しげに明かした。
「奴はどうやら愛し子を狙っておるようでな。安全確保のためにリアを光華の塔に入れていたが……まさか外へ出した途端に襲われるとは」
「……一体何を企てているのでしょうか?」
「さてな。それを探るためにも、あの子には今しばらく隠ってもらわねばならん」
ふと眉間のしわをほどいたユスティーナは、こちらを試すような笑みで身を乗り出した。
「ゼルフォード卿。あの子はいつ消えてもおかしくない。それが精霊によるものでも、人の手によるものだとしても……いずれにせよ、そういう存在だということは理解しておけ」
──その覚悟がなければリアに関わるな。
それが脅しではなく、こちらを案じての発言だと気付いたのは、エドウィンが扉を閉めた後だった。
大巫女がわざわざ彼を呼び出し、リアを取り巻く事情について話したのは恐らく……。
ちらりと扉を一瞥し、エドウィンはその場から静かに離れようとしたのだが。
「おい。話は終わったのか」
「あ……ヨアキム殿。お久しぶりです」
呼び止めたのは、リアの師匠ヨアキムだった。柱に気だるげに凭れ掛かっていた彼は、エドウィンの芳しくない顔色を見て溜息をつく。
「オーレリアのことを聞いたな?」
「……はい。彼女の体質と……脱獄囚についても伺いました」
「そうか。──付いて来い」
ヨアキムは微かに眉を顰めたが、投げやりな仕草でそれを覆い隠すと、すぐに背を向けてしまった。
寺院の正殿を出ると、あっという間に視界が白く染まる。ヨアキムの後を追って暫く歩けば、メリカント寺院の建つ小高い丘から伸びる、素朴な石橋が現れた。
そしてその先。深い谷の中央に聳え立つは、雪を纏いし城。一際目立つ大塔にはエルヴァスティの国旗が揺らめき、頂上付近に暖かな光がぽつんと灯っている。
「あれが光華の塔。愛し子を突っ込んでおく場所だ」
簡潔に説明したヨアキムに続き、エドウィンは広大な谷に架けられた石橋へ足を踏み入れると、しんと静まり返った銀世界を見遣った。
終始一言も話さぬまま、二人は光華の塔の門前に到着する。雪空を貫く城を仰ぎ見れば、同様にして顔を上向けたヨアキムが口を切った。
「厄介な娘だからと尻尾巻いて逃げるつもりじゃあないよな?」
「……。ユスティーナ様もヨアキム殿も、お優しいのですね」
「あ?」
心底嫌そうな声が返ってきたので、エドウィンは隣を見ないようにしつつ苦笑をこぼす。
「僕は自ら、リアに関わりに来たのです。精霊にも危険な輩にも、黙って彼女を差し出すつもりなどありません」
きっぱりとした返答にヨアキムはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、エドウィンの背中を肘でぐいと押した。
「脱獄犯についてあいつに話しとけ。俺が言うより真剣に受け止めるだろ」
「わ、分かりました」
「オーレリアが自由に出歩けるまでこき使ってやるからな。泣き言漏らすなよ」
「……。はい、勿論」
つまり最後まで首を突っ込んでもいいということか。少しの逡巡を経てから笑って承諾したエドウィンに、ヨアキムは思い切り顔を歪めて立ち去ったのだった。