夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜


 電車を降りてから、彼女は本当に嬉しそうに赤ちゃんについて話す。
 僕も笑顔で話せている。
 お祝いの品は、何がいいかを話していた時だった。
 オムツケーキなんていうものがあるのか、と感心していたら、彼女が言った。

「明日美里ちゃんと相談しよう」

 笑顔が固まったのが、自分でもわかる。
 彼女はそれを見て、また怯えている。
 そんな顔にしたいんじゃないのに。
 でも、自分では制御できない。

「今……なんて?」
「えっと……お祝いに、オムツケーキを……」
「そうじゃなくて。その後」
「えっ……明日、美里ちゃんと相談しようって……」
「みさとちゃん……?」
「え……中村さんのことですけど……」
 それは知ってる。
「名前で呼ぶようになったんですか?」
 いつのまに?確か昼間は『中村さん』って呼んでたはずだ。
「はい……ついさっき、そういうことにしようって話になりまして……」
「ついさっき?」
「はい。会社から駅に向かう途中で……」
 あの仲良さそうに顔を寄せてた時だ。
 僕が頑張って嫉妬心を抑えていた時に。
「向こうはなんて?」
「え?」
 別に、呼び方くらい気にすることはない。
「中村さんは、小平さんをなんて呼んでるんですか?」
 彼女達は友達同士なんだから、名前で呼んだっていい。
「え、あ、歩実さん、です……」
「……そうですか」

 落ち着け。
 今日は動揺することが多かったから、気持ちが揺れやすくなってるだけだ。
 頭ではわかっている。
 中村さんに嫉妬する必要がないことも、今の僕には嫉妬する権利がないことも。

 抑えろ。
 もうマンションは目の前だ。
 太一君が、夕ご飯を作って待っている。
 こんな状態のまま、小平家には行けない。

 自然に足が止まってしまっていた。
 意識して、息を深く吸う。
 吐き切ったら、顔を上げて、いつも通りになれるはずだった。

 それなのに。

 彼女が、僕の顔を覗き込んだ。
 具合が悪いとでも思ったのか、心配そうに見上げている。
 無邪気で無防備で。
 愛おしい。

 目が合った瞬間、自分を抑えていた何かが弾け飛んだ。

 彼女を腕の中に閉じ込める。
 やわらかくて、あったかい。
 力を入れたら、壊してしまいそうだ。

 彼女以外のことには、冷静に頭が働く。
 マンションの前、今は周りに人はいないけど、確実に誰か来る時間帯だ。

 一度、彼女を離す。
 顔を見たら、ぽかんとしていた。驚き過ぎて、思考停止しているようだ。
 手を引いて、マンションに入り、エレベーターに乗る。行き先は6階、僕の部屋だ。
 手は離さずに、鍵を開けて中に入る。
 抵抗されるかと思ったけど、思考停止はまだ続いているらしい。目を丸くして、されるがままだ。

 また彼女を腕の中に閉じ込める。
 やっぱり、やわらかくて、あったかい。
 僕の方が思考停止してしまう。
 こんな風に女性を抱きしめるのは、初めてだった。

 少ししたら、彼女の声が聞こえた。
「あの、久保田さん?」
 どうやら思考停止は解除されたようだ。
「なんですか?」
 動かないまま、返事だけする。
「あの、離してください」
「嫌です」
「は⁈」
 まだ離したくない。このままずっとこうしていたいくらいだ。
「あ、あの」
 彼女が焦って動き出した。

 わかってる。
 彼女は僕の気持ちを知らない。何事かと思っているだろう。
 それに、家ではきっと太一君が待っている。
 遅くなると心配させてしまう。

 わかってるから。

「ごめん、もう少し」
「え?」
「もう少し、このままで」

 もう少しだけ。
 自分にも言い聞かせる。

 彼女は、そのまま動かないでいてくれた。

 心の中で3つ数える。
 ゆっくり手を離すと、彼女と目が合った。
 唇に触れたくなったけど、我慢した。

「すみません……」
 ひっぱたかれても文句は言えないと思っていたけど、彼女はほけっと僕を見ている。
 途端に恥ずかしくなってきて、顔が熱くなった。
「太一君が心配しちゃうから、行きましょうか」
 そう言うと、彼女は黙って頷いた。
 ドアを開けると、先に彼女が出て、僕を押し戻した。
「あのっ、1人で大丈夫なので、久保田さんは着替えてきてください」
 昨日は、一旦家に帰って着替えてからお邪魔した。
「え、でも」
「大丈夫ですから!」
 バタンと、目の前でドアが閉まった。
 パタパタパタと、彼女が走って行く音が聞こえる。

 深く息を吐いて、その場にへたり込んだ。



 ……やってしまった……。



 嫉妬して、怯えさせた挙げ句に抱きしめるなんて……自分勝手もいいところだ。
 しかも嫉妬の相手は中村さん。さすがに自分でもどうかと思う。
 嫌われていないだろうか。呆れられていないだろうか。
 彼女は頷いてから、そのまま下を向いていて、表情は見えなかった。どんな顔をしていたんだろう。
 どう、思っただろうか。
 拒否はされなかった。でも、受け入れてくれた訳じゃない。

 ゆっくり進めるつもりだった。
 引っ越しまでが強引だったから、その後はとにかく近くにいて、少しずつ近付いていく。
 夕ご飯を一緒に食べながら、いろんな話をして、太一君も一緒に……そのつもりだったのに。

 自制しろ。
 まだ何も伝えてない。
 この嫉妬心を制御できなければ、彼女を傷付けてしまう。
 なんとかして、抑えるんだ。

 いろいろ方法を考えながら、着替えて小平家に向かった。



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