花を愛でる。
するとそこに立っていたのは私の隣に座っていた男性だった。
「良かった、まだ帰ってなかった。これ落としたよ」
「え?」
「クリアファイルを出した時に落ちて椅子の下に滑り込んだんだと思うけど」
大事な紙だと思って、そう彼から手渡された紙を受け取る。確かに私が持っていた紙だ。
でも……
「……」
手にしている紙に印字されている「秘書課程」という文字に目を細める。心のどこかでこの文字を見たくないという気持ちがあったからだ。
私は様子が沈んだのを見て男性は「どうした?」と、
「もしかして必要のない紙切れだった?」
「……いえ。ただあってもなくても同じことだなと思って」
「どういうこと?」
「え?」
予想外に聞き返されて戸惑って顔を上げると彼の色素の薄い目と目が合った。
ホールが少し薄暗かったこともあってあの時はちゃんと顔を確認出来ていなかったけど、こうして見たら外国人のような顔の整い方をしている。
講演終わりの客で溢れているエントランスで立ち止まって話しているのは私たち二人くらいだった。
「どうしてだか聞いてもいい?」
「……」
今日会ったばかりの人なのにどうしてこんなことを聞いてくるんだろう。
しかし何故かこの人と話していると自然と言葉が胸から溢れ出してくる。彼の声色だったり人当たりの良さそうな態度だったりするからかもしれない。
「……秘書になるには秘書課程に通わなくてはいけないですし、実際資格を取れたとしてもなれるまでの道は厳しいと聞いていますから」
秘書課程を受けなくても独学で検定を受けられることは知っている。しかし私が望んでいる企業の幹部クラスの秘書になるには上級秘書士の資格が欲しい。
その為に秘書課程に通いたいが講義を受ける為には授業料を払う必要がある。
「それにうちは経済的に厳しくて……なので諦めようと思って……」
今の私にとって最も優先すべきことは母に楽をしてもらうことだ。彼女は勉強が好きな私の為にお金を貯めて入学費を溜めてくれた。
授業費が全額免除となる特待生として入学した私は次年度も特待生となるために成績を落とすわけにはいかない。きっと秘書課程の講義が入ってしまうと本筋の成績との両立が厳しくなることが目に見えている。
だから一年目は受けなかった。それなのに今になって私はまだ、秘書への夢を捨てられずにいる。
どれだけの理由や言い訳を見つめても、幼い頃からの夢が、母が応援してくれた目標を手放したくないのだ。