夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
夕ご飯に招待されたのは、確認の意味だったらしい。いつもと同じご飯を出して、これで本当にいいのか、ということだ。
僕には全く異存はない。
ご飯もおいしいし、彼女達と一緒に過ごす時間が持てるのだ。
あの幸せな気分を毎日感じられると思うと、つい浮かれてしまう。
意思確認をして、頭を下げて、穏やかに微笑み合った。
さて、ここからだ。
物理的な距離は縮まった。同じマンションの上下の部屋なんて、理想的だ。
もっと言えば同じ部屋でも良かったけど、それはさすがに断られるだろう。でも、下の部屋が空くんでなければ、僕の部屋を空けて、僕は実家に戻ってもいいと思っていた。
そこまで思えるなんて、自分でも驚きだ。
こんな風に、自分から誰かと関わろうとしたことは今までなかった。特に女性は。
だから、どうやって心の距離を縮めたらいいのか、わからない。
とにかく近くにいること。
これは、以前、営業一課の筒井課長が、奥さんとのノロケ話の中で言っていた。
奥さんは、ウチの会社の『スーパー経理』筒井恭子課長補佐。新入社員として出会い、筒井課長が一目惚れしたんだそうだ。
そして、近付くために取った作戦がこれ。
一緒にいる時間を増やして、意識してもらう。
チャンスを見計らって、押せる時には押しまくる。
とにかく用事を作っては経理に通う。
そして、可能な限り恭子さんに担当してもらう。
恭子さんは、最初は全く応じなかったけど、そのうち根負けして、付き合ってくれるようになったらしい。そして課長は押しまくって、結婚するに至ったんだそうだ。
一晩中聞かされたノロケ話のその作戦を、真似をしてみることにした。
とはいえ、会社では仕事が忙しいし、外出もしてしまうと、彼女には会えない。
引っ越しまで我慢するしかない。
彼女達が引っ越してきてからは早く帰りたいから、その準備や根回しも始めていたから、更に時間がなかった。
周りはみんな帰った残業中。人がいなくなってから数分後。
「利用された気がする」
声の主は中村さん。入ってすぐのコピー機に寄りかかっている。帰り支度は済んでいるようだ。
どうやら、僕の小細工に利用されたことに気が付いたらしい。
「お疲れ様です。残業ですか?ここに来るなんて珍しいですね」
素知らぬ顔で返したら、顔を歪めてチッと舌打ちをした。
「聞いた。引っ越し、決まったんだってね」
「引っ越しはまだですよ。契約の日が決まっただけです」
「あんたのその微妙なはぐらかしは好きじゃない」
「それはどうも」
中村さんは、また舌打ちをした。
これがなきゃ可愛さ3割増しなのに、と前に言ったことはあるけど、全く聞いていないらしい。
「ひとつ貸しよ」
「なんのことですか」
「とぼけんな。今のでよくわかった。必ず返してもらうから」
……ということは、彼女に何か言ってくれたんだな。引っ越しを後押しするようなことを。
「それと、あんたが何か変なことしたら、抹殺してやるから。覚えといて」
「抹殺って、怖いなあ。それに、変なことってなんですか」
いつのまにかすぐそばに立っていた中村さんは、低めの声を更に低くして潜めた。
「あの親子を不幸にしたら、許さない」
誰かがフロアにいても、僕にしか聞こえないくらいの声。
他には誰もいないけど、万が一、誰かに聞かれて噂にでもなったりしたら、彼女に迷惑がかかるから。
そこまで気を遣っている中村さんを、これ以上はぐらかすのも失礼だ。
僕も、真剣に真面目に答えた。
「不幸になんか、しません」
中村さんは、しばらく僕の目をじっと見ていたけど、フンと鼻で笑った。
「その言葉、一生忘れるんじゃないわよ」
一生。ということは。
「認めてくれるんですか?」
「そういう訳じゃない」
「あれ、違うんだ」
「少しでもマイナス要素があったら、即抹殺」
「そんなことにはしませんから、安心してください」
「安心なんか絶対にしない」
そう言って向けた背中に言った。
「ありがとうございます」
中村さんがピタッと止まる。
「……別に、あんたのためじゃない」
振り返らず、そのまま。
「それでも、ですよ」
「……あそこに引っ越すのが、一番いいと思ったから……だから、あんたにお礼を言われる筋合いはない」
そう言って、フロアを出て行った。
フロアのドアはガラスだ。
映った中村さんの顔は、アニメで見るようなツンデレ顔そのものだった。
素直じゃない人だ。苦笑が漏れた。