魔女見習いと影の獣
「──あの、どちらからいらしたんですかっ?」
「ダンスパーティーには出席なさるのですか!?」
「後で私のお店来てくださいな!」
「きゃあ、こっち向いたぁ!」
四方八方から詰め寄る年若い娘に気圧され、エドウィンは引き攣った笑みで後ずさる。しかし彼が視線を動かすだけでも黄色い歓声が上がってしまい、異常な熱気を目の当たりにした男性諸君はぎょっとして離れていった。
近くにいた皇太子の護衛騎士ら三名も、銀騎士の大公国民に留まらぬ絶大な人気っぷりを初めて目撃したせいか、どこか遠い目をする始末。残念ながら彼を助けに入る兆しはない。
しれっと騒ぎの中心から退避したサディアスは、群がる蝶から逃げようと焦るエドウィンの背中を見て、非情にも愉快げに笑った。
「ここにオーレリア嬢がいなくて良かったねぇ……と」
煌々と燃える篝火の向こう、銀の仮面をかぶった娘が立ち去る姿を捉える。
サディアスは音もなくその場から離れると、護衛騎士の死角から人混みの中へと紛れ込んだ。
大広場を抜け、メリカント寺院へ続く雪道へ差し掛かると、白装束を重そうに引き摺りながら娘が歩いていた。祭りの喧騒を背後に押しやり、サディアスは寂然とした樹氷の林へ踏み込む。
錫杖の音が段々と鮮明に聞こえるようになったとき、ふと娘が裾を踏んづけて前のめりになる。
「イネス嬢」
「きゃっ!?」
サディアスは彼女の細い腕を引き、沈みかけた腹部を抱き寄せた。錫杖が一際高い音を立てれば、慌てた様子で仮面が振り向く。
目許を覆い隠すフクロウの面の下、寒さに悴んだ唇が微かに開く。漏れ出た吐息が空気に溶けたところで、サディアスはにこりと微笑んだ。
「ああ間違えた。今は賢者殿と呼ぶべきかい」
「……皇太子殿下。……支えてくださってありがとうございます。もう大丈夫ですので」
錫杖を突いて姿勢を立て直したイネスを、しかしてサディアスは離そうとせず。びくともしない腕に痺れを切らしてか、彼女が困り果てた様子でかぶりを振った。
「殿下……」
「その衣裳、見た目ほど温かくないんでしょ。僕の外套なら貸してあげるよ」
「貸すとは……? 殿下から衣類を剥ぎ取るつもりはございませ」
「いや、君がここに納まるという形で」
「遠慮しておきます」
さっと外套の内側を開いたサディアスの申し出を、イネスはすげなく断る。隙を見て距離を開けた彼女は、そこで錫杖をとんと積雪に打ち付けた。
刹那、二人の周りに橙色の光が舞い降りてくる。サディアスが少しばかり目を丸くしたのも束の間、錫杖の音に釣られてやって来た火の精霊は、じんわりと彼の手先を温めた。
「ごめんなさいね、寺院まで付き添ってくれる?」
イネスが光をあやすように指先を動かす姿は、神話に出てくるという賢者そのものだった。
エルヴァスティのアイヤラ然り、イーリル教会を興した若者然り──否、精霊と戯れるサネルマの乙女か。いずれにせよ幻想的で、すぐに消えてしまいそうなほど儚い光景だった。
「……ねぇイネス嬢」
「はい?」
口を突いて出た呼びかけに、イネスはすぐに応じてくれた。フクロウの目がこちらに寄越されれば、知らずの内に拳から力が抜ける。
「それ、君の髪でも仕込んでいるのかい。精霊術は対価が必要だとオーレリア嬢から聞いたけど」
「お察しの通りです。杖だけでも誘き寄せることは可能ですが」
その錫杖は王宮に安置されている国宝に近い代物で、賢者アイヤラが使っていたとされる。清澄な音には精霊を癒す力が宿り、召喚の呪文に等しい効果があるのだとイネスは滑らかに語る。
今日に至るまでの数日間、執拗な質問責めによって彼女からエルヴァスティの知識を引き出してきたが、やはりその語りに曖昧な部分など一つもない。嫌そうな雰囲気を常に放ちはすれど、問われた内容には必ず責任を持って答える。
──驚くほど変わらない。
サディアスは長い溜息をつき、おもむろにイネスの仮面に手を掛けた。
「あ……皇太子殿下?」
「君ってしっかり者だけど案外、薄情だったりする?」
「はい……? ……殿下、前々から思っておりましたが、もう少し分かりやすくお話しいただけると」
フクロウの面を剥ぎ取れば、薄氷色の瞳が露わになる。
亜麻色の前髪は左右に開かれ、真っ白な額が橙に染まっている。
サディアスはきょとんとした彼女の顔を凝視した後、やがて仕方ないとばかりに懐に手を突っ込んだ。
差し出したのは、冬の淡い青空を閉じ込めた小さな宝石。
イネスは怪訝な表情で黙り込んでいたが、石と同じ色を秘めた瞳が次第に見開かれていく。
弾かれるように顔を上げてもなお、多大な混乱は拭えず。
「……イネス。見覚えがあるなら僕に謝って」
「ダンスパーティーには出席なさるのですか!?」
「後で私のお店来てくださいな!」
「きゃあ、こっち向いたぁ!」
四方八方から詰め寄る年若い娘に気圧され、エドウィンは引き攣った笑みで後ずさる。しかし彼が視線を動かすだけでも黄色い歓声が上がってしまい、異常な熱気を目の当たりにした男性諸君はぎょっとして離れていった。
近くにいた皇太子の護衛騎士ら三名も、銀騎士の大公国民に留まらぬ絶大な人気っぷりを初めて目撃したせいか、どこか遠い目をする始末。残念ながら彼を助けに入る兆しはない。
しれっと騒ぎの中心から退避したサディアスは、群がる蝶から逃げようと焦るエドウィンの背中を見て、非情にも愉快げに笑った。
「ここにオーレリア嬢がいなくて良かったねぇ……と」
煌々と燃える篝火の向こう、銀の仮面をかぶった娘が立ち去る姿を捉える。
サディアスは音もなくその場から離れると、護衛騎士の死角から人混みの中へと紛れ込んだ。
大広場を抜け、メリカント寺院へ続く雪道へ差し掛かると、白装束を重そうに引き摺りながら娘が歩いていた。祭りの喧騒を背後に押しやり、サディアスは寂然とした樹氷の林へ踏み込む。
錫杖の音が段々と鮮明に聞こえるようになったとき、ふと娘が裾を踏んづけて前のめりになる。
「イネス嬢」
「きゃっ!?」
サディアスは彼女の細い腕を引き、沈みかけた腹部を抱き寄せた。錫杖が一際高い音を立てれば、慌てた様子で仮面が振り向く。
目許を覆い隠すフクロウの面の下、寒さに悴んだ唇が微かに開く。漏れ出た吐息が空気に溶けたところで、サディアスはにこりと微笑んだ。
「ああ間違えた。今は賢者殿と呼ぶべきかい」
「……皇太子殿下。……支えてくださってありがとうございます。もう大丈夫ですので」
錫杖を突いて姿勢を立て直したイネスを、しかしてサディアスは離そうとせず。びくともしない腕に痺れを切らしてか、彼女が困り果てた様子でかぶりを振った。
「殿下……」
「その衣裳、見た目ほど温かくないんでしょ。僕の外套なら貸してあげるよ」
「貸すとは……? 殿下から衣類を剥ぎ取るつもりはございませ」
「いや、君がここに納まるという形で」
「遠慮しておきます」
さっと外套の内側を開いたサディアスの申し出を、イネスはすげなく断る。隙を見て距離を開けた彼女は、そこで錫杖をとんと積雪に打ち付けた。
刹那、二人の周りに橙色の光が舞い降りてくる。サディアスが少しばかり目を丸くしたのも束の間、錫杖の音に釣られてやって来た火の精霊は、じんわりと彼の手先を温めた。
「ごめんなさいね、寺院まで付き添ってくれる?」
イネスが光をあやすように指先を動かす姿は、神話に出てくるという賢者そのものだった。
エルヴァスティのアイヤラ然り、イーリル教会を興した若者然り──否、精霊と戯れるサネルマの乙女か。いずれにせよ幻想的で、すぐに消えてしまいそうなほど儚い光景だった。
「……ねぇイネス嬢」
「はい?」
口を突いて出た呼びかけに、イネスはすぐに応じてくれた。フクロウの目がこちらに寄越されれば、知らずの内に拳から力が抜ける。
「それ、君の髪でも仕込んでいるのかい。精霊術は対価が必要だとオーレリア嬢から聞いたけど」
「お察しの通りです。杖だけでも誘き寄せることは可能ですが」
その錫杖は王宮に安置されている国宝に近い代物で、賢者アイヤラが使っていたとされる。清澄な音には精霊を癒す力が宿り、召喚の呪文に等しい効果があるのだとイネスは滑らかに語る。
今日に至るまでの数日間、執拗な質問責めによって彼女からエルヴァスティの知識を引き出してきたが、やはりその語りに曖昧な部分など一つもない。嫌そうな雰囲気を常に放ちはすれど、問われた内容には必ず責任を持って答える。
──驚くほど変わらない。
サディアスは長い溜息をつき、おもむろにイネスの仮面に手を掛けた。
「あ……皇太子殿下?」
「君ってしっかり者だけど案外、薄情だったりする?」
「はい……? ……殿下、前々から思っておりましたが、もう少し分かりやすくお話しいただけると」
フクロウの面を剥ぎ取れば、薄氷色の瞳が露わになる。
亜麻色の前髪は左右に開かれ、真っ白な額が橙に染まっている。
サディアスはきょとんとした彼女の顔を凝視した後、やがて仕方ないとばかりに懐に手を突っ込んだ。
差し出したのは、冬の淡い青空を閉じ込めた小さな宝石。
イネスは怪訝な表情で黙り込んでいたが、石と同じ色を秘めた瞳が次第に見開かれていく。
弾かれるように顔を上げてもなお、多大な混乱は拭えず。
「……イネス。見覚えがあるなら僕に謝って」