花を愛でる。



「けどそんなに忙しくて大丈夫か?」

「健康には気を遣ってるから。実家暮らしだし貯金も結構溜まってる」

「そうじゃなくてさ、結婚とかどうすんの?」


突然飛び出した現実味のあるフレーズにシャツのボタンを留めていた手が止まった。


「……あんまり考えてない」

「だろうな、花って昔から一つのことに集中したらそれ以外は疎かになってたし」

「結婚したいとも思ってないし、多分そういう出会いもこの先はない気がする」


と言いつつもこの先何もなく枯れていくのは女としてどうなのかと不安に思うこともある。
だけど私よりも年上で結婚も何も考えてなさそうなうちの社長のことを考えると、自分はまだ大丈夫な気もしてくるし。

いや、あの人と比べている時点でどうなんだと軽く頭を抱えたくなったその時、ベッドで寝ていた彼からとんでもない発言が飛び出した。


「俺さ、もう直ぐ結婚するんだ」


雷に打たれたような、ガツンと頭を叩かれたような衝撃が私を襲う。
は?と後ろを振り返ると悪びれもしない彼がそこにいて、思わず言葉を紡ぐ声が震えた。


「え、今彼女いないって……」

「ごめん、嘘ついた。でもそうしないと会ってくれないかなって」

「当たり前でしょ。彼女がいるって知ってたらこんなところにも来てない」


ということは私は婚約者がいる男と寝たというのか。彼の浮気に加担してしまったと。
全身から血の気は引いていく。目の前にいるこの男が悍ましい物体のように思えてきた。


「どうしてそんなことを……」

「結婚したらもうこうして他の女と遊んだりできないだろ。それに花とは円満に別れたわけじゃなかったからその後のことも気になってて」

「信じられない。人としてどうかと思う」

「そう言うと思った。けど、これでやっと心置きなく今の彼女と一緒になれる」


私はすぐさま服装を整え、鞄をひったくると最後に昔恋人だった男の顔を睨み、そして無言のまま部屋を後にした。
ホテルを出た私に残ったのはあの男に抱かれた余韻と後味の悪さだった。


「(信じられない……もしこのことがバレたらどうするつもりなの)」


実際、私が彼の家族から婚約者に今日のことを告げれば、彼の居場所はどこにもなくなる。しかしそうしても私には何もメリットがない。むしろデメリットしか残らない。
一体どこに倫理感を置いてきたんだという感情と浮気に加担してしまった罪悪感が胸に犇めき合っている。

だけど何よりも、今の私の心の中はぽっかりと穴が開いたように空虚さが纏わりついた。
何故こんなにも自分のことがみすぼらしく思うのだろう。


「(ああ、そうか……)」


どうして私のことを弄んだあの男は他の女と幸せになれて、真面目に働き誠実に生きてきた私が誰とも幸せになれないのか。
そんな世界の作り方に、在り方に、ただ打ちひしがれることしか出来ない。

思い返せば、彼は行為中に唇にはキスをしなかった。


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