夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
1週間後。
ネットで物件を見るのは日課になった。
暇さえあれば、いろんな会社の物件を探している。
公営住宅の申し込みもしたけど、やっぱりすぐに都合の良い場所に空きなんかない。
会社の帰りに、近くの不動産会社は手当たり次第回った。あまり遅くなると太一に心配をかけるので、1時間に限定して、回りまくった。
事情を話して、条件に合う物件が出たら、すぐに連絡してもらうようにも頼んである。
太一の学校のことを考えると、近くがいい。できれば転校させたくない。
家賃は多少高くなっても仕方ない。今のところが破格過ぎるんだから。
とは思ったものの……。
「ない……」
昼休み、ミーティングテーブルに突っ伏す。
ため息は止めどなく口から漏れる。
「……高い……」
とにかく家賃が高い。
希望通りの価格のところは、狭い。ワンルームしかない。1DKすらない。
家賃に合わせて、今の広さをキープしようとすると、通勤に2時間以上かかってしまう。
「……いっそ転職……転校……全部リセット……」
うめいていたら、中村さんがコンビニから帰ってきた。
最近、中村さんもここでお昼を食べることが増えた。ちょっと節約したいんだそうだ。
「小平さん、大丈夫?やっぱりいい物件ないの?」
「もう手は尽くしたって感じですね……」
「大家さんの方は?知り合い、ダメだった?」
「はい……方々に聞いてくれたみたいなんですけど」
弥生さんの知り合いは、いい人ばかり。
いい人が持っている物件は、家賃も良心的で……空きはなかったのだ。
深いため息をつきながら、お弁当を広げた。
「どうしたらいいのかなあ……」
中村さんも言葉無く、袋からシュークリームを出して、私にくれた。
「ありがとうございます。でもいただいちゃって、いいんですか?節約なのに」
一緒にお昼を食べる時は、中村さんが時々甘い物を差し入れしてくれる。
「いいのいいの、ついでだし。おいしい物は分かち合いたいから。それでも、外食よりは節約になってるし」
親しくなるにつれて、中村さんの口調はくだけてきた。それは嬉しい。
「早くいいところが見つかるといいよねえ」
「ほんと。公営住宅が当たれば1番いいんですけど」
世の中そう上手くはいかないよなあ、とまたため息が出る。
「しばらく家にどうぞって言えるといいんだけど……実家だし、ごめんなさい」
ああいけない。中村さんにまで暗い顔をさせてしまった。
「すみません、気を遣わせてしまって。家のことは置いといて、食べましょう」
笑顔を意識する。ついため息が出てしまうから、気を付けなきゃ。
中村さんが買ってきた新製品のサラダの話から、料理の話題に上手く持っていけた。
中村さんは、久保田さんが太一の親子丼を食べたのが相当うらやましいらしかった。家に遊びに来た時には太一に作らせますよ、と言ったら、嬉しそうに笑っていた。
それにしても、本当にどうしよう。
すぐに出ていかなければいけない訳じゃないけれど、でもいつまでも待たせる訳にもいかない。
でも家は見つからない。
こればっかりは、なんとかなるでは済まないよなあ……。
仕事は集中するようにしていたのに、やっぱり集中しきれなかった。ミスをしてしまった。
途中経過を確認した久保田さんが気が付いてくれて、少しの修正で済ませることができた。もし気付いてくれなかったら、膨大な時間がかかっていたに違いない。
作業の後、お礼を伝えに別階へ向かった。
ここに入るのは初めてだ。
そろっと覗くと、営業の島にはデスクが4つ。でも久保田さんしかいなかった。
その奥のシステム2課は全員席にいて、4人ともパソコンに向かっている。中に、須藤さんもいた。
ここには、新設された時に優秀な人が集められたって聞いたけど、みんな集中していて、空気がピリッとしている。冬の早朝の、澄んでる感じ。
いいなあ、こういう空気、好きだなあ。
と思っていたら、1番奥に座っている人が、うーんと伸びをした。
伸びたままで、私と目が合う。
「……えーと、どちら様?」
その声で、全員がこちらを見た。
突然視線が集まったので、緊張してしまう。
「小平さん、どうかしましたか?」
久保田さんが声をかけてくれた。
システム2課の方に会釈をして、久保田さんの席へ近寄る。
須藤さんが、伸びをしてた人に小さな声で何かを言っている。
「ああ、本田の……」
納得したように私を見ている。
須藤さんが、どうやら私の説明をしてくれたらしい。
目が合ったので、もう一度会釈をして、久保田さんの横に立った。
「さっきメールをお送りしたんですが、ご覧いただけましたか?」
えっ、と久保田さんがパソコンを見る。
「すみません、まだ見てませんでした」
素早く確認してくれる。
「……はい、大丈夫です」
「ご指摘ありがとうございました。おかげで大修正しなくて済みました」
「いえ、素早く対応してくれて、ありがとうございます」
「以後、気を付けます。申し訳ありませんでした」
頭を下げた。
本当に、落ち込んでしまう。
姿勢は直しても、顔は上げられないでいたら、久保田さんの焦った声が聞こえた。
「大丈夫ですよ、そんなに気にしなくても」
「いえ……とにかく気をつけます」
ただでさえプライベートは仕事に影響しやすい状況だから、なるべく出さないようにしているのに。まだまだだなあ、と思っていた。
と、久保田さんが立ち上がる。
「……ちょっとこっちに来てください。小田島さん、ちょっと席外します」
「おー」
さっき伸びをしていた人が手を挙げて返事をした。
あの人が、システム2課の課長、小田島さんか。名前はあちこちでよく聞く。
会釈をして、そのまま離れた。
別階には、パーテーションで区切ったミーティングスペースがあって、そこに案内された。
久保田さんは、私を座らせると、紙コップでカフェオレを出してくれた。久保田さんは多分コーヒー。いい香りがする。
各階にはウォーターサーバーがあり、お湯も出る。横にはスティックタイプのいろいろな飲み物が置いてあって、更にちょっとしたお菓子も買えたりする。便利なシステムだ。
「勝手にカフェオレにしちゃいましたけど、良かったですか?」
「はい、ありがとうございます」
久保田さんは、椅子を一つ空けて並んで座った。テーブルが楕円形だから、完全に横にはならない。話しやすいかも。
「小平さんらしくないミスの仕方みたいだし。顔色も良くないですよ」
静かな声に視線を上げると、久保田さんは窓から外を見ていた。
私も外を見る。
青空だ。気持ち良さそう。
久しぶりに、空を見た気がした。
「……洗濯物が、乾きそう」
呟いたら、クスッと聞こえてきた。
「確かに、そうですね。洗濯は、どうしてるんですか?」
「大体、週末に私が。天気が悪かったりしてたまってる時には、平日に太一がやってくれます」
「なんでもできますね、太一君」
「はい、掃除も、私よりやってくれます」
その太一は、私に何も言わない。
黙って、いつも通り。状況はわかってるから、不安だとは思うけど。
「……太一君のことで、なにかありましたか?」
「いえ、違います」
即答して、首を横に振る。
久保田さんは、探るように私の目を見た。
「じゃあ、会社のことですか?何か、不都合でも……まあ、小平さんには中村さんが付いてるから、いじめとかはないと思いますけど」
思わず吹き出してしまった。
「なんですかそれ」
久保田さんはニッと笑う。
「中村さん群れないし、はっきりしてるから、正直怖がられてるんですよ、周りの人達に。その中村さんがくっついてる小平さんには、誰も手出しできませんよ」
「そうなんですか?」
久保田さんは大きく頷く。そして、声を潜めた。
「僕から聞いたって言わないでくださいね。僕も怖いんですから」
「久保田さんも?」
久保田さんは、また大きく頷いた。
「僕と須藤さんは敵認定されてるらしいんで、特に当たりがキツいんです」
「あ、そうなんですね……」
あれはキツい方だったんだ。
印象に残るのがそっちだったから、男性にはキツいんだと思ってたけど、そういえば他の人にはそこまでじゃない。ちょっとツンツンしてたり、冷ややかな対応、くらいだった。
「須藤さんは敵、って言うのは聞いたことあります」
「『私の千波先輩を取られた』からですよね。もう耳タコですよ」
2人で、ふふふと笑った。
あれ、じゃあ久保田さんはどうして敵認定されてるんだろう。
「他に、なにか……仕事内容のこととか?」
飛んで行きそうになった思考を、慌てて元に戻す。そうだ、私の話をしてるんだった。
「いえ、違います。私事なんです。申し訳ありません」
「私事、ですか……」
「大丈夫です。もう仕事には影響しないようにしますので。本当にすみませんでした」
再び頭を下げた私を、久保田さんはじっと見る。
弱いなあ、この顔。
でも、これ以上迷惑をかける訳にはいかない。
と、久保田さんが微笑んだ。
「大丈夫って小平さんが言うんなら、これ以上は聞けませんけど」
にこにこしてるけど、これは……黒い方だ。
「でも、大分悩んでるみたいだし、僕で良ければ聞きますよ」
えっと……私、どうして黒く微笑まれてるんだろう。
えーん怖いよー……こういう時は……。
「あのっ」
ガタン、と立ち上がる。
「す、すみません、仕事進めないと、納期に間に合わなくなっちゃうので。これ、ごちそうさまでした。まだ残ってるので、持ち帰ります!」
逃げるに限る!
私はカフェオレの入ったコップを持って、ぎこちなく笑った。
「お気遣いありがとうございました。では失礼します」
ぽかんとしている久保田さんを置いて、さささ〜っと別階を後にした。
なんで?なんであんな風に聞かれるの?
うっかりしゃべってしまいそうになったじゃないか。
仕事のことならともかく、プライベートでこれ以上迷惑かけたくない。
中村さんには愚痴をこぼしてしまっているけど、直接の上司でもない久保田さんに言える訳ないじゃない。
非常階段を2階分駆け上がって、立ち止まる。
息を整えながら、空を見上げた。
空を見ることなんて、忘れてた。
青くて、高くて、広くて。
なんだか、気が晴れた。
逃げるために言い訳してきたけど、本当に仕事を進めてしまおうと、ビルの中に入った。