夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
19. 圭
彼女の様子がおかしい。
目を合わせてくれない。笑顔がぎこちない。
まるで、この前、気持ちを伝えてくれる前の状態に戻ったみたいだ。
帰りに、駅のホームで彼女を見付けて、声をかけた。
「お疲れ様」
考え事をしていたようで、ビクッと振り向く。
「ごめん、びっくりさせた?」
「あ、いえ、大丈夫です」
そう言って、すぐに線路の方を向いてしまう。
その後も、ずっと気まずそうに黙っている。
「……何かあった?」
そう聞いたら、何かを言いたそうに口を開いた。
その瞬間、電車が来て、何も聞けないまま乗り込んだ。
電車は混んでいて、話ができる状態じゃなかった。
入った反対側のドアまで押されて、彼女と密着状態になった。
前にもこんなことあったな、と思った。
あの時は、彼女を抱きしめてしまった直後で、無闇に触らないように注意していた。
思い出して苦笑する。
押しつぶされないように、守るように彼女を囲った。
彼女はうつむいている。
ガタンと揺れて、彼女が咄嗟に差し出した僕の腕につかまる。
彼女は、そのまま動かなかった。
うつむいて、ぎゅっと袖を握って、やっぱり何か言いたいんだろうか。
電車が駅に着いて、少し隙間ができた。
離れた彼女の手を取って、電車を降りる。
端に寄って、人が少なくなるのを少し待つ。
改札へ向かう人達の最後尾で、ゆっくり歩き始める。
引かれた手に、彼女は黙ってついてきた。
改札を出るために一旦離した手をまた取って、マンションに向かって歩き出す。
彼女はやっぱり無言。
何かを言いたそうにしているのに。そんなに言いにくいことなんだろうか。
その『何か』の正体が思いつかない。
太一君のこと。仕事のこと。家のこと。
家のことは、特に問題はないはずだ。
仕事のことも、僕が知る限り大したトラブルはないはず。
じゃあ、太一君のこと?学校から何か連絡があったとか?
「太一君に、何かあったの?」
「えっ?」
きょとんとしている。違ったようだ。
僕は、勘違いをごまかすように軽く笑った。
「さっきから、なんか深刻そうだから。太一君に何かあったのかと思って。学校から何か言われたとか」
彼女は『ああ』と首を横に振った。
「違います。あの……」
やっぱり言いにくそうだ。
「何かあるなら、遠慮なく言って。まだお互いについて知らない部分もたくさんあるから、言わないとわからないこともあると思うんだ。だから、なんでも話そう」
そう言っても、やっぱりうつむいている。
すぐ言えるなら、こんな風にはならないか。
「無理には聞かないから。言いたくなったら言って。いつでも聞くよ。どんなことでもいいから」
少しだけ、つないだ手に力を込めた。
顔を上げた彼女と目が合ったので、微笑む。
彼女の表情が、少しだけやわらいだ。
「あの……久保田さんの……」
僕?『何か』はもしかして僕のことか?
「……う……」
「……う?」
「あの、噂を、聞いて……あ、今日じゃなくて、前から流れてることなんですけど」
「僕の噂?いろいろあるらしいね」
社内には変な噂を広める人はいないけど、それでも口伝えは尾ひれがつく。それに社外、特に大きい会社になると、あることないことたくさん言われる。実害がないから放っておいたけど、その辺りのことかな。
「どんな噂?」
「あの、久保田さんは何年か前に失恋して、その人をずっと、今でも好きなんだって……」
「ああ、そのこと」
それは、噂というか、ほぼ事実だ。
「それを気にしてたの?」
彼女は頷く。
僕は、苦笑するしかない。
でも、誤解されたくないから、ちゃんと話そう。
「本…………当、なんですか?」
「本当だけど、最後が違う。今は歩実が好き、だよ」
彼女が弾かれたように顔を上げた。
「正直言うと、ずっと引きずってた。恥ずかしい話だけど、初めて自分から好きになった人だったから、忘れられなかった。もう他の人は好きになれないんじゃないかって思ってた。でも、歩実を好きになった」
いつのまにか足は止まっていて、彼女と向かい合う。
「……どうして?」
「歩実が、僕の顔を見てくれたから」
彼女の顔に?マークが浮かんだ。笑っちゃうほどわかりやすい。
「上っ面じゃない、僕の顔だよ。顔の造作じゃない、僕の顔」
?が少し薄くなった。
「それから、僕も歩実の顔が見えたから。人を思い遣ってて、わかりやすくて、くるくる変わる。それから、1番大事なのは太一君。太一君のことになると、優しくてとろけそうな顔になる」
彼女の顔が、赤くなってきた。
「その顔を、ずっと見ていたいと思ったんだ。1番近くで」
ますます赤くなる。
僕も恥ずかしくなって、顔が熱くなってきた。
「……その、好きな人……の、ことは、もう、いいんですか?」
言葉を選んでいるのか、途切れ途切れだ。
僕は頷いた。
「好きだった人、だよ」
もう完全に、過去になってる。
彼女のおかげで、前に進めた。
「今、僕が好きなのは、歩実だよ」
その人が誰か、言った方がいいんだろうか。
誰もがうらやむ、幸せな一家のことを。
そうしたら、彼女の不安はなくなるんだろうか。
彼女は、少しの間、僕の顔を見ていて、そして笑った。
「わかりました。もう気にしません」
晴れやかな顔で、そう言った。
「気にならないって言えば、嘘になりますけど。でも、久保田さんが、そう言ってくれるなら、もう気にしないことにします」
それは嘘なんだとわかった。
多分気になるだろう。僕が同じ状況なら、ものすごく気になる。事あるごとに、確かめたくなってしまうだろう。
でも、彼女がそう言うのなら。
気付かないフリをしよう。
事あるごとに、彼女に伝えよう。
僕が、彼女を大切に思っていることを。
彼女が、晴れやかな顔のまま言った。
「好きです」
僕をまっすぐに見ている。
「もしかして、私も独占欲が強いかも」
そう言って、にこっと笑った。
全身が震えた。
愛おしさがあふれ出て、我慢できなかった。
一歩近付いて、彼女を腕の中に閉じ込める。
しっかりと。離れないように。
「く、久保田さん、ここ道路」
「道路で良かったね歩実。じゃなかったら、押し倒してる」
ささやくと、彼女は息を飲んだ。
「もう一回聞きたい」
「あ、あの……むりです」
「どうして?」
「恥ずかしいし……道端だし」
「じゃあ帰ろう」
かなり名残惜しいけど、体を離して手をつなぐ。
「顔、真っ赤」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうにうつむいた。可愛くて仕方ない。
はやる気持ちを抑えるために、ゆっくり歩き出す。本音は、早く帰って抱きしめたい。
「あの……」
しばらく歩くと、彼女の小さな声が聞こえる。
「……ごめんなさい……」
立ち止まって、一歩後ろにいる彼女を振り返る。
「なんで謝るの?」
顔を覗き込む。
彼女はうつむいたまま言う。
「……勝手に気にして、ヤキモチ妬いて、変な態度とりました……」
深刻な表情。
それで、僕が怒るとでも思ってるんだろうか。
「私はその人の代わりで、誰でも良かったのかも、とか考えちゃいました。ちょっと考えれば、そうじゃないってわかるのに。誰でも良かったんなら、今まで誰とも付き合ってないなんてことないから。それに、そんな風に考える自分も嫌で、自己嫌悪でした」
彼女の中に立ったささくれは、自分に向いていたらしい。
僕に向けてもおかしくない。そういう人もいると思うけど、彼女はそうじゃない。
そういうところも、好きなところだ。
「でも、ちゃんと私を見てくれて、それで、その……好きに、なってくれたってわかったから……それと……」
彼女の声が小さくなる。
「私も、そういう風にしてくれる久保田さんが、好きだから……」
彼女はうつむいているけど、つないだ手をきゅっと握った。
僕の心臓もつかまれた気がした。
「歩実、ここまだ道路なんだけど、わざとやってる?」
彼女が顔を上げる。
「わざと?なにを?」
「今、すっごくキスしたい」
彼女は、ぱっと顔を赤らめて、うつむいた。もうどんだけ可愛いんだ。
僕は歩き出した。さっきと同じ、ゆっくりと。
本当は、早く帰って、抱きしめて、キスしたい。でもそうすると、そこから先、自分を止める自信がない。
太一君が待ってるから、それはやめておこう。
それができなきゃ、彼女と付き合う資格はない。
「僕もだよ」
「え?」
「僕も、勝手に嫉妬して、変な態度とった」
「あ……」
彼女も思い出したようだ。
「そうでした、ね……」
「だから、おあいこ。それに、僕は、妬いてもらえて嬉しいよ」
彼女が僕を見上げる。目が丸くなってる。
「妬きっぱなしは困るけど。僕も気を付ける」
軽く笑う彼女も可愛い。
「太一君はどうかな」
「太一ですか?」
「そう。お母さんを取られた、ってならない?」
「さあ……でも、気を付けようとは思ってます。似たような話は再婚したママ友から聞いたことはあるので……」
やっぱりそういう話はあるらしい。
「僕も気を付けるよ。太一君が負担に思うような付き合い方はしたくないから」
「……ありがとうございます。でも、久保田さんの負担にも、なりたくありません。太一も、多分そう思うと思います」
彼女はにこ、と笑った。
「みんながいい形で、が1番いいですね」
眩しい、と思って、僕も笑う。
「そうだね。話し合いながら、かな」
「はい」
2人で笑顔を交わした。
心が満たされるというのは、こういうことなんだと実感した。