訳アリなの、ごめんなさい
5章
鐘の音が鳴る。
あぁ、これでもう逃げられない
少し前にもこの鐘の音を聞いて、同じことを思った日があったように思う。
あの時はまさか自分がこんな事になるとは思っても見なかった。
純白のドレスを着た私の手を取るのは、騎士の儀礼服に身を包んだブラッドだ。
短髪をいつものように固めずに、少し下ろした彼は、癪だがやはり見惚れてしまうほどにかっこいい。
まだ純粋に彼に恋だけしていた頃。この姿の彼の横に今と同じ純白のドレスを纏って立つことにどれだけ憧れていただろうか。
きっとその日は人生で一番輝いて幸せな日なのだろうと、そう思っていたのに。
「少しくらい笑ったらいいのに」
控室で呆れたようにそう言う叔母に、私は苦笑する。
「望んでないのに?」
皮肉を込めた私の言葉に叔母はやれやれといった様子で首を振る。
「諦めなさいな。貴族の結婚なんてそんなものなのだから」
おおよそ式後の花嫁の控室とは思えない空気の室内に、コンコンと扉が叩かれる音が響いた。
侍女の案内で、二人の貴婦人が入室してきた。
「アーシャ、綺麗よ!なんて美しいのかしら!」
「おばさま、いえお義母さま」
「貴方にそう呼ばれる日を待っていたのよ!アリーナもきっと見守っているわ。もう式も終わったのだし、そんなに緊張しなくていいのよ」
どうやらわたしの仏頂面を緊張ととったらしい義母は、私のウェディングドレス姿をくまなく観察して、何度も感動を表現してくれた。
結局ブラッドの義姉に回収されるまで義母の歓喜のマシンガントークはとまらず
解放された時にはぐったり疲れてしまっていた。
リラをはじめとする侍女達にそろそろドレスを脱がせてもらおうかとしていると、またしても支度部屋の扉が叩かれる音が響く。
やってきたのは、ブラッドだった。彼も来客対応をしていたのだろう。式のための儀礼服のままだ。
気を利かせた侍女達がササっと部屋を出て行ってしまった。
こちらに近づいてくる彼を見とめた私は、彼から視線を逸らせて、ため息を吐く。
「そんな顔をするなよ、綺麗なのにもったいない」
最近では私のこの態度に慣れてしまった彼は、大して気にする様子もなく、端正な眉を少し下げて笑った。
「幸せいっぱいでこの日をわたしが迎えたと貴方は思ってるの?」
皮肉たっぷりに言ってやるが、どうせ彼には通じない事もわかっている。
案の定、彼はツカツカと近づいてきて、
「少なくとも俺は、幸せだけどな。たとえ妻が終始仏頂面でも。」
愛おしそうに、引き寄せた。
「これでアーシャがどこかに行ってしまうことはなくなったわけだし」
やんわりとわたしの腰を抱いて、むき出しの肩に唇を落とした。
「っーー」
くすぐったいのやら、よくわからない感覚にわたしが身をすくめると、彼がクスリと笑うのが思いの外近くで聞こえる。
「そろそろ、意地を張るをやめたらどうだ」
「意地、なんてっ」
肩から首すじを不規則に彼の口づけが落ちてきて、私は逃れようと身をよじる。
「全く、昔からアーシャは拗ねると長いからな」
呆れたような言葉と共に手を離され、私は慌てて離れる。
そんな私を彼は上から下までゆっくり眺めると
「やっぱり綺麗だな」
そう満足そうに微笑んで、距離を詰めると チュッと軽い口づけを落として、上機嫌に部屋を出て行ってしまった。
結婚と共にブラッドは、先の戦争の功績からランドグラード伯爵を叙爵した。
とはいえ、何かが変わるかと言えば肩書きのみで、相変わらず騎士の役目があるし、伯爵夫人である私も妃殿下付きのお役目がある。
一応宮殿近くに、邸宅を賜わったのだが、少し手入れが必要であるため現在は修繕中である。
なにしろ、結婚が決まってから式を上げるまでにわずか1ヶ月。
ずいぶんなスピードで事が運んだので、色々が間に合っていない。
その間に、叔父により私達の婚約破棄の文書の偽造が正式に貴族院に認められ、関わったとされるウェルシモンズ伯爵、トランには罰金のペナルティが課された。
資金繰りの厳しい彼らがどう捻出したのかは分からないが、きちんと期限までに納入されたらしい。
あれから、彼らには大きな動きがない。
ただ私が知らないだけかもしれないが、
結婚式には、証人が殿下であることから、彼の不興を買っているトランは呼ばないということに、形式上はなっていて、この後正式に私が結婚した事を知らせる電報が彼等に送られる事になっている。
だが、きっと彼等はわたしの結婚を知ったら動き出すに決まっている。
私はそれを恐れている。
どれだけの人を巻き込むのか。
そして、トランがあの事を盾に私にどのような要求をしてくるのか、私には検討がつかない。
だからこそ私はこの結婚を笑顔で迎えてはいられなかった。
もしもトランがブラッドに迷惑かけるような事が起こるのならば、私はすぐに離縁をするつもりだ。
いつまでも頑なで、可愛げのない妻でいれば、ブラッドもきっと、その時がきたら私を切ってくれるだろう。
もう私にできる事はそれしか残っていない。
「お似合いでしたのに、直ぐに脱がせてしまうのはもったいのうございますね」
名残惜しげにドレスを脱がせながらリラが言う。私はその言葉に小さく微笑んだ。
自邸を持たない私達はとりあえずはブラッドの実家のストラッド伯爵邸の別邸を自宅としておくものの、実際に生活するのは、それぞれ宿舎と王太子宮のあの部屋である。
王太子宮にドレスを着たまま戻るわけにはいかない。
確かに今着ているドレスは実のところ密かにとても気に入っていて、少し名残惜しい気もする。
このドレスを着て最初にブラッドの前に立った時の、彼の嬉しそうなあの甘い笑顔は、どんな事があっても生涯忘れる事はないだろう。
その思い出があれば私は、いつか1人になってしまったとしても強く生きていける気がするのだ。
あぁ、これでもう逃げられない
少し前にもこの鐘の音を聞いて、同じことを思った日があったように思う。
あの時はまさか自分がこんな事になるとは思っても見なかった。
純白のドレスを着た私の手を取るのは、騎士の儀礼服に身を包んだブラッドだ。
短髪をいつものように固めずに、少し下ろした彼は、癪だがやはり見惚れてしまうほどにかっこいい。
まだ純粋に彼に恋だけしていた頃。この姿の彼の横に今と同じ純白のドレスを纏って立つことにどれだけ憧れていただろうか。
きっとその日は人生で一番輝いて幸せな日なのだろうと、そう思っていたのに。
「少しくらい笑ったらいいのに」
控室で呆れたようにそう言う叔母に、私は苦笑する。
「望んでないのに?」
皮肉を込めた私の言葉に叔母はやれやれといった様子で首を振る。
「諦めなさいな。貴族の結婚なんてそんなものなのだから」
おおよそ式後の花嫁の控室とは思えない空気の室内に、コンコンと扉が叩かれる音が響いた。
侍女の案内で、二人の貴婦人が入室してきた。
「アーシャ、綺麗よ!なんて美しいのかしら!」
「おばさま、いえお義母さま」
「貴方にそう呼ばれる日を待っていたのよ!アリーナもきっと見守っているわ。もう式も終わったのだし、そんなに緊張しなくていいのよ」
どうやらわたしの仏頂面を緊張ととったらしい義母は、私のウェディングドレス姿をくまなく観察して、何度も感動を表現してくれた。
結局ブラッドの義姉に回収されるまで義母の歓喜のマシンガントークはとまらず
解放された時にはぐったり疲れてしまっていた。
リラをはじめとする侍女達にそろそろドレスを脱がせてもらおうかとしていると、またしても支度部屋の扉が叩かれる音が響く。
やってきたのは、ブラッドだった。彼も来客対応をしていたのだろう。式のための儀礼服のままだ。
気を利かせた侍女達がササっと部屋を出て行ってしまった。
こちらに近づいてくる彼を見とめた私は、彼から視線を逸らせて、ため息を吐く。
「そんな顔をするなよ、綺麗なのにもったいない」
最近では私のこの態度に慣れてしまった彼は、大して気にする様子もなく、端正な眉を少し下げて笑った。
「幸せいっぱいでこの日をわたしが迎えたと貴方は思ってるの?」
皮肉たっぷりに言ってやるが、どうせ彼には通じない事もわかっている。
案の定、彼はツカツカと近づいてきて、
「少なくとも俺は、幸せだけどな。たとえ妻が終始仏頂面でも。」
愛おしそうに、引き寄せた。
「これでアーシャがどこかに行ってしまうことはなくなったわけだし」
やんわりとわたしの腰を抱いて、むき出しの肩に唇を落とした。
「っーー」
くすぐったいのやら、よくわからない感覚にわたしが身をすくめると、彼がクスリと笑うのが思いの外近くで聞こえる。
「そろそろ、意地を張るをやめたらどうだ」
「意地、なんてっ」
肩から首すじを不規則に彼の口づけが落ちてきて、私は逃れようと身をよじる。
「全く、昔からアーシャは拗ねると長いからな」
呆れたような言葉と共に手を離され、私は慌てて離れる。
そんな私を彼は上から下までゆっくり眺めると
「やっぱり綺麗だな」
そう満足そうに微笑んで、距離を詰めると チュッと軽い口づけを落として、上機嫌に部屋を出て行ってしまった。
結婚と共にブラッドは、先の戦争の功績からランドグラード伯爵を叙爵した。
とはいえ、何かが変わるかと言えば肩書きのみで、相変わらず騎士の役目があるし、伯爵夫人である私も妃殿下付きのお役目がある。
一応宮殿近くに、邸宅を賜わったのだが、少し手入れが必要であるため現在は修繕中である。
なにしろ、結婚が決まってから式を上げるまでにわずか1ヶ月。
ずいぶんなスピードで事が運んだので、色々が間に合っていない。
その間に、叔父により私達の婚約破棄の文書の偽造が正式に貴族院に認められ、関わったとされるウェルシモンズ伯爵、トランには罰金のペナルティが課された。
資金繰りの厳しい彼らがどう捻出したのかは分からないが、きちんと期限までに納入されたらしい。
あれから、彼らには大きな動きがない。
ただ私が知らないだけかもしれないが、
結婚式には、証人が殿下であることから、彼の不興を買っているトランは呼ばないということに、形式上はなっていて、この後正式に私が結婚した事を知らせる電報が彼等に送られる事になっている。
だが、きっと彼等はわたしの結婚を知ったら動き出すに決まっている。
私はそれを恐れている。
どれだけの人を巻き込むのか。
そして、トランがあの事を盾に私にどのような要求をしてくるのか、私には検討がつかない。
だからこそ私はこの結婚を笑顔で迎えてはいられなかった。
もしもトランがブラッドに迷惑かけるような事が起こるのならば、私はすぐに離縁をするつもりだ。
いつまでも頑なで、可愛げのない妻でいれば、ブラッドもきっと、その時がきたら私を切ってくれるだろう。
もう私にできる事はそれしか残っていない。
「お似合いでしたのに、直ぐに脱がせてしまうのはもったいのうございますね」
名残惜しげにドレスを脱がせながらリラが言う。私はその言葉に小さく微笑んだ。
自邸を持たない私達はとりあえずはブラッドの実家のストラッド伯爵邸の別邸を自宅としておくものの、実際に生活するのは、それぞれ宿舎と王太子宮のあの部屋である。
王太子宮にドレスを着たまま戻るわけにはいかない。
確かに今着ているドレスは実のところ密かにとても気に入っていて、少し名残惜しい気もする。
このドレスを着て最初にブラッドの前に立った時の、彼の嬉しそうなあの甘い笑顔は、どんな事があっても生涯忘れる事はないだろう。
その思い出があれば私は、いつか1人になってしまったとしても強く生きていける気がするのだ。