夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
9.圭
彼女達母子が引っ越してきた。
同じマンション、僕の部屋の真下。
偶然が重なって、それを最大限利用した。
どうやって彼女との距離を縮めようかと思っていた僕にとって、これはまさに好機だと思った。
だから、すかさず動いた。
下の部屋が空くことは知っていた。僕が大家だと知っている夫婦は、丁寧に挨拶に来ていた。
管理を任せている不動産会社からも連絡が入っていて、次に貸すために店頭やインターネットに出す予定だった。駅からもほど近く、便利な場所にあるから、出せばすぐに借り手は見つかってしまう。
彼女からアパートの話を聞いて、すぐに不動産会社に連絡をした。新しい借り手が見つかったから、と。
そして、彼女達に部屋を貸すための手配を整えて、話をしに行った。
ただ。
部屋が空いたからといって、彼女達がすんなり来るとは思えなかった。
一番の理由は、家賃。今のアパートよりは格段に高いに違いない。
それは、僕が大家だからどうにでもなる。とはいえ、純粋な厚意で家賃を安くする、と言われても信用できないだろうし、それに甘えてくる人だとも思えなかった。
彼女の仕事を見ればわかる。正確で真面目、なにより誠実。
予想通り、話を聞いた彼女は戸惑いを見せて、そこまでしてもらう理由がない、と言った。
確かに、ただ同じ会社であるというだけではここまでしない。でも、正直な理由を言うのは早過ぎる。
「やっぱり何もなしじゃ駄目か……」
でも、彼女達にとっては最高の条件のはずだ。何より太一君を転校させなくて済む、と彼女なら考えるだろう。
これ以上の物件なんて、絶対にない。
納得できる理由があれば、きっと入居するはず。
何か理由を……こじつけてでも……。
ふと、目の前の親子丼に目がいった。
鮮やかな黄色。
それから。
大人達のやり取りを見ている太一君。ちょっとぽかんとしているのが可愛いと思う。
黙り込んで考えている彼女。その表情にも惹き付けられる。
この前の、幸せな気分を思い出した。
最初から、何故かホッとする雰囲気の家だった。1人の気楽さとは違う、安心する暖かさ。
純粋に、思ったことが口から出た。
「そうだなあ、じゃあ……小平家の夕ご飯に、僕を混ぜてもらえませんか?」
自分でも、突拍子もない提案だと思った。
案の定、目の前の母子とついでに中村さんは、目を点にしている。
その間に、母子にあまり負担をかけない条件を考えた。
平日の夕ご飯のみ、都合が悪い日は無し、自分の食費は出す、メニューは特に気遣いなく今まで通り、期間は部屋と同じ2年で、更新していく。
我に帰った彼女に条件を伝える。
彼女は怪訝そうな表情だ。『なんでウチの夕ご飯?』と顔に書いてある。
目的は、夕ご飯そのものじゃないんだけどな。
中村さんが敏感にそれを察知したらしく、キャンキャン噛み付いてくる。
「ウラがある」って言われてる。
ある。まだ表には出せないけど、下心は大いにある。
中村さんは、割と早くから僕の気持ちには気付いていたらしい。彼女が熱を出した時、お見舞いに行こうとした中村さんの邪魔をしてから、いつもよりも攻撃が鋭くなった。そして、彼女との仲の良さをアピールしてくる。
しかし変わらないな、この人。昔から、自分が気に入った人を取られそうになると、攻撃してくる。別に中村さんから取り上げる気はないんだけど。彼女のためにも、中村さんのためにも、仲良くはしてほしい。
その攻撃をかわしながら反応を待っていたら、彼女が『考えさせてほしい』と言った。
即断で断られなかったことに、ホッとした。
資料を渡す。受け取ってくれたことに、またホッとする。
仕事と違って、全然余裕がない。
表面上はなんでもないようにしているけど、心臓の動きは早い。緊張している。
もし、彼女に拒否されたら。そして、太一君が少しでも嫌がったら。そうしたら他の方法を取るしかないけど、この提案を受け入れてもらうのが、一番早いんだ。
夕ご飯のことはともかく、家賃のことをクリアすれば、おそらく来てくれるはず。
なにかもう一押しできれば、と考える。
そういえば、今日は中村さんがいる。中村さんに一押ししてもらえれば、彼女も動くんじゃないだろうか。
と、ふと思い付いた。
「家、見に来ますか?」
内見の代わりに、と提案した。
僕の部屋なら間取りは同じだし、物が少ないから空っぽの部屋も想像しやすいだろう。
そして、こんな風に目の前で誘えば、中村さんが自分も行くと言い出すはずだ。
彼女達にとって、いい条件が揃っているのは中村さんもわかるだろう。実物を見て、問題が無ければ、きっと彼女に勧めてくれる。実用主義の中村さんなら、家賃は安いに越したことはないと思うはずだ。
案の定、中村さんは「私も行く」と言い出した。今から行けば小細工できないから、と言っている。そんな自分が小細工に利用されてるとは思っていないらしい。
余りに思い通りに動いてくれる中村さんに、苦笑がもれた。ツンツンしてるように見えて、人が良いのは相変わらずだ。
ぼーっとしている太一君にも声をかける。突然の事態に、困ったように母親を見る。
彼女は、雰囲気に押され気味に、でもしっかりと「見るだけ見てみます」と言った。
嬉しくて、そしてホッとした。
目の前の実物には弱いものだ。実際に見たら、きっと入居を決めてくれると思う。
そう信じて、彼女達を案内した。