魔女見習いと影の獣
 それはリアが初めて光華の塔に入った日の夜だった。
 当時の彼女は精霊に好かれやすい体質や、愛し子という呼び名さえまだ知らなかった。訳も分からず師匠の腕に抱かれ、ひたすらに長い石橋の上から、雪化粧を纏う峰をじっと見詰めていたことは覚えている。
 やがて到着した古びた城。そこで待ち受けていた見知らぬ大人たちは、師匠の元へ忙しなく駆け寄るなり、緊迫した様子で言葉を交わす。やがてリアは彼らに引き渡され、師匠はその小さな頭を撫でては背を向けた。

「どこいくの?」
「すぐ戻る。今日はここで飯食って寝ろ」

 そこではたと歩みを止めた師匠は、外套の内側からブサイクなぬいぐるみを引き抜いて、リアの腕にしっかりと抱かせる。その場にいた全員から意外そうな視線を注がれた師匠は、凶悪な目付きでそれらを跳ね返しつつリアへ告げた。

「そいつがいりゃ寝れるな?」
「みどりのがよかった!」
「うるせぇ文句言うな」

 いつもと変わらないやり取りの後、師匠は今度こそ石橋を引き返していった。吹雪の奥へ消えていく背中を見送る最中、城門がゆっくりと閉ざされる。
 狭くごちゃごちゃとした家とは違い、光華の塔はとにかく広かった。知らない大人ばかりの空間はひどく落ち着かず、かと言って付いて行かなければ迷子になってしまう。ぬいぐるみを抱き締めて渋々と後を追い、通された部屋で食事をとり、これまた広いベッドに寝かされた。
 ──そこで初めて、捨てられたのだろうかと怖くなった。
 誰もいない部屋を見渡す勇気はなく、リアは毛布の中に沈んだ。
 その晩はひたすら泣いていた。ぬいぐるみは涙でびしょびしょになり、こすった瞼は赤く腫れてしまった。
 泣き疲れて眠りに落ちたリアが次に目を覚ましたとき、喉も頭も痛くて気分は最悪だった。それでも天窓から覗く澄んだ青空には、星々の名残が未だ輝いていて。

「……?」

 いつの間にか退けられた毛布の代わりに、立ち去ったはずの師匠がリアを抱き締めて眠りこけていた。
 唖然とその寝顔を凝視していれば、やがて彼が目を覚ます。大人しい少女を見てか、彼は顰め面で小さな鼻をつまむ。

「しばらくここで寝泊まりすんだぞ。初日から泣くな」
「おうちかえれるの?」
「ああ。取り敢えず俺はまだ眠いから寝る」
「……リアも寝る!」

 二度寝の姿勢に入った師匠の胸に飛び込めば、大きな手が緩慢な動きで背中を摩ってくれた。落ち着く木材の香りに包まれたリアは、ほどなくして穏やかなまどろみに意識を委ねたのだった。

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