夕ご飯を一緒に 〜イケメン腹黒課長の策略〜
素早く自宅に戻って、エントランスの自動ドアを開ける。
ほどなくして、インターホンが鳴った。
玄関のドアを開ける。
「一体何してたのよ」
母は。待たされたせいで少し機嫌が悪そうだ。
「すいません、事情は後で説明します」
とりあえず入ってもらう。
冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを出して、母の前に置く。この人はいつもこれを飲む。
「いつ来ても殺風景ねえ」
部屋を見回しながら言う。
僕は苦笑した。
「いつ来てもって言うほど来てないでしょう」
「そうだけど。あんたの部屋は昔からこうよ。ねえ、一体何してたの?この部屋寒い」
確かに。暖房をつけたばかりだから、まだ部屋は暖まっていなかった。
「そのうちあったかくなりますよ。それで、何の用ですか」
「なによ、藪から棒に」
「それはこっちのセリフです。連絡も無しに、わざわざ来るなんて、何事ですか」
「あんたにお見合いの話が来たのよ」
驚いた。
意外、としか言いようがない。
「なによその顔。ぽかんとしちゃって」
「……まさかお母さんがそんなことを言い出すとは思わなかったので」
子育ては放任主義。関心が無いのかと思うくらい放っておかれた。
大学に入って家を出てからは、用事が無いと会わない。顔を合わせるのは冠婚葬祭の時くらいだったのに。
その母が、見合い?なんで今更。
「お見合いの話は、今まで何度も来てたのよ。全部断ってただけ。だってあんた関心なさそうだったし、お見合いじゃなくても結婚相手は見つかると思ってたから」
「じゃあなんで今回だけ」
「今どうなってるのか、聞いとこうと思って。玄ちゃんがね、教えてくれたのよ。あんたが、女の人と手をつないでマンションに入って行くのを見たって」
玄ちゃんとは、坂田玄三という、このマンションの裏手に住む母の幼なじみだ。今でも茶飲み友達らしい。
そうやって、周囲の人間から母の耳に入るだろうとは思っていた。想定よりは大分早いが、偶然見られてしまったんだろう。
「その女の人がいることを期待して来たんだけど。いないし」
いますけどね、下の階に。
「お見合いはしないだろうから断ったけど。実際どうなの?あんたがここに女性を連れ込むなんて初めてじゃない。どんな人?」
「あー……」
少し迷ったけど、正直に全部話した。
相手が歩実だということにはさほど驚いていなかった。彼女が熱を出した時に付き添っていたからだろう。予想はしていたらしい。
下の部屋に住んでいる、というのにはさすがに少し驚いていたようだったが。
そして、僕が毎日夕ご飯を小平家で食べている、というのにも驚いていた。
「あんなに食に興味がなかったのに」
「自分でも意外です」
「へえ〜、太一君の料理、私も食べてみたいわ」
「まあ……それは機会があれば」
伝えるだけ伝えておこう。
「それで?結婚はいつなの?」
母は当然のように聞いてくる。
言葉に詰まった僕を見て、母は眉根を寄せる。
「なによ、しないの?なんで?太一君に嫌われた?」
「そうじゃありません」
畳み掛けるように言ってくるのは、母の癖だ。やめてほしいけど、言っても直らない。
「まだそんな話は出ていませんから」
「まだって」
「僕はそのつもりですけど」
言葉を遮る。こうしないと、この人は黙ってくれない。
「あちらにもいろいろ、それこそ太一君のこともありますから、あちらのペースに合わせるつもりです。口出しは無用ですよ」
「口出しするつもりはないけど」
ふうん、と母はうなる。
「圭は?それでいいの?」
この質問。懐かしく感じる。
僕が何かを決める度に、両親は必ずこう聞いてきた。
僕はこの質問で、もう一度よく考える。
頷けば、たとえ親から見て危ない橋であっても、渡らせてくれた。
「心配なのは、子どものことよ。太一君じゃなくてね」
頷こうとしたら、母が続けた。
「もし、2人の子どもが欲しいと思うなら、早い方がいい。太一君のママはあんたと同い年でしょう。今はもっと高齢でも産めるけど、それでも早いに越したことはないから」
でもね、と更に続ける。
「2人で決めたことに口を出す気はないわ。お父さんもね」
純粋に心配してくれているらしい。
素直に受け取っておこう。
「わかりました。話し合っておきます」
「太一君も、もしかしたら兄弟が欲しいかもしれないしね」
「それは……聞いてみますよ」
兄弟。そうか。
自分が一人っ子で、それで満足していたから、そこまで考えなかった。
「太一君が孫になるのねえ。なんて呼んでもらおうかな。真理ちゃん、なんてどう?」
うきうき話す母。真理ちゃん、て。いくつですか、お母さん。
「知りませんよ。本人に言ってください。それにまだ孫になるかどうかは」
「いいじゃない、籍入れても入れなくても同じことよ。家族になるんでしょ?」
『家族』
思わぬ言葉が落ちてきて、思考が止まる。
「なにぽかんとしてるの。私とお父さんも混ぜてもらえるんでしょ?」
混ぜてもらうって、僕と同じことを言っている。
親子か……と思った。
「早くちゃんと会わせてね。楽しみにしてるから」
母はそう言って、からからと笑って帰って行った。