魔女見習いと影の獣
 ──懐かしい夢から醒め、リアは真っ暗な部屋でむくりと体を起こす。
 そろそろエドウィンが来る頃だろうかと、凭れていた大きなクッションを横に押しやった。仮眠用にしては大きすぎるベッドの上を、四つん這いになって端まで移動した彼女は、天井から垂れている金糸の紐をくいと引く。
 多角形の天井を覆っていた分厚いカーテンが、するすると左右に開かれる。青白い斜光は徐々にその幅を広くし、やがて部屋を隈なく照らすまでに至った。
 天井から壁まで地続きになった硝子。そこに映し出されたのは満天の星空と、たなびく色鮮やかな極光(オーロラ)だった。気が遠くなるほど美しい空の裾野には白き山脈が連なり、明るい夜に更なる静寂を添える。
 塔から大きく()り出したこの部屋は星見(ほしみ)の間と呼ばれ、この通りカーテンを全て開けてしまえば、あっという間に見る者をエルヴァスティの夜空に放り込んでしまう。
 初めて光華の塔へ来た夜は、まさか天井がこんなことになっているとは知らなかったが──恐らくこれも、かつて囲われていたという寵姫のために設計されたのだろう。

「今日は綺麗に見えるわねー……」

 そこかしこに積まれたクッションを背に、リアは暫し星空の中で深呼吸をした。
 昔のような絶望的な孤独感はないものの、やはりここは静かすぎる。
 精霊はもちろん人の気配すらしない星見の間で過ごしていると、まるで自分の肉体が俗世から完全に切り離されてしまったかのような感覚に陥るのだ。
 ──お嬢さんは人の域から片足分はみ出たような、独特な匂いがする。
 メイスフィールド大公宮の国立図書館で、ノルベルトから言われた言葉が頭を過る。あのときは失礼な人だと憤慨したが、彼の感覚はいたって正常だったのかもしれない。
 
「あの人大丈夫だったかな。お友達の遺品、見付かってると良いけど……」

 謹慎が解けたらべドナーシュに足を運んでみようかと考えたところで、リアは溜息をつく。
 自由に国外へ出られるようになるのは、当分先の話だろう。エルヴァスティから追放されたはずの罪人が、何の因果かリアのことを狙っていると言うのだから。
 何かの間違いであれば良いのにと思う反面、愛し子を使って精霊の力を悪用しようと企てる輩が、過去に幾人も存在したのは既知の事実。おいそれと一人で外出すれば、今日のような危険な目に遭うに違いない。

「……だめだめ、楽しいこと考えよ!」

 手近なクッションを放り投げ、リアは勢いをつけてベッドから立ち上がった。
 わざわざ長い階段を上がって来てくれるエドウィンのために、温かいお茶でも淹れておこう。食後は熱めの方が良いだろうか。睡眠を妨害しないよう紅茶は避けて──。

「…………エドウィン、早く来ないかな」

 棚の茶器を選びながら、こぼれた独り言は小さかった。
 結局、まだ自分はこの空間が苦手なようだ。
 ──出来ることなら明日の夜も、孤独を和らげる星々の光がありますように。
 リアはいくつか茶葉を見繕うと、丸テーブルを明るい場所へと移したのだった。

< 79 / 156 >

この作品をシェア

pagetop