銀の系譜
2章

 アルフィーナに言った通り、兵の入れ替えがあるこの時期は忙しい。
 屋敷に戻れず、王宮に与えられた部屋に泊まりこむこともしばしばだ。
 それは王都軍を統括する父も同じで、屋敷に戻っても父と会えることは稀だった。

 それでは相手をする人間がいなくて、先日戻ってきたばかりのアルフィーナは暇を持て余すだろうと心配していたのだが、どうやら昼は一人で城下を巡ってあちこち見物しているらしい。

 アルフィーナの剣の腕には大抵のものは太刀打ちできぬし、アルフィーナも刺客に襲われることを懸念しているようで、人通りのないところにはいかないようにし、夜は屋敷で大人しくしていると屋敷の者から報告を受けている。
 ならば王都の民の暮らしを知ることは、アルフィーナの今後の参考となるだろうと思って、ユストゥスはアルフィーナに小言を伝えるようなことはしなかった。

 それよりも。

 執務卓の上に乱雑に積み上がった書類を見て、ユストゥスはため息を漏らした。
 普段なら副官であるエトムントが処理すべき順番にきれいに並べてくれるのだが、彼は今日休みを取っている。そのせいで、持ち込まれる書類は積み重なるばかりで、ちっとも整理されていない。

 整理すればよいのだが、整理するその端から書類が持ちこまれる。そのため書類を整理をすれば作業が手につかず、作業を進めれば書類が乱雑に積み上がっていくばかりだった。
 なかなか捗らないユストゥスの作業に、幾人かの部下が提出した書類を早く決裁してくれと催促に訪れていた。

「フィーに見られたら、無能と誹られるな」
 ユストゥスは苦笑した。
 だが兵の入れ替えがある今の時期、軍の責任ある立場にいる者は、皆こんなものだろうとユストゥスは思う。
「身体を動かしている方が、性に合っているんだがな」
 若年ながら、近衛師団の指揮官という重責を任されていると言うのは、名誉であり喜ばしいことなのだとは分かる。たが責任が増えれば増えるだけ、机上での煩雑な作業が増えるのも事実だ。
 正直、王都軍でぜいぜい四、五十人の小隊の長を務めてい頃の方が気楽だった。

 元々、面倒なことを好んで引き受ける性分ではないのだ。
 だが、王都軍将軍テオドールの養い子である自分は、王都軍にあろうと、近衛師団にあろうと、剣豪と名高い養父以上の実力を持って、軍務を果たすことを求められていた。
 それに、アルフィーナの後ろ盾になると自分で決めた現在ではなおさら、嫌だから、気が進まないからという理由で、責任を放棄することはできなかった。

「親父とも一度話さないとな」
 (みこ)王の命により、アルフィーナを王都に呼び戻すと決まり、自分の代わりにアレクシスをアルフィーナの元へ遣ると決めた時、父からは巫王の決定がどんなものであっても、自分の好きにすればよいと言われた。
 アルフィーナを擁立すると決めたことを父に反対されることはないだろうが、やはり一度、父と会って自分の気持ちを話しておきたいとユストゥスは思っていた。

「とは言えな」
 卓の上に積み上がった書類を見て、ユストゥスはため息とともに苦笑した。
「親父も似たようなものだろうし、これが片付かないことには、親父と話す時間も取れないか」

 地下通路を通って、アルフィーナを神殿に連れて行った日が特別だったのだ。あの日は仕事の切りがいいところで王宮を辞したが、翌日は、前日やり残した仕事と当日持ちこまれた仕事が溜まりに溜まって、終わらせるのが大変だった。

「親父と話すのはしばらく無理だな」
 ユストゥスは軽く肩をすくめ、少し休憩するかと立ち上がった。戸棚(キャビネット)に近づき、扉を開けた。

 ユストゥスが持ち込んだ葡萄酒や果実酒の瓶が並んでいる。手近にあった一本を適当に取り、一緒に置いてあった(グラス)に手を伸ばしたが、(グラス)の前に小さな封書が置いてあるのに気づいて手を止めた。こんなところに封書を置いた覚えは、ユストゥスにはない。

 ユストゥスは酒瓶を元に戻し、封書を手に取った。
 手のひらより一回りほど小さい真っ白な封筒には、宛名も送り主の名も記されていない。
 ユストゥスの不在時、この部屋に自由に出入りできる人物は限られているが、その中で戸棚(キャビネット)に封書を置くような人物など、ユストゥスには心当たりがない。

「俺が一人の日を狙って、忍びこまれたというところか。何にせよ、こんなところに俺にわざわざ見つけてもらいたがっているように置くなんて、面倒なものであることは確かだな」

 巫王から声がかかった時点で、王位継承を巡る覇権争いに巻き込まれることは覚悟していた。早速、アルフィーナが王都に到着したことを知った機を見るに聡い者たちが動き出したらしい。アルフイーナの有力な後ろ盾となるユストゥスに接触を図ってきたのだろう。

 ユストゥスは左頰に深く残る傷跡を指の先で軽くなでてから封筒を開け、中身を取り出した。
 白い紙の上に、細く流れるように続く神経質そうな文字。
「これは」
 見覚えのある筆跡に、ユストゥスは目を見開いた。
「グイードか」

 紙片には、今宵、屋敷にある神殿跡で待つと書かれていた。

「グイードがエーファ殿に協力していることはアルフィーナから聞いたが」
 ユストゥスは、顎に軽く握った拳をあてて考えた。
「グイードの奴、おそらく俺がどうするのか確かめたいんだろうな」
 ユストゥスは深く長く息を吐きだすと、頰の傷跡を手でなぞった。




 その部屋は屋敷の地下にあった。
 グイードは鍵を取り出し扉を開けた。

 部屋の奥の壁の上の方、外の地面と同じ高さに鉄格子が嵌められ、わずかな陽の光が差しこんできている。
 薄暗い部屋の中央に、人が一人、うつ伏せになって寝ていた。

 グイードはそれに近づき、脇腹をつま先で蹴った。
 それは小さく呻いて少し身じろぎしたが、目は覚まさない。

「おい」
 グイードは言って、先程よりも強い力で、脇腹を蹴った。

「っ、うん」
 それはやはり目をあけず、足枷からのびた鎖を足首に巻きつけながら、グイードから逃げるように寝返りを打った。

「呑気な奴だ」
 グイードはそれを見下げ、蔑みをふくんだ声で笑った。
「敵に囚われているというのに、熟睡とはな」

 アルフィーナを逃した後、エーファの手前もあり、もう一度アルフィーナを襲う機会を狙って、グイードは手下を従え、街道の人気のない場所を見張っていた。
 そこで出会ったのは、一人帰路を行くアレクシスだった。
 その時、これは利用できると思ったのだ。

 巫王がアルフィーナを王位に就けると決め、テオドールがそれに協力すると決意すれば、周囲の、特に養父の期待を裏切れないユストゥスは、内心アルフィーナにどんな感情を持っていようと、それに従うだろう。だがアレクシスを人質に、エーファの側につけと迫ればどうなるか。

 フィネが殺されるまで、アイゼンフート家に仕え、ユストゥスの世話係をしていたから、ユストゥスの性格はよく知っている。

 養い子であるにもかかわらず、アイゼンフート家の嫡子と定められたユストゥスは、テオドールとその実子であるアレクシスに対して、自分さえいなければと負い目を持っていた。
 ユストゥスの持つアルフィーナへの憎しみと、自身の出自に対する劣等感と義弟(おとうと)に対する罪悪感。

 これらをうまく利用できれば、ユストゥスは、アレクシスを救うためにと自分に理由をつけ、巫王と父に背き、アルフィーナへ対し復讐することを選ぶのではないかとグイードは考えていた。

 それに、とグイードはほくそ笑む。

 ともに育ち、兄とも慕ったユストゥスに裏切られた知ったなら、アルフィーナの怒りと憎しみはどれほどのものになるかと心昏い悦びもあった。

「心穏やかに殺してなどやるものか」
 身も心も散々に苦しめてから殺してやる。

 グイードは復讐の誓いを新たにし、部屋を後にした。
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