君と私で、恋になるまで




「まあ泣きたい時は泣いとけばいいんじゃない。知らんけど。」

そんなこと言えるはずもない俺は、あまりに低体温すぎる言葉でそう告げる。


ちょっと待て俺何しに来たんだよ、と自分に突っ込みたくなるが、彼女に涙の理由を聞きたいわけでもない。

1人でそんな風に泣かないで欲しい、そういう気持ちだけだ。


俺のそんな気の利かない言葉に「適当だなあ」と少し笑う彼女にやっとホッとした。


枡川が少しでも嫌がればすぐに立ち去ろうと思っていたが、特に無理をした様子もなく、俺との取り止めのない会話をふと続けて、少しまた泣いて、それを繰り返す。


「うーわ、蚊に刺されたわ。まだ5月なのにやばくない。お前、泣く場所もうちょっと選べや。」


夏に向かう夜風は涼しさよりも何となく蒸し暑さもある。


本当、こんなことお前じゃなきゃ付き合わない、と言ってしまいたかった。


「…ねえ、本当に瀬尾は何しに来たの。
あともれなく私も無事に刺されてんのよ。痒い。」


その通り過ぎる突っ込みの後、結局俺のくだらない会話に付き合うこいつは人が良い。

そして、何を思ったかふとこちらを見て言葉を繋げた。


「体温高い人の方が、蚊に刺されやすいんだって。」

「ふぅん、そうなんだ。知らなかった。」

「……」

「……」

「…枡川、オチは?」

「こんな泣いてる人間にオチまで求めてくるとか鬼なの?」


信じられない、と少し恥ずかしそうに顔を赤らめてそう怒る枡川に俺は笑う。

「…止まったじゃん。涙。」

「…え?」



もう、とりあえず大丈夫そうだな、と思う。

するとそのことに気づいた枡川は、本当だ、と呟いて、それから眉を下げてこちらを微笑んだ。


何で泣いてたのかは、結局よく知らない。

そんなことは、もうどうでも良かった。



お互いの自室に分かれる間際、律儀に「今日はありがとう」と頭を下げた枡川に「今度奢れよ。」なんて期待を込めて言ってしまった。



だから、配属されて暫く経った頃、向こうから「お礼をさせていただきます」なんて言われた時、俺がどれだけ嬉しかったか、こいつは絶対に分かっていない。

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