夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜

 帰り道、久保田さんのマンションの前を通る。
 太一が、マンションを見上げながら歩く。
 その横顔に、問いかけてみた。
「太一は、どう思う?」
「なにが?」
「引っ越し」
 言ってから、少しの間太一の顔を見る。
 太一は眉根を寄せて、私を見た。
「引っ越しの、なに」
「なんでも」
「はあ?」
「太一の考えてること、全部聞きたい」
 普段、あまり『話し合う』ということをしない私達母子。
 なんとなくお互いに何を考えてるかわかるから、ついつい話さずに済ませてしまうことが多かった。
 でも、最近は太一が無口になってきて、私の予想とは違うことを考えているかもしれないと思っていた。
 今回は、ちゃんと聞きたい。
「太一はどうしたい?」
 いつのまにか、足が止まっていた。
 太一が久保田さんのマンションを見上げる。
「ここに来るんじゃなかったら、どうなるの?」
「うん……家賃が払えて、今くらいの広さのところだと、大分遠くに引っ越すことになるかなあ……」
「どのくらい?」
「多分、ここから電車で2時間くらい……かな」
「とおっ」
「今の給料だとそうなっちゃうんだよ」
 太一は頷いて、ちょっと考える顔をした。
「2時間も通うの?今の会社」
「そうなるね」
「今よりも早く出て、帰りは遅くなる?」
「まあ、当然そうなるね」
 太一は止まったまま、考えている。
 何を考えてるんだかわからないけど、とりあえず歩き出そうと促す。
 ちょっと歩いて、アパートが見えてきた時、太一が口を開いた。
「どっちにしろ、僕が夕ご飯を作るのは変わらないよね」
「……そうだね。でも無理しなくてもいいんだよ。」
 太一は頷いた。
「僕は作ってもいいよ、夕ご飯」
 決意の表情だった。
 急に、大人の顔に見えた。
「それは……久保田さんの分もってこと?」
 太一がまた頷く。
「あの人、凄く綺麗に食べてくれるよ」
 無表情を装っているけど、嬉しそうだ。顔がほころんでいる。
 ああ、だから最初はツンツンしてたのに、今日はちょっと友好的だったのか。
「……そっか」
「それに、転校しなくて良くなるんでしょ?」
「うん……」
「美里ちゃんも言ってたじゃん。楽な方を選んだら、って」
 私は目を点にした。
「みさとちゃん……?」
 太一の顔を見ると、照れくさそうに口をとがらせた。
「そう呼べって言われたから……」
 顔がちょっと赤くなってる。
 美里ちゃんとは中村さんのこと。会社でそんな風に呼ぶのは本田さんと、本田さんの同期で親友だと聞いている経理の筒井さんくらいだ。
「ああ、まあ、本人がそう言ってるならいいんだけどね……」
 太一が、恥ずかしさを隠すように言う。
「とにかく、僕はいいよ。夕ご飯作るよ、あの人の分も」
「……お母さんだけじゃなくて、他人に作るんだから、今までみたいにはいかないかもよ?」

 そう。主に精神的に。
 久保田さんは、普段通りでいいと言ってくれているけど、そんな訳にはいかないという心理は絶対に生まれるはず。
 太一は責任感の強い子だから、きっと自分で自分にプレッシャーをかけてしまうと思う。

「うん。でもさ、あの人においしいって言ってもらって、嬉しかった」
 私の心配をよそに、太一は目を輝かせる。
「お母さんも弥生ばあちゃんも、僕が作ったらおいしいって言ってくれるけど、それって当たり前じゃん」

 身内だから。そうじゃなくても『おいしい』って言ってくれるから。

「でも、あの人がおいしいって言ってくれて、食べるの見てたら、それは嘘じゃないってわかったから、凄い嬉しかった」

 初めての他人の感想。それは予想外に嬉しかったんだろう。

「だから、また作ってもいい」
「……そっか」

 なんとかなるか。
 作るのは、太一じゃなくてもいいはずだ。私が作ってもいいと言ってたし、『小平家の夕ご飯に混ぜてください』と言っていたんだから。
 というか、太一にだけ負担をかける訳にはいかない。

「お母さんもやる」
「は?」
「お母さんも作るよ、夕ご飯」
「2人で作る必要ないじゃん。それに、お母さんができないから僕がやってるんだし」
 せっかくの母の決意に、太一は冷めた視線をよこす。
「副菜作りおきとかさ、できることはあるよ」
「まあ……好きにすれば」
 ああ、これは全く期待されてないな。口だけだと思われてる。
「手抜きでいいって、ちゃんと交渉してよ」
「『交渉』なんて言葉知ってたの?」
「知ってるよ」
「へえ〜」
「バカにしてんでしょ」
「してないしてない。わかった、そこはちゃんとするから」

 本当は、夕ご飯なんて気にしないで、毎日のんきに過ごしてほしいけど。駄目な親だと思うけど。

「あのキッチン、使ってみたい」
 そう言う太一は、ワクワクしているようで、頼もしく見えた。




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