夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
今日のメニューは、麻婆豆腐丼、大根と油揚げの味噌汁、蓮根のきんぴら、白菜の浅漬け。蓮根は昨日の残り物。
「おいしそう」
久保田さんがそう言って、目を輝かせながら運ぶのを手伝ってくれる。
一旦家に帰って着替えた久保田さんは、昨日と同じようなパーカーとスウェット姿。ラフでもやっぱりかっこいい。
こぼさないように、慎重にお盆を持って歩く。
太一が3歳くらいの頃、そんな風にお手伝いしてくれたなあ、と思い出した。お皿はしっかり持って、よそ見はしないで、と言い聞かせて。
「いただきます」
3人で手を合わせる。
今日も久保田さんはパクパク食べてくれる。
おいしそうに食べるなあ、この人。
「……麻婆豆腐が辛くない」
半分くらい食べたところで呟いた。
太一が目を丸くしている。
私は焦ってフォローした。
「あの、私があんまり辛いのが得意じゃなくて、太一もまだ大人の辛さには慣れてないし、いつもこうなんですけど……辛い方が良ければ、久保田さんのは何か足しますよ、ラー油とか。今日は用意が無いので、次から」
「あ、いえ、そうじゃないんです、足さなくて大丈夫です。いや、辛くなくてもおいしいんだなって思って。なんでかな、味は麻婆豆腐なのに」
太一と私は顔を見合わせる。
特別なことなんて、何もしてないはずだ。
「素は甘口だけど……」
首を傾げながら、太一が言う。
久保田さんも首を傾げている。
同じ仕草で、ちょっとおもしろい。
「これも、味は薄くしてあるんだよね。どうやって?」
「……どうやって……?」
太一は更に首を傾げる。
私が慌ててフォローした。
「太一は、多分味を薄めてるって感覚は無いと思います。最初からこの味で、作り方もずっと同じなので」
「ああそうか。意識してないんですね」
太一はぽかんとしている。そうだよね、太一はいつもと同じく作っただけだからね。
「作り方はパッケージに書いてある通りですけど、具を足すんです。ひき肉と長ネギと、今日はあとは?」
足す具はその日にある物を使うので、そこは太一に聞かないとわからない。
「エノキと、シメジと、タマネギと、ナス」
「ナス?」
それは私も入れないよ。
「ナスなんか入ってた?」
「細かくして、入れてあるよ」
ほら、と、自分の丼からすくって見せてくれる。
スプーンの上に、すっごく小さくて四角いかたまりが乗っていた。
これは言われなきゃわかんないな。
「ほんとだ」
久保田さんも、自分の丼からナスをすくいだして、しげしげと眺めてる。
「ナスは他の材料の味を吸って、おいしくなるからって、弥生ばあちゃんが」
「確かに、そうかも。さすが弥生さん」
久保田さんもうんうんと頷く。
「いろいろ入ってるから、味が複雑になって、おいしく感じるんだなあ、きっと」
そうして、またにこにこして食べ始めた。
今日のご飯も口に合うらしい。
良かった。
世界が変わる程じゃなくても、ウチのご飯で体調も機嫌も良く過ごせるんなら、こちらも作りがいがある。
「ごちそうさまでした」
とてもいい表情で、手を合わせる。
太一も、嬉しそうだ。私も嬉しい。
初日としては、上出来じゃなかろうか。まあ、昨日も一緒だったから初日って感じがしないけど。
久保田さんは、やっぱり自分が使った食器をキッチンに持って行ってくれた。
太一が食後の麦茶を入れて、久保田さんはリラックスモードでそれを受け取る。
「太一君、ここの使い心地はどうだった?」
「良かったです」
即答だ。なんだかやたらと機嫌が良さそうだったのはそのせいか。
「水出しやすいし、お湯出るし」
ガクッ。そこか。
確かに私もそう思ってたけど。
前のアパートは、ひねらないと水は出ないし、お湯は古い瞬間湯沸かし器で温度調節しづらかったしね。
ここはさすがにレバー式で、ボイラーをつけておけばいつでもちょうど良い温度のお湯が出る。
「広いから、作ってる途中のとか、いろいろ置けるし」
ぽつぽつと言う太一に、久保田さんは嬉しそうに頷く。
「そっか、良かった」
「お風呂も、楽になったし」
そうそう。前は、水を張ってガスを点けて30分。うっかり時間を過ぎると凄く熱くなったりして。シャワーも一応付いてたけど、お湯を出してからちょうど良い温度になるまで、毎回毎回少し待たないといけなかった。
ここは、スイッチ一つで自動で設定した温度と量のお湯を張ってくれる。
初日に、私と太一はお湯が出てくる様子を見て『おお出てきた!』なんて言って、2人してはしゃいだ。
というのは恥ずかしくて言えないけど。
「ところでこれは……?」
久保田さんが、側に置いてあった食パンのティッシュを手に取る。
帰ってからすぐに、私と太一で開けて『可愛い!』とはしゃいだ後、早速ボックスティッシュをセットしたのだ。
「中村さんからの引っ越し祝いです。各部屋に一つずついただいたんですよ。太一がお願いしたんだそうで」
「なんか贈りたいって言ってくれたから……」
自分から言い出したのではない、と主張したいらしい。
久保田さんには伝わったようで、はははと笑った。
「断れなかったんだね。わかるわかる、そういう時は強引だからなあ中村さん」
さすが、よくご存知で。
「でもこれはちょっといいかも」
パンの上部分はふかふかで、そこをぽんぽんと叩いている。なんか可愛い。
ふかふか、で思い出した。
「そうだ、マットレス届いた?」
太一は頷く。
「セットしていってくれたよ」
「じゃあ今日からベッドで寝られるね」
多分、私の顔はニヤついていたんだと思う。
太一はムッとして頷いた。
実は、太一はまだ私の部屋で、布団を並べて寝ている。
初日に「落ち着かなくて眠れない」と言って、布団ごと移動してきた。
今まで狭い部屋に2人でギュッと収まっていたから、慣れないんだろうとは思うけど。せっかく自分の部屋ができたのに、もったいない。
でも、私もいきなり広い部屋で、1人で寝るのはちょっと淋しいなって思ってたから、嬉しかった。
眠る前に太一と少し話したら、落ち着かないっていうよりは怖いんだということがわかった。
まだ小学生だもんね、と思うと、可愛くて、ついからかってしまう。
「小平さんは、ベッドは使わないんですか?」
久保田さんに聞かれる。
「私は、もう少し後でいいかなって思ってました。ベッドって慣れてないし、落ちそうだし」
何より、先立つものが乏しいし。
これが一番の理由。恥ずかしいから言えないけど。引っ越しって、なんだかんだでお金かかるんだよね。
「どこにどう置くかとか、まだ全然決められないし……」
そう、これも大きな理由。
あれよあれよという間に引っ越してきたから、とにかく移動しただけで、ここでの生活プランがまるでないのだ。
「だから、新しく家具を買うのは、もう少し後にしようと思ってます」
私がそう言うと、久保田さんはうんうんと頷いた。
「考える時間はたっぷりありますしね」
「はい。それも楽しいです」
その間に、先立つものも用意できるしね。
「また車出しますから、買い物したい時は言ってください」
笑顔でそう言う久保田さんに、私は戸惑う。
休みの日って、予定とかあるんじゃないのかな。
ついでがあるならその方が楽だからお願いしたいけど、わざわざそのためにっていうのも悪いし……。
一瞬でそんなことを考えて。
「ありがとうございます」
無難にそう返したら、顔に出ていたらしい。それを読み取った久保田さんが苦笑する。
「休みの日は予定もありませんから」
「……そうなんですか?」
「大抵、寝てるか仕事してますね」
「えっ……」
平日にあんなに仕事してるのに、まだ仕事?
「することがなくて。ついやっちゃうんですよ」
趣味とかないのかな。友達と会ったり、誰かとデートしたりしないのかな。遊ぶ友達は多いって、中村さんが言ってたはずだけど。
「たまに実家に呼び出されるくらいで、あとはほとんど家にいますよ。運動はたまにしてますけど。駅前のジムに登録してるので、気が向いたら行きます」
「へえ……」
駅前のジム。そんなのあったっけ。自分には関係ない場所だと思って、目にも入ってなかった。
「本読んだり、映画みたりもしますけど、まあ家にいることには変わりないんで。いつでも言ってください」
そう言ってもらえるのはありがたいけど。
でも、足代わりに使うなんて、そんなことできる訳がないし。
やっぱり無難な返事しかできなかった。
「ありがとうございます。じゃあその時は、よろしくお願いします」
久保田さんは、一瞬黙って、フッと笑った。
「本当にいつでもどうぞ」
それは、優しくて、なんだか包まれるような笑顔だった。