夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
それからは、あっという間だった。
日常生活を送りながら、マンションの契約、引っ越しの手配、準備に追われた。
弥生さんには、引っ越しすることだけを報告した。夕ご飯のことは、心配をかけてしまいそうだから言わなかった。
事情を話したら、久保田家が元はこの辺一帯の大地主だったことを教えてくれた。
「地主だなんて、今はもうあんまり関係ないと思ってたけど、やっぱり久保田家ねえ」
と、感心していた。弥生さんは、真理子先生と幼なじみらしい。弥生さんの方が年は上だけど、幼い真理子先生とよく遊んでいたそうだ。
弥生さんは、私達よりも少し後に引っ越すことにすると言っていた。
私達が引っ越す前日の夜、弥生さんがお家に招いてくれて「引っ越し祝いよ」とパーティーをしてくれた。
太一が大好きな弥生さんのから揚げ、私が大好きなナスの煮びたし。他にもいろいろたくさん並んでいた。
私も太一も泣きそうになったけど、必死で堪えた。
今度は、弥生さんの引っ越し前に、私達の新居でパーティーをすることを約束した。
太一は、帰ってから泣いていた。お風呂の時に、1人で。
しゃくり上げる声が聞こえてきた。
上がってきた太一の目は真っ赤に腫れ上がってて、でも私には気付かれないように平然としてたから、知らない振りをしてあげた。
そんなに多くないはずだったけど、全ての物がなくなった部屋は、ガランとして、妙に淋しさを感じさせた。
「ここ、広かったんだね」
太一がぽつんと言った。
「そうだね。引っ越してきた時もそう思ったよ」
「僕が生まれる前?」
「うん。最初は、最低限お母さんが生活できるくらいの物しかなくてね。今みたくガランとしてたけど、でもね、安心した」
太一がきょとんとしている。
私は、あの時のことを思い出した。
「お腹の赤ちゃんと一緒に、ここにいられるんだなあって思って、なんかホッとしたの」
あの時も住むところがなかなか見付からなくて困っていたら、ちょうどここが空いたのだった。
不動産屋さんが「ここ以外有り得ない‼︎」というアパート。もちろん、弥一郎さんと弥生さんご夫婦の人柄込みで、のイチオシ物件だった。
「もう10年以上もたったんだよねえ……」
ため息と共に言うと、ノックがして、ガチャッとドアが開いた。弥生さんだった。
「写真撮ろうと思ってね。記念に」
にっこり笑って、弥生さんはスマホを出した。
「撮ってあげるから、ほら並んで並んで」
言われるがまま、太一と並ぶ。
私と太一、太一と弥生さん、弥生さんと私、セルフで3人で。
部屋の中、アパートの前、それぞれ撮って、弥生さんは私と太一に写真を送ってくれた。
「もう行きなさい。向こうで荷解きしないとね」
「弥生さん……」
鼻がツンとなって、言葉が出てこない。
弥生さんが、私の顔を見て優しく笑う。
「やあね歩実ちゃん、新しいお家はすぐそこよ」
弥生さんは私の肩をそっと抱いてくれた。反対側には太一。太一は淋しそうな顔で、弥生さんに体を預ける。
「いつでも来てくれていいんだからね。来月までは、ここにいるから」
私達の頭をなでて、弥生さんは目を細めた。
「来週、招待してくれるんでしょう?」
私は頷くしかできない。太一が代わりに返事をする。
「カルボナーラ、頑張るから」
それは、弥生さんの大好物。
太一がネットで見付けたレシピ。
「楽しみにしてる。歩実ちゃんの“はっと”もね」
“はっと”とは私の出身地の郷土料理。
はっと汁とかはっと鍋とも呼ばれていて、すいとんに似てるけど別の料理らしい。確かに食感が違う。でも、他人に説明する時は面倒だから『すいとんです』と言っている。
「カルボナーラと“はっと”って合うかなあ」
私が苦笑して言うと、弥生さんも笑った。
「いいの、好きなんだから」
「しかもどっちも炭水化物だし」
「じゃあ“はっと”に野菜たっぷり入れてね」
私は頷いた。
弥生さんの目尻にも、少しだけ涙がたまっていた。
「たいちゃんも、カルボナーラに野菜入れてね」
弥生さんは太一を『たいちゃん』と呼ぶ。赤ちゃんの時から変わらない。
太一は苦笑して答える。
「タマネギくらいしか思い付かない」
「お得意の検索、してちょうだいよ。いいレシピあったら教えてね」
太一も涙をこらえているみたいに、顔を歪ませて頷いた。
弥生さんは、優しく笑って、私達をもう一度抱き寄せた。