夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
その日の午後。
書類を提出しに下フロアの総務に行き、戻ろうと階段を上がったら、踊り場に小さな男の子が立っていた。4歳か5歳くらいかな。
不安げな表情で、行きつ戻りつしている。上に行こうか下に行こうか迷ってるみたいだ。
ちょっと様子を見ていたけど、大人は近くにいない。
迷子かな。でもこんなオフィスビルで?
「こんにちは」
声をかけると、ビクッと怯えた。
「1人?誰と来たの?」
隣にしゃがんで、笑顔で聞いてみる。
「……おとうさん」
警戒はしてるけど、小さな声で答えてくれた。
「そっか。お父さんはどこにいるの?上?下?」
指で示してみる。
男の子はゆっくりと下を指した。なんだ、わかってるんじゃない。
ウチの会社かな、それとも他の社の人かな。とにかく親のところまで送ろう。
「下にいるんだ。じゃあ、お父さんのところに行く?」
男の子は首を横に振った。
え、なんで?
「お父さんのところに行かないの?」
男の子は頷く。
「どうして?」
「みさとちゃんのところにいきたい」
「みさとちゃんて、中村美里ちゃんのこと?」
男の子はまた頷いた。
ウチの会社の人か。でもなんで美里ちゃん?
男の子を見ていて気が付いた。もしかして。
「お名前教えてくれるかな?」
「……たかよし」
「たかよしくん、上のお名前はわかる?」
「……すどう」
やっぱり須藤さんのお子さんか。顔がなんとなく須藤さんに似てる。
「もしかして、お父さんになにも言わないでここに来ちゃった?」
たかよしくんは頷いた。
「おとうさん、ちょっとまっててって、ずっとおはなししてるから……みさとちゃんは、かいだんのぼったところにいるから、さきにいこうとおもって。でも、わかんなくなっちゃった……」
なるほど、それで上に行くか下に行くか迷ってたんだ。
「そっか。でも、なにも言わないで来たら、お父さん心配するよ。まず、お父さんのところに行って、美里ちゃんに会いに行っていいか、聞いてみよう。おばさんが一緒に行ってあげる」
たかよしくんは、私をじっと見ている。知らない人だもんね、当たり前だ。
「おばさんの席はね、美里ちゃんの隣なの。だから、お父さんがいいって言ったら一緒に行こう」
そう言ったら、笑顔で頷いた。
笑うと須藤さんにそっくりだ。可愛い。
「よし、じゃあまずは、お父さんのところに行こう」
立ち上がって手を出すと、小さな手でしっかりと握ってきた。
あったかくて、やわらかい。
あー可愛いなあ。太一もこんな時があったなあ。
懐かしく思いながら、ゆっくりと階段を降りる。
もうすぐ降り切る、というところで、焦った声が聞こえてきた。
「隆芳!どこ⁈」
「あ、おとうさん」
走り出そうとするので、つないでいた手をグッと引く。
「歩こうね。階段で走ったら危ないよ」
「うん!」
元気のいい返事が返ってきた。太一もこうだったなあ。
フロアから、須藤さんが姿を見せた。
「おとうさん!」
段を降り切ったたかよしくんが走り寄る。須藤さんはそれを受け止めて、はあっと安堵の息をついた。
「びっくりした、どこ行ったかと思った」
「おはなし、ながいんだもん」
「ごめんごめん。でも勝手に行ったら駄目でしょ。心配しちゃうよ」
「ごめんなさい」
「もうしないで」
「はあい」
素直なお返事。
須藤さんは、私を見て頭を下げる。
「すみません、ご迷惑をおかけして」
「いえいえとんでもない」
「話し込んでしまって、気付いたらいなくなってたんです。すみません、気を付けます」
たかよしくんが須藤さんの足に抱きつきながら言う。
「おねえさんが、みさとちゃんのところにいっしょにいってくれるって」
「ええ?」
「あ、もし良ければ。隣の席ですし」
『おねえさん』なんて言われて、ちょっと顔が緩む。
「いや、もうちょっとで終わるから待っててよ」
「え〜はやくいきたい」
「そんなこと言わないで、待っててって」
「おとうさん、さっきもそういった」
「そうだけど」
「あの、私は構いませんよ。戻るついでですから」
「ねえいいでしょ〜」
たかよしくんに懇願されて、須藤さんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、終わったら迎えに行きます。よろしくお願いします」
喜ぶたかよしくんと、また手をつないで階段を上がった。
「みさとちゃん!」
隆芳くんは、美里ちゃんを見つけると、ぱっと笑顔になって、駆け寄った。
「きゃ〜よしくんだ〜!」
美里ちゃんも笑顔で迎える。
抱き合う2人は実に微笑ましい。
「今日はどうしたの?お父さんと一緒?お母さんは?」
「おかあさんは、あかちゃんとびょういん」
「そう。お留守番偉いね」
美里ちゃんの膝の上で頭をなでられる隆芳くんは、照れ笑いしてる。可愛い。
「赤ちゃんの名前決まった?」
「うん。たかひさ、っておとうさんがいってた」
「じゃあ、ひさくんだね」
「可愛い呼び方だね」
よしくんと、ひさくん。下の方で呼ぶんだ。
「須藤家の男はね、たかなんとかって名前なんだって。だから、下の方だと区別がつくからって千波先輩が。ちなみにあいつは隆春」
と、美里ちゃんが教えてくれた。
それを聞いた隆芳くんが、得意げに言う。
「おかあさんは、はるちゃんってよんでるよ」
「おっと……それは初耳」
「似合うかも。本田さんがそう呼ぶのが」
「確かに。そう呼んでる千波先輩は可愛い。」
「おとうさんは、ちなみさん」
美里ちゃんはチッと舌打ちして、ぼそっと呟く。
「相変わらず忠犬だな」
「美里ちゃん……」
本人に気付かれないように、たかよしくんを指差す。子どもの前で、いけません。
「ああ失礼。ついつい」
千波さん、か。
いいな、と思ったら、久保田さんの声を思い出した。
『歩実』
ぼわっ、と顔が赤くなるのがわかった。
焦ってしまう。
「歩実ちゃん、どうかしたの?」
美里ちゃんに聞かれて、慌てて首を横に振った。
「ううん、なんでもない」
「あゆみちゃん、だいじょうぶ?」
隆芳くんにまで心配されてしまった。
「大丈夫だよ」
苦笑で答えた。