夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
インターホンを押すと、さっき遠去かっていったパタパタパタという足音が近付いてきた。
ドアが開くと、カレーの匂い。でも、優しげな甘い匂いが混ざっている。多分、野菜の匂いだ。
その匂いと共に、ぎこちなく笑う彼女が現れた。
そんな表情をさせたいんじゃないのに。
僕のせいだ。
「あの、さっきは……」
謝ろうとしたら、彼女が首を横に振った。
「あの、気にしないでください。私はその……大丈夫ですから」
「え……」
「とにかく、どうぞ。太一がお腹空いてるらしくて機嫌悪くて」
彼女は苦笑しながら、僕を招き入れた。
「帰った途端に『遅い』ってぶつぶつ言われちゃいました」
ははっと彼女は笑う。
「あ……すみません」
遅くなったのも、僕のせいだ。
「なんか、カレーがおいしくできたらしくて、早く食べたいみたいで」
話しながらリビングに向かう。
申し訳ないとは思いつつ、僕の頭の中は疑問符だらけだ。
『大丈夫』って何だ?何が大丈夫なんだ?
『気にしないでください』って、どういう意味だ?
わからないまま、リビングに入ると、仏頂面の太一君が食卓についていた。
もうすっかり用意はできている。
「太一君、ごめんね遅くなって」
「いえ」
短く答える声も低い。本当に機嫌が悪そうだ。
「じゃ、いただきます」
彼女の声で、僕も太一君も手を合わせた。
今日の夕ご飯は、ひき肉カレーと野菜スープ。昨日の麻婆豆腐と同じく、細かくした野菜やキノコ類がたくさん入っている。野菜スープも具沢山だ。
話を聞いたら、カレーの具は、昨日多く刻んでしまったものなんだそうだ。
「わざとそうしたのかと思ったら、3人分の分量がつかめなかっただけなんですって」
彼女がからかうように笑うと、太一君はますます仏頂面になる。
「いいだろ別に」
カレーを頬張りながら、口を尖らせている。
「無駄を出さずに次の日にちゃんと使うなんて、さすがだね。しかもおいしいし」
ほめたら、仏頂面に照れが混ざった。
可愛いな。彼女がからかいたくなる気持ちがわかる。
ご飯を食べ終わったら、太一君の機嫌はすっかり直ったらしい。
「ごちそうさまでした。おいしかったよ、カレーもスープも」
食洗機の準備をしている太一君に言うと、ぺこっと頭だけを下げた。それも、照れ隠しのようで可愛く見える。頭をわしゃわしゃ撫でたい気分。
自分が食べた食器を軽く水で流して渡す。太一君はそれを食洗機に入れて、まだ食べている彼女に視線を送る。
彼女は、テレビを見ているようでぼうっとしている。カレーを食べる手も止まっていた。
太一君は軽くため息をついて、でも放っておくことにしたようだ。
「お茶いれるんで、座っててください」
「ああ、うん。ありがとう」
そう言って、食卓に戻る。
彼女は僕の気配で我に返ったようで、慌ててカレーを食べ始めた。
慌てたのでむせている。
近くにあったティッシュをケースごと渡す。食パンの形をしたそれは、中村さんからの引っ越し祝いだったはずだ。
彼女は頷きながら受け取る。
太一君が、温めた麦茶を2人分持ってきた。
「ありがとう」
頷いて、すぐにキッチンに戻っていった。カレーの鍋を洗い出す。
彼女は咳き込みながら、ティッシュで口を押さえた。そのままもごもご言う。
「あー苦しかった。もう大丈夫です」
その一言で、思い出した。
『あの、気にしないでください。私はその……大丈夫ですから』
大丈夫、って。
気にしないで、って。
聞きたいけど、太一君がいるし、彼女はまだ食事中だ。
できれば、落ち着いて話せる時にしたい。
そして、僕の気持ちも伝えたい。
まだ早いかもしれない。少なくとも、自分で思っていたのよりは大分早かった。もっと一緒の時を過ごして、彼女の気持ちに近付いてから。そう思っていた。
でも、先にあんなことをしてしまったんだから、仕方ない。これで何も伝えない方が不誠実だ。
食事を続ける彼女を見る。
普段と、少なくとも昨日と変わらない態度に見える。
さっきのことは、気にしていないんだろうか。
『気にしないで』と言っていた。それは『自分も気にしないから、あなたも気にしないで』という意味なんだろうか。
じゃあ『大丈夫』は?
考え過ぎて、よくわからなくなってきた。
その間に、彼女はご飯を食べ終わった。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて、お茶以外の食器をキッチンに持っていく。
太一君と少し言葉を交わして、食器を食洗機に入れている。
食洗機のスイッチを入れて、こちらに戻ってきた。
僕の視線には気付いているようだ。仕草が少しぎこちないし、目を合わせてくれない。
お茶を飲みながら、テレビを見ている。
太一君がいるから、だろう。
何かあったと気付かれないように、精一杯普段通りにしようとしているんだ。
それなら、僕もそうしよう。
聞くなら明日だ。
固い雰囲気の中、お茶を飲み終えて、僕は小平家を後にした。