魔女見習いと影の獣
 メイスフィールド大公国の北方に暮らす民──キーシンという異民族との戦に駆り出され、エドウィンは十六歳の頃から五年ほど戦場に身を置いていた。
 三十年前の征服戦争で命を落としたキーシン王の息子が奮起し、帝国と大公国への復讐を兼ねた聖戦を仕掛けたのだ。周辺諸国を巻き込んでの勢いは凄まじく、当初の予定では二年ほどで鎮圧できるとされていたところを、二倍近く時間が掛かってしまったそうな。
 長い戦が五年目に突入し、ようやく勝利の兆しが見えてきた頃、突如としてエドウィンの身に異変が生じたという。

「剣を振りかぶろうとしたとき、急に視界が暗くなったんです。初めは敵の攻撃を受けたのかと思ったのですが……」
「呪いが発動したのね。……その場で獣になってしまったの?」
「いえ。ひどい眩暈を感じたので、意識がある内に前線から退きました」

 近くにいた騎士に半ば引き摺られるようにして、エドウィンは陣営に戻った。しかしながら眩暈は一向に治まらず、全身に滲む汗を拭おうと付近の湖へ赴いたところ、彼は更なる悪寒と頭痛に見舞われてしまう。
 そうして湖面を覗き込んだ彼が目撃したのは、皮膚どころか髪や瞳まで、全てが黒く染まった自分の姿だった。

「……大公家の血筋に伝わる呪いは幼い頃から聞かされていたので、これがそうなのだと理解しました。呪われた者は体が漆黒に染まり、次第に人ならざるものへ変化する……兆しが現れたのなら、もう助かる見込みは無いとも」
「それは早計よ! 大公家は過去に精霊術師に助けを求めたことがあって?」

 エドウィンは呆けた様子で目を瞬かせ、自信満々の精霊術師(半人前)を見詰める。
 ふふんと胸を張ったリアは、手帳に「ひと月前、戦場にて」と拙い文字で記した。

「それで、そこから頑張ってバレないようにしながら、メイスフィールドまで帰って来たの?」
「あ……ええ、幸いすぐに姿が戻ったので、病を理由に……。今は伯爵領へ戻る途中です」
「ふむふむ、その間も何度も呪いが発動してたと」
「そうですね、仰る通りです」

 きっとエドウィンは呪いの兆候を感じ取ると、数日前の夜のように、人気のない森などに身を隠していたのだろう。
 彼が頑なに呪いをひた隠し、誰にも打ち明けていない理由は唯一つ──クルサード帝国にあるイーリル教会だ。
 教会が大公家の呪いを知れば、エドウィンを精霊と関わった異端者と見なすのは必至。 
 いや、もしかしたら大公家の弾劾を機に、二十五年前に起きた魔女狩りが再来してしまう可能性だってある。
 彼の深刻な語りを聞いていれば、田舎でのんびり暮らしていたリアでもその程度は予測できた。これは慎重に事を進めないと、と彼女は手帳を一旦閉じる。

「んー……やっぱり、過去に呪われた人たちのことも調べた方が良さそうね。あと呪いがどういうときに発動するかも観察したいし……」
「でしたら、伯爵邸に滞在していただいても構いませんよ」
「え?」

 ぶつぶつと頭の中を整理していたリアは、思わぬ言葉に口を半開きにして固まった。
 対するエドウィンは何でもないような顔で微笑み、彼女の唇についたパンくずを指先で拭い落としてしまう。

「ここからそう遠くありませんし、病人が薬師を屋敷に呼ぶのは珍しくないでしょう」
「そ、れは、そうだけど、待って今何したの」
「僕の客人ということなら大公宮に出入りも可能ですし、呪いの周期もそばで観察できますね」
「聞いてエドウィン」
「あなたが呪いの調査に専念できるよう、僕が衣食住を提供するということで、いかがでしょう?」
「はぅ」

 触れられた唇を意味もなく擦り合わせ、しかして提案を断る理由は思いつかず。
 伯爵邸に居候させてもらうのは気が引けるが、エドウィンの元にわざわざ訪ねに行くのも面倒だし、下着泥棒に怯えるのはもっと面倒だ。
 それに近くにいた方が、いざというときに彼の呪いを抑えられる可能性も高いし──美味しいものが食べられたら尚良い。

「じゃ、じゃあ、よろしくお願いします……」
「はい。こちらこそ」

 最後は食欲に負けたリアは、おずおずと頭を下げたのだった。
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