夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
「うわ、ひどい顔」
朝、会社で開口一番、美里ちゃんに言われた。
「えっと……寝不足、かな」
私が苦笑すると、美里ちゃんはため息をついた。
「原因は?」
「え?」
私にしか聞こえないように、声を潜める。
「あいつでしょ」
驚いて見ると、美里ちゃんは顔をしかめた。
「その話は昼休み」
まずは仕事ね、と言ってパソコンに向かう。
美里ちゃんが言う『あいつ』は、多分久保田さんのこと。
どうして美里ちゃんから久保田さんのことが出てくるの?何か知ってるの?
疑問は次々に浮かんでくるけど、とにかく仕事を進めないと。
余計なことは考えない。仕事仕事。
私は、集中して午前中を終えた。集中し過ぎて、時間を忘れるほどに。
「あ、良かった、空いてた」
上フロアの小会議室。
予定表では空いていたけど、誰かが使ってる時もあるから、美里ちゃんがまずはそうっと覗いて見た。
幸い誰もいなかったので、2人でお昼ご飯を広げた。
私はお弁当。昨日、太一がアジフライと一緒にエビフライも揚げてくれていて、メインはそれ。あとは、作りおきのナスとシメジのオイスターソース炒めとモヤシのナムル、ご飯。
美里ちゃんは、会社のビルの前にお昼時だけ出るワゴンのお弁当を買ってきている。チキン南蛮弁当。おいしそうだから、今度太一に頼んで作ってもらおう。
「私も食べたい!太一君のチキン南蛮」
「じゃあ次に遊びに来た時はそれで」
そんな風に話しながら、半分くらい食べ進めた。
「で、何があったの?」
美里ちゃんがチキンを頬張りながら、ストレートに聞いてきた。
「……もしかして、太一?」
美里ちゃんの情報ソースは、多分太一だろうと思って聞いたら、美里ちゃんは頷いてスマホを取り出した。
「ええと」
メッセージアプリを立ち上げる。
「助けてよ、なにこの雰囲気」
太一が送ったメッセージらしい。
わざとだろう、棒読みでゆっくりめ。
だからこそ、想像してしまう。太一の声で。
「会話が噛み合ってないし目を合わせないし。しかも2人ともそのことに気付いてないんだよ」
昨夜の私と久保田さんのことだ。
「すごい変な緊張感あるし。でも、2人とも普通にしてるつもりみたいだから、気付かないフリしてあげた、だって。まあ大人ね〜って返してあげたよ」
寝る直前にメッセージのやり取りをしてたのは、美里ちゃんだったんだ。
普通にできたと思ったけど、全然駄目だったみたい。
太一が眠る前に何か言いたそうだったのは、これか。
「仕事で何かあったの?って太一君には聞かれたんだけど、私が知る限り仕事では何も無いよね?ってことは、あいつが何かしたんでしょ?何されたの?」
美里ちゃんの口調は強い。それはもう慣れた。
でも、何をどう、どこまで言っていいのかわからない。
「うん……」
曖昧な返事をする私に、美里ちゃんはため息をつく。
「まあ大体想像はつくけど」
「えっ?」
「告白でもされた?」
「えっ……いや、告白っていうか……」
私は言葉に詰まる。
その私を見て、美里ちゃんはもう一度ため息をついた。
「やっぱり……」
「美里ちゃん、知ってたの?」
「ウラがあるって言ったでしょ」
確かに言ってた。でも、それは結構前から言ってなかった?
「歩実ちゃんのことに関しては、あいつに下心が無かった時なんてないから」
言い切った。苦々しい表情で。
「で?本当に告白されたの?」
「あ……多分」
「多分?なにそれ」
「告白っていうか……プロポーズみたいだった」
「プロポーズう⁈」
さすがに美里ちゃんも驚いたらしい。声が大きくなった。
「私の人生に、混ぜてほしいって。太一も一緒にって」
「そんな、公園で『あーそーぼ』って言ってるんじゃないんだから……軽々しく言いやがって、あいつめ……」
「あの、決して軽々しくはなかったから。抑えて抑えて」
興奮しそうになる美里ちゃんをなだめる。
「で、歩実ちゃんは?」
「ん?」
「歩実ちゃんは、どうなの?」
「ん、断った」
「え、もう?」
「うん。だってあり得ないし」
「あれ……てっきりどうしようって悩んでるのかと思ったのに。あり得ないって、どういうこと?」
「だって、あのイケメンモテモテ久保田さんだよ?女性なんて選びたい放題じゃない。そんな人が、若くもない美人でも可愛くもない、まして子持ちの私なんて、あり得ないでしょ。きっと勘違いしてるの。たまたま私が家のことで困ってるところに遭遇しちゃったり、太一のご飯食べたり、あれこれしてるうちに勘違いしちゃったんだよ。だから、断った」
エビフライを半分口に入れる。
美里ちゃんは、私が一気にしゃべったからか、ちょっとぽかんとしていたけど、苦笑した。
「勘違いねえ……」
「うん。それに乗っかっちゃったら、後で悲惨なことになりそうだし。だから、断ったの」
「悲惨なことって?」
「例えば、勘違いだったって久保田さんが気付いて、後悔しても、責任取らなきゃって思って別れられない、とか。それか、他の人のところに行っちゃって、私達は捨てられる、とか」
「おお、随分後ろ向きだね」
「でも充分あり得るでしょ?」
美里ちゃんは、ふうんとうなった。
「そんなことになるんだったら、今のまま、太一と2人でいる方がいい」
「……そう」
美里ちゃんは静かに相槌を打つ。
「まあいっか、の歩実ちゃんにしては珍しいね」
そうかな、と自分では思う。
「でも、人を巻き込んじゃうことだから、まあいっかじゃ済まされないでしょ」
「ま、そうか。真面目だね、歩美ちゃん」
そう言って、美里ちゃんは微笑んだ。優しい笑顔にドキッとする。
美里ちゃんは、その笑顔のまま続けた。
「でもさ、歩実ちゃん。歩実ちゃんは充分魅力的だからね。30歳なんてまだ若いし、歩実ちゃんは可愛いし、綺麗だよ。自分を卑下しちゃ駄目」
美里ちゃんには前にも同じこと言われたな。
「それにね、あいつが自分の気持ちを勘違いするなんて、それこそあり得ない」
「え……?」
「冷静で、状況把握と分析に長けてる。でなきゃあんな腹黒にはなれない」
笑顔から真顔に変わった美里ちゃんは、更に続ける。
「そんなやつが、勘違いしてプロポーズまでするなんて、あり得ないでしょ。自分ちの下に来いって言った時点で、もうあいつは本気だった。だから、勘違いなんかじゃない」
断言されてしまった。
そして、美里ちゃんと久保田さんの信頼関係を知っているから、もの凄く説得力があるんだよね。
「でも子持ちだよ?しかもあんな大きい子」
「あいつの中ではもうクリアしてるんじゃない?でなきゃプロポーズなんかしないし、太一君も一緒に、って言ったんでしょ?ならそこに問題は無いよ」
自信を持って言い切る美里ちゃん。
そう言われると、勘違いじゃないのかなって思えてきてしまう。
「まあ、実際どうなるかは誰にもわからないしね。少なくとも、あいつも太一君も、お互いに好意は持ってるはずだから、最初から拒否するってことはないでしょう。上手くいく可能性はあると思う」
「そうかなあ……」
ベッドを組み立てていた時、2人で話し合いながら、雰囲気がとても良かった。
夕ご飯の時も、交わす会話は多くはないけど、自然体で過ごせているのがわかる。太一も、久保田さんも。
「だから、後は歩実ちゃん次第」
「えっ?」
「歩実ちゃんは、どうなの?状況とか、太一君のこととか、あいつの気持ちとかは置いといて」
どうなのって、さっきも聞かれた。
「あいつのこと、どう思ってるの?」
美里ちゃんのストレートな質問に、私は何も言えなかった。
久保田さんのあったかさを思い出す。
まだ、手に、体に、残ってる。
同時に思い出す、太一の父親に逃げられたとわかった時の、絶望感。
体が冷えて、震えて。
怖い。
またあんなことになったら、私はもう立ち直る自信はない。
「歩実ちゃん」
ハッと気付くと、美里ちゃんの顔が目の前にあった。
「大丈夫?顔、青いよ」
私は恐怖を振り切るように首を振る。
美里ちゃんが心配そうに私を見ている。
力無く笑うと、真剣な表情で言った。
「なにかあるの?話して」
その後、あっと小さく息をはく。そして、慌てたように言う。
「もちろん、良ければ、だから。話したくなければ話さなくていいからね」
その焦った様子を見てたら、恐怖はどこかへ行ってしまった。
「いつのまにか『歩実ちゃん』になってる」
フッと笑ったら、美里ちゃんも笑った。
「いいでしょ、歩実ちゃんだって『美里ちゃん』なんだから」
「うん、いいよ」
また近くなれた気がして、嬉しい。
そして私は、恐怖の原因、太一の父親のことを、美里ちゃんに話したのだった。