夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜


 美里ちゃんと別れて、駅に入る。
 ホームに立っていると、背後から声がした。
「お疲れ様です」
 振り向くと、久保田さん。
「お……お疲れ様、です」
 久保田さんは、能面笑顔で、でもなんだか暗い。
 どよ〜ん、ってよくマンガとかに出てくる暗い背景を背負ってるみたいだ。
 表情だけならにこにこしてるから、余計に怖い。
 昼間といい、今といい、一体どうしたんだろう。
「あの、久保田さん」
「なんですか?」
 何かあったんですか?
 そう聞こうと思ったけど、何故かにこにこが増したから、更に怖くなってしまった。
「あ、あの、き、今日も早いですね……」
 全然違うことが口から出てきた。
 久保田さんはにこにこしたまま、じっと私を見ている。
 さっきの、美里ちゃんの言葉を思い出した。

『何かされてませんか?』

 今、じっと見られてます!

「あ、あの……」
 何か言わなきゃ、と思ったけど電車が来てしまった。
 電車の中では無言。久保田さんは、窓の外を見ている。能面笑顔は外さないままだ。怖い。
 吊り革に捕まって、私も外を見てる振りをしながら様子を窺っていたら、スマホが震えたようだ。
 鞄から出して見ると、美里ちゃんからメッセージが来ていた。

『千波先輩、無事に赤ちゃん生まれたそうです!元気な男の子‼︎』

 息を飲んだ。
 飛び上がって喜びたい。電車の中だから、我慢するけど。ああ、でも嬉しい。
 隣を向いたら、久保田さんもこちらを見た。
 笑顔でスマホを見せる。
 久保田さんの目がメッセージを追う。
 能面から、本当の笑顔に変わった。
 喜びたいけど電車の中だから抑えているんだろう。
 目を合わせて、笑い合う。
 きっと気持ちは同じ。それも嬉しくて、笑顔が止まらなかった。



 改札を出てからは、我慢できなくて口が止まらない。
「おめでたいですね。いいなあ、これから大変だろうけど、可愛いんだろうなあ。男の子2人って、賑やかになりそう」
 久保田さんもにこにこしている。
「でも楽しそうですね」
「ほんと、一緒に遊んでるところとか見たいです。あー想像するだけで可愛い!お祝いは何がいいかなあ」
「前に本田さんに聞いたら、必要な物はほとんどあるからいらないって言われましたよ」
「じゃあ……オムツケーキとか?」
「なんですかそれ」
「知りませんか?オムツを重ねて、ケーキみたいにした……こういうの」
 スマホで、オムツケーキの写真を見せる。ぬいぐるみ付きの物もあって、可愛くて実用的な、お祝い人気商品だ。
「へえ、可愛いですね。オムツはあっても困らなさそうだし」
「そうですよね。明日美里ちゃんと相談しよう」
 そう言った途端、ピキッと音がしたような気がした。
 久保田さんの笑顔が固まっている。
 え、さっきよりも怖いんですけど。
 私何かしちゃった?
「今……なんて?」
「えっと……お祝いに、オムツケーキを……」
「そうじゃなくて。その後」
「えっ……明日、美里ちゃんと相談しようって……」
 確かそうだよね、それしか言ってないよね。
「みさとちゃん……?」
「え……中村さんのことですけど……」
 知らないなんてことないよね?何年も一緒に働いてるんだし。
「名前で呼ぶようになったんですか?」
 久保田さんの笑顔は固まったまま。でもなんだか端々にこう……ピキピキとヒビが入ってるみたいだ。えーんこわいよー。
「はい……ついさっき、そういうことにしようって話になりまして……」
「ついさっき?」
「はい。会社から駅に向かう途中で……」
 なんだか、親か先生から怒られてる気分だ。
「向こうはなんて?」
「え?」
「中村さんは、小平さんをなんて呼んでるんですか?」
「え、あ、歩実さん、です……」
「……そうですか」
 久保田さんは、うつむいて止まってしまった。

 いや、ほんと、なんなの?
 私が何かしたの?それとも違うことが原因?
 もしかして急に具合悪くなったとか?

 ここはマンションの目の前。
 こんなところで突っ立っているのは目立ってしまう。
 まだ管理人さんもいる時間だし、今は周りに誰もいないけど、帰宅時間だし人の目も気になる。
 一歩近寄ると、背が高い久保田さんの顔はすぐ見えた。下から覗き込む形になる。
 能面は外れていた。真顔だった。
 目が合った途端、久保田さんが私の腕を引いた。
 突然だったから、引かれるままに、久保田さんに正面からぶつかった。
 私はぶつかったと思ったけど、背中に久保田さんの腕が回ってて、しかも力が入ってる。ぎゅって。

 頭の中は?マークでいっぱいで、でも冷静な自分もいて、その自分が分析している。

 これは、抱きしめられてるんではなかろうか。
 腕を引かれて、久保田さんの胸に飛び込んでしまったんではなかろうか。

 え。
 え、なんで?
 なにこの状況。
 なにがどうしてこうなった?

 思い返してみても、全くわからない。
 どうしたらいいのかも、全くわからない。

 私はパニック状態で動けなかった。
 久保田さんは、一度ぎゅっと腕に力を入れて、すぐに私を離した。
 その後、私の手を引いて、スタスタとエレベーターに向かう。
 私はされるがまま、付いていく。
 頭の中は真っ白。もう冷静な自分もいない。

 一体なにが起こってる?

 エレベーターは6階に着いた。
 ドアが開くと、久保田さんは私の手を引いて一番奥のドアまで進む。
 鍵を開けて、中に入る。
 私も、手を引かれて中に入った。
 ドアが閉まって、私はまた久保田さんに抱きしめられた。

 いやだから、なんで、どうしてこうなってる?

 あまりのことに、されるがままになってたけど、やっと我に返った。

「あの、久保田さん?」
 久保田さんは、動かない。
「なんですか?」
 なんですか?じゃなくて!
「あの、離して、ください」
「嫌です」
「は⁈」
 離すどころか、更に力が強くなる。
「あ、あの」
「ごめん、もう少し」
「え?」
「もう少し、このままで」
 その声が、凄く切なくて、泣きそうに聞こえてしまって。
 『ごめん』なんて、そんな口調も初めてで、驚いたせいもあって。


 私は、結局抵抗もせずに、しばらくそのまま抱きしめられていた。




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