夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
11.圭
とにかく近くにいること。
引っ越しの次の日から実践した。
昨日の荷解きの時にさりげなく聞き出した、彼女達の今日の予定。
午前中はちょっとゆっくり起きて片付けの続き、午後は「買い物行こうかな……ネットの方がいいかな……」と呟いていた。細々したバス・トイレ用品や、キッチン雑貨を買いたいけど、一気に買うと太一君と2人では持つのも辛いし、配送にするかネットショッピングにするか、と悩んでいた。
話を聞くと、本当は実際に見て選びたいらしい。「やっぱり配送かな……」と呟いていた。
チャンスが来たと思った。
幸い車は持っている。普段は乗らないけど、時々親がどこかへ行く時の足にされるために買わされた。こんな時こそ活用しなくては。
その場で言おうとしたら、太一君が来て話が途切れた。そのまま言い出すタイミングを失って、昨日は終わってしまった。
朝一番よりは、昼に近い方がいいだろう。
ーーー買い物があれば、車出しますよ。
自分も買い物があるから、と装ってメッセージを送ると、意外にもすぐに「お願いします」という返事がきた。
今までなら、『申し訳ないから』と一度は断られて僕が説得する、というパターンだった。
理由はすぐにわかった。
太一君が、車に乗りたかったらしい。
彼女に促されて、助手席に乗ってきた太一君は、無表情を装っているけど、目がキラキラしている。そんな太一君を見て、彼女も満足気だ。
僕も嬉しくなって、上機嫌で車を走らせた。
帰ってから、太一君と2人で、順番を考えながら組み立てる。
汗だくで組み立て終わって、その上に2人で腰を下ろす。「良かった、壊れないね」なんて言っていたら、太一君がそのままベッドの上で正座して、僕に頭を下げた。
「……ありがとうございました」
ベッドのことにしては、改まった感じだ。
「いや、そんな大したことじゃないよ。僕こういうの結構好きだから」
「今日のことだけじゃなくて」
「え……?」
「あの、家のこと」
「家?」
「ここを、貸してくれて、あと家賃のことも、ありがとうございます」
太一君が、もう一度頭を下げる。
こんな風にお礼を言われると思わなくて、面食らった。
「前に……母が凄く遠くの会社に行ってたことがあって」
太一君が目を伏せる。表情は暗い。
「僕が1年生の時、ちょっとの間だからって言って。多分3ヶ月くらいだったと思うけど」
声変わりが始まっていると聞いた太一君の声はかすれ気味。でも、しっかりと話している。
「家から2時間以上かかるところで。疲れがたまっちゃってて、電車の中で倒れちゃって、救急車で運ばれて」
太一君は淡々と話す。だからこそ、余計に重く聞こえる。
「弥生ばあちゃんに連絡が来て。僕はまだ1年生でなにもできなくて。でも、ウチは母しかいないから、ロクに休めなくて」
初めて聞く話。当時はどんなに心細かっただろう。太一君も、彼女も。
「そしたら弥生ばあちゃんが、おにぎりの作り方を教えてくれて。夕飯に作ったら、凄く助かるって言われて。それから、少しずつ家のことをするようにして」
そうか。彼女は『いつのまにか』って言ってたけど、太一君にはそういうきっかけがあったんだ。
「もし遠くに引っ越すことになったとしても、今度は家のことは僕がやるから少しはマシだと思ってたけど。でも、近い方がいいに決まってるから。だから、ありがとうございます」
太一君が、また頭を下げる。
上げた顔は、もう男の顔だ。
お母さんを守るため、か。
その純粋で、まっすぐな瞳に負けそうだ。
「……役に立てて良かったよ」
このまっすぐな瞳が、このままでいられるように守りたい。できれば、彼女と一緒に。
太一君と目が合って、微笑み合った。
いい顔つきだ。元々の素材の良さに男らしさが加わって。
モテるな、これは。女の子が放っておかないだろう。
そして、ふと思った。
太一君の父親は、どうしているんだろう。
どうして、今一緒にいないんだろう。
あまり考えてこなかったそのことを、今更ながら思い出す。
彼女の話からは、かけらも出てこない、太一君の父親。
気になるのは、今、彼女がその男のことをどう思っているか、だ。
口には出さなくても、表には出さなくても、心では思っているということもある。
今の彼女には、太一君以外の男の影は微塵も感じられない。それは、心の中に誰かがいるからではないか。
太一君の父親を思いながら、太一君を育てているとしたら。
どう、なんだろうか。
そんな可能性を考えもせずに、ここまで来てしまった。
でも、だからといって、あきらめられないし、あきらめたくはない。
「ご飯にしますから、2人ともシャワー浴びてきてください」
様子を見に来た彼女が、汗だくの僕たちを見て苦笑いで言う。
思考を中断されたのと、思いがけない言葉を聞いて、一瞬頭が真っ白になる。
多分間抜けな顔をしていたんだろう。彼女が笑った。
「汗だくのままじゃ気持ち悪いでしょ?」
笑顔を向けられて、胸が鳴った。
そんな自分に驚いて、焦ってしまう。
「あ、いや、そうじゃなくて、ご飯って」
それに加えて『ご飯』だ。彼女達と一緒にご飯を食べるのは明日から、と思っていた。
「夕ご飯です。車出していただいたし、ベッドも組み立てていただいたし、せめてものお礼です。あ……ご迷惑でしたか?」
迷惑なんて、そんなことある訳がない。
慌てて首を横に振る。
「とんでもない。平日っていう約束だったのでびっくりしただけです」
「良かった。じゃあ、サッパリしてから食べましょう」
はい、と笑顔と共にタオルを出される。
無邪気で無防備で、子どもみたいだ。
こちらもつられて笑顔になる。
素直にタオルを受け取りたいけど。
「自分ちに行ってきます。着替えもしたいし」
「あ、そっか。そうですよね」
言われて初めて気が付いたらしく、彼女ははにかんだ。
じゃあ、とタオルは太一君に渡される。
「夕ご飯なに?」
「しょうが焼き」
どうやら太一君の好物らしい。バスルームへ向かう背中がウキウキしている。
そういえば、彼女が作ったご飯は初めてだ。
「楽しみにしてます」
心底からそう言って、自分の部屋に向かった。
戻ってきたら、もう食事の用意はできていた。
肉の焼けるいい匂いが漂っている。
促されて食卓につくと、なんだか違和感を感じた。
なんだろう。今までと何かが違う。
彼女が味噌汁を持ってきた時に気が付いた。
食器だ。
今まで僕に出されていた小平家の食器と違う。茶碗も皿も椀も、箸も。
「あの、これ……」
彼女が持ってきた椀を指差した。
「お味噌汁です。豆腐とワカメですけど、もしかして苦手でしたか?」
中味のことだと思われたらしい。
「いえ、そうじゃなくて」
目の前にあった箸を持ち上げる。
「これ、もしかして、用意してくれたんですか?」
彼女は「ああ」と笑った。
「今日買ってきたんです。あった方がいいかなって。ね?」
最後の『ね?』は太一君に向けられる。太一君は頷いた。
今日?僕がどうでもいいケーブルを買ってる間に、そんなことをしてくれていたのか。
「茶碗もお椀もお皿もですよね」
「これもです」
彼女が、太一君がテーブルに置いたマグカップを指差した。
マグカップは、渋めの焦茶色。底が丸い形で、落ち着いた感じだった。
2人が、僕に、選んでくれた。
そう思ったら、顔が笑ってしまった。
「凄く、嬉しいです」
実家では、個人の食器はなかった。みんな同じで、どれを使っても良かったし、そういうものだと思ってた。
だから、驚いた。自分用の食器を用意してもらうことが、こんなに嬉しいなんて。
目の前にある食器を一つ一つ見ていく。
どれも、どこにでもありそうな普通の食器だけど、僕にとっては特別だ。
「ありがとうございます」
嬉しくて、つい顔が笑ってしまう。締まらない顔なんだろうなと思いつつ、まあいいか、とも思った。
「喜んでもらえて良かったです」
彼女も笑顔だし、太一君も珍しく少しだけ笑顔だ。
体の真ん中から、あったかいものが広がっていく。
指先まで広がっていくそれは、自分が欲しかったものだとわかった。
言葉にするなら、安らぎとか幸せとか、そういう類のもの。
でも、一言で表す言葉はない、なにか、内側からあふれ出るものだ。
そのあたたかさを感じながら、ご飯を食べた。
彼女が作ったしょうが焼きはおいしくて、食べてしまうのがもったいないくらいだったけど、意に反して箸は進む。あっという間に食べ終わってしまった。
食後にお茶を飲んでいたら、彼女から食事の好みについて聞かれた。
考えても、すぐには出てこない。この家で出てくるものならなんでもおいしく感じると思う、なんて言ったらどういう反応をされるだろうか。
何かないかと考えていたら、彼女が言った。
「じゃあ、これから、これ好きとか、これ苦手とか、そういうのが出てきたら、教えてください。特に苦手なものは、遠慮しないで言ってくださいね」
それは、長く共通の時間を過ごすことを前提としていて。
僕から言い出した。夕ご飯に混ぜてくださいって。
いつも作っている食事で構わないのに。
僕の好き嫌いなんて、考えなくていいのに。
受け入れてもらえてる気がした。食器のことも、食事の好みも。
嬉しい。嬉しくて、また笑みがこぼれ出た。
「わかりました」
明日から、早く帰ろう。
改めて決意した。