ふたつの愛し方
半年後ーーー。
英介と私は病院の皆に、必ず帰って来て下さい、と見送られて。
待ってるからな、絶対に帰って来るのよ、と俊也と美和に見送られて。
出発当日に、空港まで飛んで来た私の家族に、行ってらっしゃい、と。
父も兄も英介に、朱希を頼む、と言ってくれて、最初の派遣先のイエメンの地を踏んだ。
派遣先の病院では、銃弾で怪我した人も多く、ボストンでの経験が活かされた。
住まいは宿舎で現地スタッフとも仲良くなって、それなりに過酷ながらも楽しい日々を送っていた。
言語もある程度は、英語で対応できて。
英介も私も呼びやすい名前なのか、エイスケとアキと呼ばれるようになっていた。
まさかの出産に対応することも屡々。
これはこれで、いい経験になったと思う。
約3ヶ月間ーーイエメンで二人で勤務して、帰国後の2ヶ月間は緊急の時のみ北河総合病院で働いて、
また二人で、行って帰って来ての1年半の間に色んな国の医療現場を見て、経験した。
急に避難してくれなんて言われた現場もあったり、救えなかった命もあったり。
その中でも、小さな女の子が英介の腕で片足切断を免れて、朱希のサポートが良かったからだ、と。
女の子の両親も、ありがとう、と涙を流して英介と私にすがり付いて泣いて、感謝された時は私まで泣いてしまった。
勤務終了後に、英介の腕の中で。
この経験は私にとって何にも変えがたい、いい経験になった。
連れて行ってくれた英介には、どれだけ感謝しても足りないくらいに。
英介と私は病院の皆に、必ず帰って来て下さい、と見送られて。
待ってるからな、絶対に帰って来るのよ、と俊也と美和に見送られて。
出発当日に、空港まで飛んで来た私の家族に、行ってらっしゃい、と。
父も兄も英介に、朱希を頼む、と言ってくれて、最初の派遣先のイエメンの地を踏んだ。
派遣先の病院では、銃弾で怪我した人も多く、ボストンでの経験が活かされた。
住まいは宿舎で現地スタッフとも仲良くなって、それなりに過酷ながらも楽しい日々を送っていた。
言語もある程度は、英語で対応できて。
英介も私も呼びやすい名前なのか、エイスケとアキと呼ばれるようになっていた。
まさかの出産に対応することも屡々。
これはこれで、いい経験になったと思う。
約3ヶ月間ーーイエメンで二人で勤務して、帰国後の2ヶ月間は緊急の時のみ北河総合病院で働いて、
また二人で、行って帰って来ての1年半の間に色んな国の医療現場を見て、経験した。
急に避難してくれなんて言われた現場もあったり、救えなかった命もあったり。
その中でも、小さな女の子が英介の腕で片足切断を免れて、朱希のサポートが良かったからだ、と。
女の子の両親も、ありがとう、と涙を流して英介と私にすがり付いて泣いて、感謝された時は私まで泣いてしまった。
勤務終了後に、英介の腕の中で。
この経験は私にとって何にも変えがたい、いい経験になった。
連れて行ってくれた英介には、どれだけ感謝しても足りないくらいに。