夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜


 病院は、ここにしては珍しく空いていて、あっという間に診察室に通された。
「あらー今日はママが患者さん?」
 真理子先生は笑顔でこちらを向いて、固まった。
「……圭、何してるの?」
 私を支える久保田さんを見て、あぜんとしている。
 久保田さんは、二度見した受付の人や目を丸くした看護師さんに何度も言ったのと同じセリフを言った。
「同僚の、小平さんの付き添いです」
 困ったように笑っている。
「え、圭の会社の?」
「はい……いつもお世話になっております……」
 真理子先生は案外早く立ち直って、いつもの笑顔になった。
 素敵な笑顔だ。整った顔立ち。若々しくて、美魔女と言っても過言ではない。
 とても、30歳になるお子さんがいるとは思えない。
「へえー世間は狭いわねえ。それで?今日はどうしましたか?」
 親子、と言われてみれば似ているかもしれない、と思いつつ、経過を説明する。
「じゃ、とりあえず胸の音を聞かせてくださいね。圭は待合室で待ってて」
 久保田さんは頷いて診察室を出て行った。
「はい、胸出して……うん、じゃあインフルエンザの検査しましょう」
 鼻から長い綿棒を入れて、グリグリするやつだ。見たことはあるけど、自分がするのは初めて。
 全身がゾワゾワする感覚を味わった。
「予防接種は……太一君と一緒にしたのよね。まあでも、かかる時はかかっちゃうからね。とりあえず結果待ちね」
「はい、ありがとうございます」
「あなたは……圭と一緒の部署なの?」
「部署は違います。今日はたまたま一緒に行動しておりまして、ご迷惑をおかけしてしまいました」
「なーんだ、付き添いで来るから彼女かと思っちゃった」
 真理子先生は冗談ぽく笑う。
 私は真剣に首を振った。
「彼女だなんて、とんでもない」
「そう?あの子、未だに1人も紹介してくれたことなくて。もう30なのにね」
 何年か前に失恋をした、という情報を思い出す。
「まあね、あなたにはあの子はもったいないわ。もっといい人つかまえて」
「えっ……」
 いや逆じゃないか、と思ったけど、それを口にする前に、真理子先生が看護師さんに指示を出し、私は隔離の小部屋に案内された。

 少ししたら、久保田さんが案内されてやってきた。慌ててマスクをする。
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いえ、こちらこそすみません、まさかここに来ることになるとは思ってなくて、驚きました」
「私も、まさか久保田さんが真理子先生の息子さんだとは……」
「お子さんが、ここにかかってるんですか?」
「はい。赤ちゃんの頃から、ずっとお世話になってます」
「そうだったんですか」
 会話は途切れた。何を話せばいいのかわからない。
 どうしよう、と思っていたら、鞄の中でスマホが震えた。
 久保田さんに断って、スマホを確認する。

 ーーー帰った

 いつものメッセージ。

 ーーー今ね、熱が出ちゃって。久保田医院にいる。終わったら帰るから、今日は早めになるから。

 既読はついたけど、返事はない。
 あれれ、と思っていたら、診察室に呼ばれた。
「インフルエンザじゃなかったわよ。喉が真っ赤だったから、熱はそのせいかな。とりあえず薬出しとくから。薬飲んで、熱が下がらなかったらまた来て」
 真理子先生はいつもの笑顔だった。
「それで、太一君は?元気?」
「はい、今のところ何事もないみたいです」
「そう。じゃあ移らないように気をつけて。2人だけなんだし、共倒れにならないようにね」
「はい、ありがとうございます」
 そう言って立ち上がったら、またクラッとしてしまった。
 後ろにいた久保田さんが支えてくれる。
 その様子を見た真理子先生が、にっこり笑って言った。
「圭、家まで送ってあげなさい」
「そのつもりです」
「あらそ。じゃあ気をつけて。お大事にね」
 最後の言葉は、私に向けられた。

 久保田さんに支えられながら会計をして、向かいの薬局に行こうと、病院を出た。
「あの、久保田さん、もう大丈夫ですから、帰っていただいても……」
「大丈夫じゃないでしょう。いいから気にしないでください」
「でも、家はすぐそこですし」
「とにかく薬をもらいましょう」
 薬局に向かうと、入口に、立っている人影があった。
「……太一」
 目を丸くして、こっちを見ている。
「来てくれたの?」
 私はゆっくりと近寄った。
「熱出たって言うから……」
 言葉は私に向けられたけど、視線は後ろにいる久保田さんに向けられている。
「会社の人よ。送っていただいたの」
 ご挨拶して、とささやくと、小さく頭を下げた。
 久保田さんも驚いた顔をしている。
「……お子さん、ですか?」
「はい、息子の太一です」
 なんか驚かれてるみたいだけど、なんでだろう。
 私に子どもがいることは周知のことで、久保田さんも知っているはず。さっき病院でも話してたし。
「あ……すみません。お子さんがいるとは聞いてましたけど、こんなに大きいとは知らなくて」
「ああ……」
 私は苦笑した。

 太一は11歳。小学5年生だ。
 私が、19歳で産んだ子ども。

「小学生とは聞いてましたけど、まだ小さいんだと、勝手に思ってました。すみません」
 別に謝らなくてもいいんだけど。
 私だって、私と同い年の人に太一と同じ年の子どもがいたら驚くと思う。
「いえ、よく言われるので、気にしないでください」
 苦笑して答える。
 なんとなく気まずくて、とにかく薬局に入った。

 薬局も顔馴染みだけど、私が薬をもらうのは初めてで、薬剤師さんが驚いていた。
「あれ、太一君?ちょっと見ない内に大きくなりましたね〜。今日はママの付き添い?あれ?付き添いは……パパさんですか?」
 ギョッとして、慌てて否定する。
「いえ、違います。同じ会社の方です」
 薬剤師さんは、あははと笑った。
「太一君と揃ってイケメンだからてっきりパパさんかと思っちゃった。って、あれ?えーっと……」
 薬剤師さんが、久保田さんをじっと見る。
 久保田さんは、照れ臭そうに少し笑った。
「圭です。ご無沙汰してます、洋子さん」
 薬剤師さんの胸には『長谷川洋子』というネームプレートがついている。
 この薬局は、近いだけあって久保田医院のほとんどの患者がここへ来る。
 真理子先生と、この長谷川さんは仲が良いらしいし、久保田さんのことも知っているんだろう。
「あっやっぱり圭君?凄い久しぶりね〜、まー立派な大人になっちゃって。え、なになに、圭君の彼女?」
「違います。同じ会社の人ですよ。偶然が重なってこうなってます」
「へ〜偶然、へ〜」
 長谷川さんは、からかうように含み笑いを浮かべながら、カウンターに薬を並べた。

 支払いを済ませて、外に出る。
「すみません、僕のせいでうるさくて」
 久保田さんは苦笑しながら言う。
「いえ、全然、大丈夫です」
 と、ずっと黙っていた太一が、私の袖を引っ張った。
「この人、誰?」
 久保田さんに聞こえないようにささやいてるつもりなんだろうけど、絶対聞こえてる。
「あのね、真理子先生の息子さんなんだって。偶然、お母さんと会社が同じだったの。今日も、偶然一緒に仕事してて、送ってくださったのよ」
 太一は『ああ』と納得したようだった。
 私は久保田さんに向き直った。
「今日は本当にすみませんでした。この子が一緒なので、もう大丈夫です。ありがとうございました」
「そう、ですか?それならいいんですけど」
 心配そうに、私と太一を交互に見る。
 私は笑顔を返して、じゃあ帰ろうと歩き出した。
 少しよろけたので、太一の腕に捕まる。
 太一は踏ん張ったけど、私を支えきれるはずもなく、2人でよろけてしまう。何せまだ5年生。クラスでは大きい方だとはいえ、身長は私より10cm低いし、体重なんて比べたくもない。
 よろめいていると、腕をぐっと引き寄せられた。
「危なっかしいので、やっぱり家まで送ります」
 久保田さんが、私を支えてくれている。
「え、大丈夫ですよ」
 断わろうとしたけど、私の言うことは聞いてくれない。「これ、持ってくれる?」と、太一に私と自分の鞄を預けている。
「家、どこ?」
 私じゃなくて、太一に聞く。
 太一は「こっちです」と先導するように歩き出した。

 え、ちょっと待って。勝手に話を進めないで。
 私の言うことも少しは聞いてよ。

 と思ったけど、太一に続いて、私を抱えている久保田さんが歩き出し、私も歩かざるを得なくなる。
 5分ほど歩いて、私と太一が住むアパートに着いた。

 古い、というか、はっきり言ってボロいアパートだ。言わずもがな、家賃は破格。隣の家に住む大家さんのご厚意だ。

「2階です」
 太一が無愛想に言って、階段を上がっていく。
 上がって、1番奥の203号室が、私と太一の家だ。
 部屋の前まで連れてきてもらい、やっと久保田さんが手を離してくれた。
「本当にすみませんでした。お世話になりました。このお礼はまた後ほどさせていただきます」
 私が言う横で、太一が鍵を開ける。
「お礼なんていいですよ。それより、食事とか大丈夫ですか?何か買い物とかあれば……」
 親切に言ってくれる久保田さんに、太一が無愛想に言った。
「僕がやるから大丈夫です。母がお世話になりました。ありがとうございました」
 もう帰れ、と言わんばかりのぶっきらぼうな口調だ。
 なんでそんな風に言うのか。愛想笑いというものを教えておくべきだった。
「ちょっと太一。すみません、愛想のない子で」
 太一をたしなめながら、私は苦笑して頭を下げる。
 久保田さんは意外にも、笑った。

 いつもの能面スマイルじゃない、私が見たかった、自然な笑顔。

 ひょっとして本日2回目?
 これで1ヶ月分の元気もらったな。

「いえ、じゃあ僕はこれで」
 くっくっと笑っている。
 またなにか、ツボに入ったんだろうか。一体何が?
「僕の家近いんで、手が必要だったら、連絡ください。……大丈夫そうですけど、一応言っときます」
 笑いをこらえながら、歩き出す。
 横で「あっ」という声がした。
「あのっ、これ」
 太一が久保田さんの鞄を差し出す。
 久保田さんは振り返って「ああ」と受け取った。
「ありがとう」
 その笑顔は、本当に素敵だと思った。



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