訳アリなの、ごめんなさい
前室に戻ると、ユーリーンが用意した茶を前に、殿下が座っていた。
さすがにこちらに配慮してローブをしっかりまとってくれている。
彼の顔色もなかなかに悪い。
私の顔を見るなり、捨てられた子犬のような顔で立ち上がる。
「彼女は!?」
「お眠りになりました」
小声で伝えると、彼が肩からガクリと頭を垂れた。
「医者を呼ばなくてもだいじょうぶなのか?」
不安そうな言葉に、私はあえて強い口調でキッパリと答える。
「必要ありません。ご説明申し上げますから、落ち着いてお座りくださいませ」
そう言って私も先ほどまで座っていた椅子に腰掛けて、辺りを見回す。
ブラッドにヴィン、エドガー様、他にも2名殿下の側仕えらしき青年と侍女らしき中年の女性が立ち尽くしている。
この手狭な部屋に、暑苦しいことこの上ない。
「姫様のナイーヴなご事情ですのでどうぞお人払いを」
小さく息を吐くと、丁度ユーリーンがお茶を入れ直してくれたところだった。
ハーブの良い香りが心を少しだけ落ち着かせてくれた。
「では護衛を一人残しましょう。ブラッド頼みます」
エドガー様がテキパキと指示をして、他を引き連れて退出していくのを、お茶を飲みながら見送っていると、ブラッドが護衛のために殿下の後ろに立った。
最後にユーリーンがティーポットを置いて出ていくのを確認して、私は話を始めた。
とりあえず深刻な病気でないことを伝えると、明らかにほっとした様子の殿下は少し気まずそうに、私を上目遣いで見る。
「あのようなことは、女性にはよくある事なのか?」
流石は殿下、女性に対して不躾な質問ではないかと心配をしているらしい。
出来るだけ何でもない顔をして、首を横に振る。
「いえ、それほどではありませんし、女性特有のもの、という訳でもありません。」
「そうなのか」
どこかほっとしたように殿下は息を吐く。
「心に大きく傷があったり、つらい出来事の後など、まれにあることのようです。呼吸の仕方が突然分からなくなるというか、息苦しくなるのです。落ち着いて呼吸を整えれば、すぐに治ります」
「そうなのか!?その、君は詳しいんだね」
すぐに治るという言葉に少しほっとしながらも、やはりそこを突くかと殿下の鋭さに、私は諦めて一つ息を吐いた。
人払いをしたのもあながちセルーナ妃のためだけでもなくて。
ここまできたら仕方ない。
出来ることなら、ブラッドには聞かれたく無かったけど。
意を決して背筋を伸ばす。
「私自身がこの発作の経験者ですから」
キッパリと言い切ると、殿下はわずかに息を飲んで、すぐに吐き出した。
「そうか、、君には悪いが、妃にとっては幸運であったということか。君がいなければ初夜の王太子の閨に医師が呼び込まれて騒ぎになったところだった。あることないこと言われて辛いのはセルーナだろうから。」
「そうですね。良かったと思います」
それは同意見だった。
ただの気休めのつもりだったけれど、お側に控えていて本当に良かった。
「でもなぜ彼女は、、、君の言葉を借りるなら彼女には辛いことがーーもしかして、私とするのが嫌だったということなのか?」
そこで殿下がようやく思い至ったらしい。
予想通りといえば予想通りだが、やはりか、、という呆れもあった。
この状態の彼にどこまで話そうかと迷って、そこで初めて、殿下の後ろに立つブラッドの顔を見る。
仕方ないと肩を竦められた。
私が、腹を括って話をするしかないらしい。
正直なところ、今すぐ逃げ出したい。
しかし、この一件で殿下の私への信頼はずいぶん高くなっただろう。そして何より彼がすがるようにこちらを見ている。話すならば今以上の好機は無いわけで、、、。
腹に力を入れて、私は視線を殿下に戻す。
「失礼ながら殿下は、妃殿下をお見初めなさったのは妃殿下のお兄様の結婚式であったと聞いておりますが?」
「そうだよ?」
その時を思い出すかのように、殿下は少しうっとりと微笑んだ。
少しげんなりする心を叱咤して、私は話を先に進める。
「翌日の舞踏会はどうなさっておいでで?」
「もちろんいたよ!彼女に声をかけようと思ったんだ、しかしサフィードの皇帝につかまって、ぜひ娘をとごり押しされてね。あの人には一緒になる度にしつこくされていたんだけど、いつもに増してしつこくてね!逃げるようにお暇したんだ」
だから声をかけられなかった、、、と続けて、彼は不満そうに口を尖らせた。
確認のためにブラッドを見れば、確かにそうであったと頷いている。
なんということだ、、、
思わず頭を抱えたくなるのを、なんとか抑えて私は、決定的な言葉を発することにした。
「殿下、妃殿下には祖国に想いを同じくした婚約者がいたそうです」
「どう、いうことだ?」
それまでどこか、まだ緩んでいた殿下の表情がすっと能面のように無になるのを感じた。
流石というべきか、、、。
長年の帝王教育の賜物というか、人の上に立つ彼等は大きく感情を揺さぶられた際に、下の者達に不安を与えないために、感情を表に出さない訓練を受けている。
恐らく無意識にそれを発動させたと言う事は、今の一言で彼は随分とショックを受けた事は理解できた。
あぁこの先を言いたくない。
憂うつな気分で私は先を続ける。
「兄君の婚儀が終わるのを待って、妃殿下はその方と結婚することになっていたそうです。」
「そんな、、まさか」
咄嗟に纏った能面のような顔が、みるみる狼狽し出した。
賢い彼は、そこで全てを理解したらしい。
「殿下は純粋な思いと熱意で正規の手段で国王陛下と議会を説得なさって、あちらのお国にも要請をされましたが、妃殿下にとっては国の威信を使って好きな相手と引き裂いて嫁がせた卑怯な男という印象だったようです」
殿下の顔色がみるみる悪くなっていく。
「なんということだ、そんな、私が、そんな」と頭を抱えてブツブツつぶやきだしたのを見て、
さすがに心配になり大丈夫なのかとブラッドを見ると、気の毒な物を見るように殿下を一瞥して、諦めたように続けてやれと目配せされる。
どの道ここまで言ったら後戻りはできないのだ。
「妃殿下は殿下に対する嫌悪感とお怒りを抱えながら輿入れされました。すべては祖国のためと」
「それで、、あの時」
殿下がはじかれたように顔を上げる。おそらくブラッドが見たであろう、妃殿下が殿下を睨みつけた一件を思い出したのだろう。
ゆっくりと頷いて、私は話を続ける。
「ですが、実際に殿下にお会いしてみて、殿下がご自身の思っていたような方ではないと知って、ずいぶん戸惑っておられました。
殿下が私をご用意くださったり、ドレスや装飾を自ら選んだり、心を尽くして待っていてくださったのを知って、おそらく嫌悪感はずいぶんなくなったのだと思います」
「ほんとか!?」
期待を持って見返してきた殿下に、それでも非情なことを告げねばならないことが、心苦しい。
「でもお怒りはまだ収まっておりません。お気持ちもまだあちらの婚約者にあります。そればかりはこれからの殿下次第かと」
「私次第か!?わたしは具体的に何をしたら!」
立ち上がらんばかりの殿下を落ちつくようになだめながら私は、ゆっくりはっきりと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「妃殿下に誠実に向き合ってくださいませ。セルーナ様をお迎えになってうれしい気持ちは抑えて、セルーナ様のお心に沿って差し上げてください。
彼女は今まで殿下を好いて集まってきていた女性達とは別物です。殿下ご自身の努力がなければ本当の意味で手に入るお方ではありません」
「私自身の努力?」
「もちろん殿下が努力せずとも、妃としての役目はこなすでしょう。それで殿下が満足なさるなら」
「それは嫌だ!」
即答だ、それはもう間髪入れずに。
同時にずいっと彼が身を乗り出して来るので、私は反射的に少し後ろに引く。
「せっかく夫婦になったのだ!互いに愛し愛されたい!私の両親のように形だけの夫婦はさみしすぎる」
国王陛下と王妃陛下ってそうだったのか、、、と頭の片隅で考えるが、次に出てきた殿下の言葉でそんな事は吹っ飛ぶ。
「私は何をしたらいいんだ?考えてみれば、私は女性に好かれるために何かを努力したことがない!」
なんてことをいうのだこの人は、、、。
出てきた言葉は世の男性を全員敵にするような話で驚くが、、、しかし確かにな、、と思ってしまわないでも無かった。
彼自身の国内の人気は随分高い。
多くの令嬢が彼に憧れて妃になりたいと望んでいたと言うのも誇張でなく事実である。
あまり王都に来る事のなかった田舎者の自分の耳に入るくらいである。
だから、彼も彼の周りも、そして当初の私も疑いもなくこの結婚は望まれた物だと思い込んでしまっていたのだ。
たしかに、殿下の妃を迎え入れる準備は万全だったし、紳士的だった。単純な世間知らずのお姫様なら、それだけでもコロリと落ちたかも知れない。
要は天然の人たらしなのだろう。
たしかに、彼は情けないがどこか憎めない。
だからこそ妃も戸惑い、私に相談を持ちかけたのだ。
この人なら、もしかしたら、どうにかなるのかもしれないと、心の片隅にほんの少しだけ希望が見えた気がした。
さすがにこちらに配慮してローブをしっかりまとってくれている。
彼の顔色もなかなかに悪い。
私の顔を見るなり、捨てられた子犬のような顔で立ち上がる。
「彼女は!?」
「お眠りになりました」
小声で伝えると、彼が肩からガクリと頭を垂れた。
「医者を呼ばなくてもだいじょうぶなのか?」
不安そうな言葉に、私はあえて強い口調でキッパリと答える。
「必要ありません。ご説明申し上げますから、落ち着いてお座りくださいませ」
そう言って私も先ほどまで座っていた椅子に腰掛けて、辺りを見回す。
ブラッドにヴィン、エドガー様、他にも2名殿下の側仕えらしき青年と侍女らしき中年の女性が立ち尽くしている。
この手狭な部屋に、暑苦しいことこの上ない。
「姫様のナイーヴなご事情ですのでどうぞお人払いを」
小さく息を吐くと、丁度ユーリーンがお茶を入れ直してくれたところだった。
ハーブの良い香りが心を少しだけ落ち着かせてくれた。
「では護衛を一人残しましょう。ブラッド頼みます」
エドガー様がテキパキと指示をして、他を引き連れて退出していくのを、お茶を飲みながら見送っていると、ブラッドが護衛のために殿下の後ろに立った。
最後にユーリーンがティーポットを置いて出ていくのを確認して、私は話を始めた。
とりあえず深刻な病気でないことを伝えると、明らかにほっとした様子の殿下は少し気まずそうに、私を上目遣いで見る。
「あのようなことは、女性にはよくある事なのか?」
流石は殿下、女性に対して不躾な質問ではないかと心配をしているらしい。
出来るだけ何でもない顔をして、首を横に振る。
「いえ、それほどではありませんし、女性特有のもの、という訳でもありません。」
「そうなのか」
どこかほっとしたように殿下は息を吐く。
「心に大きく傷があったり、つらい出来事の後など、まれにあることのようです。呼吸の仕方が突然分からなくなるというか、息苦しくなるのです。落ち着いて呼吸を整えれば、すぐに治ります」
「そうなのか!?その、君は詳しいんだね」
すぐに治るという言葉に少しほっとしながらも、やはりそこを突くかと殿下の鋭さに、私は諦めて一つ息を吐いた。
人払いをしたのもあながちセルーナ妃のためだけでもなくて。
ここまできたら仕方ない。
出来ることなら、ブラッドには聞かれたく無かったけど。
意を決して背筋を伸ばす。
「私自身がこの発作の経験者ですから」
キッパリと言い切ると、殿下はわずかに息を飲んで、すぐに吐き出した。
「そうか、、君には悪いが、妃にとっては幸運であったということか。君がいなければ初夜の王太子の閨に医師が呼び込まれて騒ぎになったところだった。あることないこと言われて辛いのはセルーナだろうから。」
「そうですね。良かったと思います」
それは同意見だった。
ただの気休めのつもりだったけれど、お側に控えていて本当に良かった。
「でもなぜ彼女は、、、君の言葉を借りるなら彼女には辛いことがーーもしかして、私とするのが嫌だったということなのか?」
そこで殿下がようやく思い至ったらしい。
予想通りといえば予想通りだが、やはりか、、という呆れもあった。
この状態の彼にどこまで話そうかと迷って、そこで初めて、殿下の後ろに立つブラッドの顔を見る。
仕方ないと肩を竦められた。
私が、腹を括って話をするしかないらしい。
正直なところ、今すぐ逃げ出したい。
しかし、この一件で殿下の私への信頼はずいぶん高くなっただろう。そして何より彼がすがるようにこちらを見ている。話すならば今以上の好機は無いわけで、、、。
腹に力を入れて、私は視線を殿下に戻す。
「失礼ながら殿下は、妃殿下をお見初めなさったのは妃殿下のお兄様の結婚式であったと聞いておりますが?」
「そうだよ?」
その時を思い出すかのように、殿下は少しうっとりと微笑んだ。
少しげんなりする心を叱咤して、私は話を先に進める。
「翌日の舞踏会はどうなさっておいでで?」
「もちろんいたよ!彼女に声をかけようと思ったんだ、しかしサフィードの皇帝につかまって、ぜひ娘をとごり押しされてね。あの人には一緒になる度にしつこくされていたんだけど、いつもに増してしつこくてね!逃げるようにお暇したんだ」
だから声をかけられなかった、、、と続けて、彼は不満そうに口を尖らせた。
確認のためにブラッドを見れば、確かにそうであったと頷いている。
なんということだ、、、
思わず頭を抱えたくなるのを、なんとか抑えて私は、決定的な言葉を発することにした。
「殿下、妃殿下には祖国に想いを同じくした婚約者がいたそうです」
「どう、いうことだ?」
それまでどこか、まだ緩んでいた殿下の表情がすっと能面のように無になるのを感じた。
流石というべきか、、、。
長年の帝王教育の賜物というか、人の上に立つ彼等は大きく感情を揺さぶられた際に、下の者達に不安を与えないために、感情を表に出さない訓練を受けている。
恐らく無意識にそれを発動させたと言う事は、今の一言で彼は随分とショックを受けた事は理解できた。
あぁこの先を言いたくない。
憂うつな気分で私は先を続ける。
「兄君の婚儀が終わるのを待って、妃殿下はその方と結婚することになっていたそうです。」
「そんな、、まさか」
咄嗟に纏った能面のような顔が、みるみる狼狽し出した。
賢い彼は、そこで全てを理解したらしい。
「殿下は純粋な思いと熱意で正規の手段で国王陛下と議会を説得なさって、あちらのお国にも要請をされましたが、妃殿下にとっては国の威信を使って好きな相手と引き裂いて嫁がせた卑怯な男という印象だったようです」
殿下の顔色がみるみる悪くなっていく。
「なんということだ、そんな、私が、そんな」と頭を抱えてブツブツつぶやきだしたのを見て、
さすがに心配になり大丈夫なのかとブラッドを見ると、気の毒な物を見るように殿下を一瞥して、諦めたように続けてやれと目配せされる。
どの道ここまで言ったら後戻りはできないのだ。
「妃殿下は殿下に対する嫌悪感とお怒りを抱えながら輿入れされました。すべては祖国のためと」
「それで、、あの時」
殿下がはじかれたように顔を上げる。おそらくブラッドが見たであろう、妃殿下が殿下を睨みつけた一件を思い出したのだろう。
ゆっくりと頷いて、私は話を続ける。
「ですが、実際に殿下にお会いしてみて、殿下がご自身の思っていたような方ではないと知って、ずいぶん戸惑っておられました。
殿下が私をご用意くださったり、ドレスや装飾を自ら選んだり、心を尽くして待っていてくださったのを知って、おそらく嫌悪感はずいぶんなくなったのだと思います」
「ほんとか!?」
期待を持って見返してきた殿下に、それでも非情なことを告げねばならないことが、心苦しい。
「でもお怒りはまだ収まっておりません。お気持ちもまだあちらの婚約者にあります。そればかりはこれからの殿下次第かと」
「私次第か!?わたしは具体的に何をしたら!」
立ち上がらんばかりの殿下を落ちつくようになだめながら私は、ゆっくりはっきりと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「妃殿下に誠実に向き合ってくださいませ。セルーナ様をお迎えになってうれしい気持ちは抑えて、セルーナ様のお心に沿って差し上げてください。
彼女は今まで殿下を好いて集まってきていた女性達とは別物です。殿下ご自身の努力がなければ本当の意味で手に入るお方ではありません」
「私自身の努力?」
「もちろん殿下が努力せずとも、妃としての役目はこなすでしょう。それで殿下が満足なさるなら」
「それは嫌だ!」
即答だ、それはもう間髪入れずに。
同時にずいっと彼が身を乗り出して来るので、私は反射的に少し後ろに引く。
「せっかく夫婦になったのだ!互いに愛し愛されたい!私の両親のように形だけの夫婦はさみしすぎる」
国王陛下と王妃陛下ってそうだったのか、、、と頭の片隅で考えるが、次に出てきた殿下の言葉でそんな事は吹っ飛ぶ。
「私は何をしたらいいんだ?考えてみれば、私は女性に好かれるために何かを努力したことがない!」
なんてことをいうのだこの人は、、、。
出てきた言葉は世の男性を全員敵にするような話で驚くが、、、しかし確かにな、、と思ってしまわないでも無かった。
彼自身の国内の人気は随分高い。
多くの令嬢が彼に憧れて妃になりたいと望んでいたと言うのも誇張でなく事実である。
あまり王都に来る事のなかった田舎者の自分の耳に入るくらいである。
だから、彼も彼の周りも、そして当初の私も疑いもなくこの結婚は望まれた物だと思い込んでしまっていたのだ。
たしかに、殿下の妃を迎え入れる準備は万全だったし、紳士的だった。単純な世間知らずのお姫様なら、それだけでもコロリと落ちたかも知れない。
要は天然の人たらしなのだろう。
たしかに、彼は情けないがどこか憎めない。
だからこそ妃も戸惑い、私に相談を持ちかけたのだ。
この人なら、もしかしたら、どうにかなるのかもしれないと、心の片隅にほんの少しだけ希望が見えた気がした。