夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
なんて……なんて眼福な食卓……!
太一と久保田さんは言うに及ばず、今日は中村さんもいる。
美形が揃ってる食卓。凄い贅沢‼︎
眩し過ぎて、胸がいっぱい。親子丼が飲み込めません……!
私が思わぬ幸せをかみしめていると、親子丼を一口食べた中村さんが目を見開いた。
「太一君おいしい!」
言われた太一は照れくさそうに頷いた。
中村さんは、親子丼をゆっくり噛んでいる。味わっているようだ。
「わかった、味付けが薄めなんだ。だから食べやすいんだね。いくらでも入りそう」
3口目くらいで中村さんが言った。
「そうですね。私が薄味だし、太一に料理を教えてくれた大家さんが、おじいちゃんの塩分制限があったから、そちらも薄味で。自然と太一も薄めになったんだと思います」
久保田さんも、頷いている。
「なるほどね、漬物もあっさりしてると思ってたら、そういうことだったのか」
今日も上品に、でもぱくぱく食べてくれている。
「この大根もおいしいよ、太一君」
太一は、また照れくさそうに頷いた。
可愛いなあ、もう。
にやにやしていると、それに気付いた太一が仏頂面に戻した。
それも可愛くて、更ににやついてしまう。
ああでも、そろそろやめないと本当に本気で怒られる。ごまかしで、味噌汁を手に取った。
「ところで、あんたの話はなんなのよ。ただご飯食べに来た訳じゃないでしょ」
中村さんは、太一に向けたのとは全然違う鋭い視線を久保田さんに向ける。
久保田さんは、いつも通り涼しい顔だ。
「中村さんに話しに来たんじゃありませんよ」
ひょうひょうとかわしている。
「ムカつく」
「それはどうも」
「あっ、あの」
このままではおいしいご飯が台無しになってしまう、と思って間に入る。
「久保田さんのお話というのは、今ここで話してもいいことですか?」
「今、この状況で、ってことですか?」
久保田さんは、ちらっと中村さんを見る。
「まあ、中村さんも知ってることみたいですから、構わないとは思いますけど……」
え、ということは、家のこと?
「じゃああの、食べながらで申し訳ないんですけど、お話していただけますか……?」
久保田さんは、にっこり笑って頷いた。
「僕の自宅は、久保田クリニックから駅に向かう途中にある賃貸マンションなんですけど」
詳しい場所を聞くと、わかった。
外観がクリーム色のマンションだ。多分5階建くらい。
「あのマンションは、僕名義なんです」
「……は?」
久保田さんの言ってることが、理解できない。
賃貸マンションが僕名義、って?
「元々は、祖父の持ち物で、亡くなった時に僕が相続したんですよ」
「……はあ……」
私も中村さんもぽかんとする。太一は無表情。多分意味がわかってない。
「それで、僕の自宅の真下の部屋が、空くんです。来月に。今住んでるのは、高齢のご夫婦なんですけど、ここの大家さんと同じで、お子さんと同居することになったんだそうです。だから、そこに入りませんか?」
だから、がどこからつながるのかよくわからないけど。
ん?今、なんて言った?
「聞いてましたか?」
「え……えっと……なんて?」
「僕の自宅の下の部屋が、来月空くんですけど、そこに入りませんか?って言いました」
一瞬の沈黙、の後。
「……は?」
私は声が出たらしい。自分の声なのに、遠くから聞こえた気がした。
中村さんと太一は、ぽかんと口を開けている。
久保田さんは、涼しげな顔で酢漬けのミニトマトを口に入れた。
「ああ、これはいいなあ、さっぱりしてて」
なんて言いながら、もぐもぐしている。
「あの、入りませんかって、どういう意味ですか?」
回らない頭でなんとか理解しようとする。
「その、空く部屋に住みませんか?っていう意味ですよ」
「え、えっと……」
「間取りはこれです」
久保田さんが、鞄からクリアファイルを出して、その中から紙を1枚出した。
「2LDKで、ご夫婦が多いけど、1人暮らしの人もいます。ファミリーもいますけど、お子さんは小さいです。あ、ここよりは、リビングの分広くなりますよ。太一君の部屋もお母さんの部屋もできます」
渡された紙には、よく不動産屋さんで見る平面の間取り図が印刷されていた。
確かに、ここよりは広いだろう。
そして家賃まで書いてある。
ここが破格だからなんだろうけど、額が全然違う。
「あの、とても良いお話なんですが、この家賃ではちょっと……」
高めでもいいとは思ってたけど、さすがに毎月払える値段じゃない。
「ああ、家賃は、ここと同じで構いません」
「は……?」
「管理費がかかるので、プラスこのくらいですね」
久保田さんが、賃料の横に書いてある数字を指差す。管理費としては妥当な金額だ。そして、予算に十分収まっている。
「そんな……そんなこと、できるんですか?」
久保田さんは、ははっと笑った。
「僕、大家ですから。ああでも、他の住人には絶対に言わないでくださいね。トラブルの元になっちゃうんで」
それはわかる。
「でも、今のところと同じ値段って……」
金額を伝えると、ああはい、と頷いた。
「構いませんよ」
「え、ここ、そんなに安いの?」
中村さんが驚いている。
「大家さんのご厚意なんです。やっぱり他の方には内緒でしたけど」
大きなお腹を抱えて、不安しかなかった私に、弥一郎さんと弥生さんはとても親身になってくれたのだ。
家賃だけじゃない。絶妙な距離感で、生活全般をフォローしてくれた。
おかげで、私達母子は生きてこられた。
「怪しい」
中村さんが、久保田さんをにらみ付ける。
「あんたのその顔は、なにか企んでる顔よ」
久保田さんは、腹黒笑顔で中村さんに微笑む。
「やだなあ、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
「いや、絶対なにかある」
「なにもありませんって」
「嘘つくんじゃないわよ。そんないい話には絶対なにかウラがあるに決まってる」
「僕だって損得抜きで動く時はありますよ。困ってるから、力になりたいだけです」
なにかはありそうだけど、この言葉には嘘は無さそうだ。
とはいえ。
「でも、あの、いくらなんでもそんなに甘えることはできません。お話はありがたいですけど……」
悪い人じゃないのはわかってるけど、だからって甘えていい家賃の差額ではないと思う。
そう言った私に、久保田さんはにっこり笑った。
「甘えるって。家賃はちゃんといただきますから、甘えじゃありませんよ」
「でも、私達じゃなければ、規定の額が払える人が入るんだから、そっちの方がいいんじゃ……」
「まあそれはそうですけど……人が入らないこともありますし、審査とか結構面倒なんですよね。その点、小平さんと太一君ならもうわかってるし問題ありませんし」
言ってることはわかるけど。
何しろ急過ぎて、それがいいのか悪いのか判断もつかない。
正直言って、条件としては最高以上だ。
どんなに探したって、これよりもいい物件なんてない。
今と生活圏が全く変わらないし、なにより太一を転校させなくてもいい。
これで、私が家賃をちゃんとした額で払えるなら、喜んで入らせてもらうのに。
「まだお会いして間もないのに、そこまでしていただく理由がありません」
私がそう言うと、久保田さんは首を傾げる。
「理由……さっき言いましたよ。困ってるから、力になりたいだけです」
「それだけですか?」
「それだけです。僕はそんなに親切な人間じゃありませんけど、困っている同僚を見捨てるほど薄情でもありません。下の部屋が空くのは本当に偶然で、週明けから次の人を捜し始める予定だったんです。たまたま小平さんが困っていて、たまたま僕が助ける術を持っていた。それだけですよ」
ボールペンがなくて困ってたから貸した、みたいな軽さで、久保田さんは言う。
でも、家だよ⁈
「まあ……疑う気持ちもわかりますけど。特にウラはありませんよ。賃貸契約はきちんと交わしますから、後からやっぱり家賃を戻すってこともありません」
久保田さんの顔は真面目。
信じていいんだろうけど。
黙り込んだ私に、久保田さんが呟く。
「やっぱり何もなしじゃ駄目か……」
目の前の親子丼をじっと見て、私と太一を交互に見た。
「そうだなあ、じゃあ……小平家の夕ご飯に、僕を混ぜてもらえませんか?」
私、太一、中村さん。3人共、また言葉が出てこない。
さっきよりも長い沈黙。
立ち直りは、私が1番早かった。
「あの、夕ご飯、ですか?」
おずおずと聞くと、久保田さんはにっこり頷く。
「はい、夕ご飯です」
聞いたはいいものの、理解はあまりできていない。
夕ご飯に混ぜてもらえませんか。
確かに、そう言ったよね。
夕ご飯に混ざるって、一緒に夕ご飯を食べるってこと?家で?久保田さんが?
「平日だけで構いませんよ。期間は、そうだなあ……部屋の契約更新と同じで2年でどうですか?部屋と一緒に更新してくってことで」
「え……あの、平日に、我が家の夕ご飯、で、すか?」
「はい」
「今みたいな、普通のご飯ですけど……」
「はい」
確かに昨日、太一のご飯がおいしかった、と久保田さんは言っていた。ぐっすり眠れて、体調も良かった、と。
でも、それだけだよ?
別に家に来なくたって、今時はコンビニでだって、栄養を摂れる食事は充分に買える。外食だって、いろんなお店がある。
手作りがいいなら、久保田さんならご飯くらい作ってくれる人はいくらでもいそうだし、お金をかけていいなら人を雇うって方法もある。第一今まではどうしてたのよ。
久保田さんは、太一に向かって微笑んだ。
「この前の親子丼もおいしかったよ。あの後、しばらく体調が凄く良くてさ。食事って大事だなあって実感したんだよね」
太一はなんとなく頷いている。でも相槌を打ってるだけで、理解はできてなさそうだ。
「それなら外食だって中食だっていいじゃない。手作りがいいなら、あんたのファンの誰かに作ってもらえば?あんたがちょっと頼めばご飯くらい作ってくれる女はゴロゴロいるわよ」
中村さんが私が思ってることを言ってくれている。
そうよ。何も我が家の適当節約ご飯じゃなくてもいいじゃない。
「そういうのは……変な誤解を招きそうじゃないですか」
「そんなの、あんたならちょちょっと上手くあしらえるでしょ」
「うーん……今はちょっと」
久保田さんは笑ってごまかしている。
「なによそれ。あんたの都合で小平さんと太一君を振り回すんじゃないわよ」
「振り回してる訳じゃありませんよ。ただ家賃を安くするのは引っかかりがありそうなので、じゃあ代わりに夕ご飯に混ぜてくださいって言ってるんです」
「あんたそんな時間ないじゃない。いっつも残業してるくせに。夕飯の時間には間に合わないでしょ」
「時間はなんとでもなりますよ。もちろんお互いに都合が悪い日もあるでしょうから、それは連絡し合うってことで」
2人の会話を聞いているうちに、やっと頭が追い付いてきた。
でも、やっぱり判断ができない。
予想外過ぎて、判断材料がないのだ。
それに。
「あの、我が家の夕ご飯というのは、今はほぼ太一が作ってるんですが……」
「はい」
それが何か?と言いたげな顔だ。
「家の夕ご飯に混ざるとなると、太一の作ったご飯を食べることになりますけど……」
「はい。太一君が作ってくれるなら嬉しいです。あ、もちろんお母さんと、どちらが作っても嬉しいですよ」
久保田さんは、にっこり笑った。
「混ぜてもらうんですから、今まで通りにしてください。ちょっと多く作って、それを分けてもらうっていう感じに考えてもらえれば。もちろん、食費は出しますから」
「え、家賃の差額分なんですよね。食費をいただいたら意味がないんじゃ……」
「作ってもらうのが、もう立派に差額分ですよ。それ以上の負担はかけません」
納得しちゃいそうだけど、上手く言いくるめられてる気がする……。
駄目だ、このままでは正常に判断ができない。
「あの、大変いいお話だと思うんですが、ちょっと考えさせていただけませんか……?太一とも話さないといけませんし」
「急がせるつもりはありませんよ。ゆっくり考えてください。こちらは来月には空きますから、清掃と設備点検をして、その後の入居になります」
久保田さんは、さっき出した間取り図をファイルに挟み、私に差し出す。
目の前に出されたので、受け取ってしまったけど。
本当の話なんだろうか。
とにかく現実味がなくて、夢みたい。
目が覚めないことを祈りたい。
話していたのに、久保田さんは出されたご飯を全て食べ終わり、手を合わせている。
他3人は、まだ半分以上残っていた。
とにかく食べましょう、と箸を進める。
私達が食べている間、使った食器を台所に運んだ久保田さんは悠然と窓の外を眺めている。
絵になるなあ。
太一も顔の造作はいいんだけど、なにせまだ小学生だ。絵になるまでには至らない。
気付かれないように、ちらちらと見ながらご飯を食べていたら。
「ああ、そうだ」
久保田さんが、何かを思い付いたらしい。
「家、見に来ますか?」
私はうずらの卵を口に入れたばかりで返事ができなくて、目を久保田さんに向けた。
「内見の代わりです。下の部屋はまだ人が住んでるので、僕の部屋を見てみたらどうですか?間取りと設備は同じですから」
内見。そういうものがあったことを思い出した。
「見てみないと、実際の生活を想像できないでしょう?話し合う時の、判断材料にしてください」
「そうですね……」
考えてしまう。判断材料がほしいことはほしいんだけど……とにかく何もかも急過ぎる。どこまで何を進めたらいいかわからない。
そうしたら、久保田さんの真向かいから声が出た。
「私も行く」
「えっ?」
中村さんが言ったのだ。
「私も行って、一緒に見る。第三者の冷静な意見も必要でしょう?」
それは……確かにそう思う。
「後ろ暗いところがないんなら、私が行っても問題ないわよね?」
中村さんに睨まれながら、久保田さんは苦笑した。
「いいですよ。全く問題ありません」
「じゃあ、食べ終わったら行きましょう」
中村さんに言われて驚く。
「えっ、今日⁈」
「そうよ。このまま一緒に行けば、こいつは何も小細工できないから、ちょうどいいわ。ねっ」
太一に同意を求める中村さん。
いやいや、太一は何も考えてませんから。
「小細工なんてしませんよ。本当になにかするつもりならもうしてます」
「その発言自体が怪しい」
中村さんは、久保田さんを信用する気はないらしい……。
そのやりとりを、太一はぽかんと見ていた。
「もちろん太一君も来るよね?」
「えっ?」
急に久保田さんに振られて驚いている。
どう答えたらいいのかわからないんだろう。私に視線をよこした。
「あの、突然でご迷惑じゃ……」
私も、何を言ったらいいかわからず、無難な言葉しか出てこなかった。
久保田さんは、そんな私達に爽やかな笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ」
その笑顔は黒くない。と、思う。
中村さんをちらっと見ると、力強く頷いた。
太一は……目が点になってる。まあね、私だってどうしたらいいかわからないんだもの。
それなら、動くしかないんじゃないかと思った。
「じゃあ……見るだけ見てみます……」
久保田さんは、にっこり頷いた。