花を愛でる。
休日の貴重な穏やかな時間が流れ、私の自宅であるマンションに到着した。
ありがとうございますとお礼を告げるとシートベルトを外す。
「俺も花のお母さんに挨拶しようかな。『いつも娘さんにお世話になっています』なんて」
「お世話になっている自覚があることは好ましいですが今後一切そのような思考にならないようにしていただいても構いませんでしょうか?」
社長と母が対峙する未来など今後来てほしくない展開である。彼がこれ以上私の家のことに興味を持たないよう、「それでは失礼します」と別れを告げ車を降りる。
最悪車が見えなくなるまで見送ろうとしていると窓越しに彼が「行っていいよ」と手を振るのが見えた。一度深く頭を下げるとマンションの玄関へ向かった。
しかし金曜の晩から今日の朝まで酷く長く感じたな。家に帰ったらもう一度眠りに付けそうだ。
今日はとにかく身体を休ませることに専念して、する予定だった勉強は明日に回そう。
家の玄関のチャイムを鳴らすと暫くして母が顔を出した。
「おかえりなさい、それからお疲れ様」
「お母さん、ただいま」
ずっと一緒に暮らしている私の唯一の肉親である母。彼女の顔を見た瞬間に肩の力が抜ける気がした。
「大変だったでしょう。朝ご飯は食べた?」
「うん、軽くだけど。ちょっと一回部屋で横になりたいからお昼遅くなってもいい?」
「それは大丈夫だけど……」
すると母の視線が私の頭上に向けられ不審に思う。彼女は困った表情で掌を頬に当てると「それから」と、
「後ろの方はどなた?」
「え……」
後ろ?、と恐る恐る背後に目を向ける。するとそこに立っていた人物に思わず「え?」と低い声が漏れ出た。
「初めまして、奥さん。向坂遊馬と申します。お会いできて嬉しいです」
そこには満面の笑みを浮かべる社長が立っていた。この人帰ったはずでは、なぜここに。
家ではあまり仕事の話をしないせいか、母は私が社長秘書をしていることは知っているが社長についての知識は少ない。勿論顔も知らないので今目の前にいる人物が誰かも分かっていないはず。
「こ、こんにちは。花のお知り合い?」
「あぁ、すみません。僕はこういうものでして」
何処から取り出したのか、戸惑っている母に彼は自身の名刺を差し出した。
そこに書かれている「代表取締役」という彼の役職を目にしたのか、母は目を見開いて口元を押さえた。
「いつも花さんにはお世話になっています。昨晩も僕の都合に付き合っていただき、こんな時間までお預かりしてしまいました」
「いえいえ、こちらこそ。まさか社長さんとは思わなくって」
「いつか花さんのお母様にはご挨拶に迎いたいと思っていました。まさかこんな素敵な方だとは」
私の目の前で何故か私の母を口説き始める彼。女性なら相手は誰でもいいのか。
遂に我慢ならなくなった私は彼の腕を引っ張り母から引き離す。
「あ、あの! なんのつもりですか?」
「ん? だから花のお母さんに挨拶をって」
「必要ないって言いましたよね!」
というかさっきから無駄に放っているそのキラキラのエフェクトをしまってほしい。
すると私の言葉を聞いた彼がニヒルに微笑んだ。
「“今後一切”そういう考えになっちゃいけないって言われたから挨拶するなら今しかないかなって」
「……」
そうだった、この人に常識は通じないんだった。
どう追い返そうかと思考を巡らせている間に一人そわそわと落ち着きのなかった母は「あの」と社長に声を掛けた。
「何もない家でお構いも出来ませんが、よかったら上がっていってください」
「え、」
親切心でそう口にした母の発言に否定する前にキラキラを倍増させた彼が振り返る。
「是非!」