花を愛でる。



彼の言葉に反応しなかった私に、社長は不意に仕事でしか見せない真面目な表情を浮かべた。


「もしかして田崎さんって、俺が思ってるより真面目じゃない?」

「勝手に見た目だけで決めつけないでください」

「ごめんごめん、でもそっか。田崎さんでもそういうときあるんだねえ」


運ばれてきたカクテルを口に付けた彼がそっと私の膝の上に置かれていた手に自分のを重ねる。
その手は酷く冷たくて、彼と手が触れあったのはこれが初めてだった。

と、


「そんな顔をされると襲いたくなるよ」

「っ……」


私の顔を覗いた彼の瞳はどこまでも透き通っていて、感情全てを持っていかれてしまいそうなほど深かった。
世の女性が彼に恋い焦がれる理由が、そこには詰まっていた。


「なんて、流石にセクハラだと思われるかな」


手の甲を引っ掻くようにして離れていった体温と共に彼の影が私の顔から消える。
一瞬だけでも彼の手腕に落とされそうになってしまった自分が酷く情けなく映った。


「だけど今日は帰った方がいい。あと俺が言うのもなんだけど、自分のことは大事にした方がいいよ」


顔に熱が集まった。いい年こいて年上の男性からそんな注意を受けるなんて、自分はなんて不甲斐ないのだろう。
かあっと頬が赤く染まるのと同時にどうしようもなく泣きたい気分になった。涙が込み上げる前に鞄を手に取り席を立つ。


「お店の外にタクシー呼んでおいたから」


彼の傍から去ろうとすると背中越しにそんな声が耳に届いた。
何処までも付け入るような優しさに涙を堪えながら会計をし、店を出た。

生ぬるい夜風が首元を攫う。ふと顔を上げれば一台のタクシーが止まっていた。
吸い込まれるように後部座席に乗り込むと自宅の住所を言い、シートに体重を預けながらゆっくりと身体の力を抜いていく。

一度閉じた目は再度自力では持ち上げることが出来ず、気が付けば自宅のマンションに辿り着いていた。
本当、一時の夢を見たみたいだ。そう思うと今日起こった出来事全て、ちっぽけなことのように感じた。

最初から期待せずに諦めてしまえば、少しは心が軽くなるはずだ。


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