中古車

   03
 
 「決まりだ」
 斉藤勇作はファミリー・レストランの駐車場で、友人の磯貝洋平と顔を合わすなり言った。それが挨拶代わりだ。
 ときどき二人は待ち合わせをして一緒にコーヒーを飲む仲だ。昨夜、勇作が電話して誘った時には、この件について黙っていた。
 磯貝洋平は24才で独身だ。色白で中肉中背だが、最近は少し太ってきたらしい。増加する体重を気にして勇作と一緒に木更津市のスイミングクラブへ通いだした。
仕事は自宅でCADの設計をしている。会社勤めだったのだが体を壊して退職を願い出たところ、毎日は出社しなくていいから自宅で仕事を続けてほしいと言われて、今の勤務状態が続いている。
 知り合ったのは磯貝洋平が中学生の時で、勇作は彼の家庭教師だった。勉強をしながら色々と世間話もする。お互いがボクシング・ファンで洋楽好きという共通点が見つかった。小説も好きで、勇作がコレクションの中から特に面白い本を貸しては読ませた。付き合いは大人になっても続いていた。
 「え、じゃ奥さんの許可が下りたんですか?」
「そうなんだ。上手く行った」
「良かったですね」
「ああ。で、車庫証明はどうなってる?」
「OKです。昨日、警察署から連絡がきました」
 車庫証明の取得には日数が掛かる。とにかく勇作はゴルフを磯貝に譲るつもりだったので、早めに申請するように言っていたのだ。
 「それなら今日、取りに行けるか?」
「はい」
「じゃ、ついでに市役所へ寄って印鑑証明も用意してくれ」
「わかりました」   
 二人で店内へ入ると、いつもの窓際の席へ腰を下ろす。顔なじみになったウェートレスが来て、にこにこしながら注文を聞く。コーヒー2つと、いつも返事が決まっているからだ。
 「髪が伸びてボサボサじゃないか。お前らしくない」勇作は磯貝のヘアースタイルが決まってないことに気づく。
「そうなんですよ。そろそろ切らなきゃと思っているんですが、なかなか時間がなくて」
「小夜子だろ?」
「そうです」
「いいな。付き合っている女が美容師なんて」
 磯貝洋平のガールフレンドは駅前にある、『美容室アベニュー』という店でトップ・アーティストとして働いていた。
 「そうでもないですよ。こっちの注文を聞かないで勝手にカットするんですから」
「あはは。お前をカッコ良くしてやろうとしているからさ。我慢するしかないぜ」
「そうですけど……」
「だけど、あの店は値段が高い。オレは一度だけ行っただけだ。スタッフ全員が若い女で美人揃いなのには驚いた。美容院て言うよりもキャバクラっていう雰囲気だったぜ」
「そこがいいんですよ」
「カットで4千5百円も払った」
「指名すればプラス5百円なんです。自分は行けば5千円は使いますよ」
「そんなにか。でも店は繁盛していたな」
「綺麗な女の子を目当てにした男たちが足を運ぶんですよ」
「そんな感じだ」
「で、BMWは見つかったんですか?」
「いいのがあった。それも、この近くにだ」
「本当ですか」
「板垣モータースって言うんだ。場所は127号線沿いで常代の方らしい。これから行ってみようと思っている」
「嘘でしょう」磯貝が驚いた顔を見せる。
「どうして?」
「オレ、そこでバイトしてたことがあります」
「マジかよ?」
「時給が良かったのでダメ元で応募したら採用されたんです。なかなか忙しい店でした。こき使われましたよ」
「そうだったのか」
「二代目になって店を広げるために常代の方へ移転したんです。それまではDマーケットの近くにありました」
「信用できる店か?」勇作は訊いた。
「ええ、それなりに。コンディションの悪い車は扱わないです。信用していいと思います」
「そうか。よかった」
「二代目は板垣順平っていうんですが、その奥さんが凄い美人なんですよ」
「へえ」
「スタイル抜群で超セクシーなんですから」
「会ってみたいな」
「午前中なら店にいるんじゃないかな」
「そりゃ、楽しみだ」
「きっと驚きますよ」
「期待しよう。じゃ、お前の知り合いだと言ったら、少しは値段を安くしてくれるかな?」
「……」磯貝が急に口を閉じる。
「どうした?」
「それは、……それはしない方がいい……と」
「どうして?」
「ちょっと、マズい……です」
「何があったんだ?」
「大した事じゃないですけど……、でも、オレの名前は出さない方がいいでしょう」
 言いたくなさそうな磯貝の態度が勇作の好奇心に油を注ぐ。「わかった。磯貝の名前は出さない」
「そうして下さい」
「でも何があった? 大した事じゃないなら言っても構わないだろう」
「え、まあ、そうなんですけど……でも」
 言いながら磯貝の顔がニヤニヤしたのを勇作は見逃さない。
「わかった」
「えっ?」
「お前、もしかして、その奥さんにちょっかい出したんだろう?」
「……」驚いた磯貝の顔。
「やっぱりか。大した事するぜ、お前は」
「よく分かりましたね」
「お前らしいよ。バイト先の奥さんに手を出すなんてな」
「ま、待って下さい。そんなんじゃ……」
「たいしたもんだ。呆れるというより、もはや天晴れと言っていいくらいだ」
「違うんです。あの奥さんの方から誘ってきました」
「ウソつけ」
「本当なんです」
「まさか、そんな美人が」
「そんな気はオレになかった。だけど香月さん、いえ、奥さんの名前が香月って言うんですが、すごく彼女は大胆でした」
「本当かよ?」信じられない。
「オレだって焦りましたよ。これはヤバいと思いました。だけど香月さんに言い寄られたら誰だって拒むことなんか出来ません」
「お前、ヤっちまったのか?」
「いいえ、そこまでは……」
「じゃ、どこまで?」すげえ気になる。
「キスして身体を触ったぐらいです」
「そこまでかよ」
「ええ、残念ですが」
「これからっていうところで、奥さんの気が変わったのか?」
「違います。見つかったんです」
「誰に? 社長にか」
「いいえ、息子です」
「マジかよ」
「小学生になる息子が見てたんですよ。オレたちが母屋の台所で抱き合っていたら」
「最悪じゃないか」
「ええ、まったくです。社長に告げ口されちゃって、その場でクビになりました」
「クビにされただけで済んだか?」
「はい」
「殺されなかっただけでも良かったと思うんだな」
「その通りです。で、その息子なんですが」
「うん」
「すっげえ頭がいいんですよ」
「へえ」
「確かに面影は香月さんと似たところがあります。だけど専務とは全然似てないです。それに二人は高校へ行ってません。息子に勉強を教えるなんてことは出来ないと思いますよ。だけど学校の成績は半端じゃなく優秀なんです」
「じゃ、お前が思うに、その息子の種は違うってことかよ?」
「そうです。二人は中学のクラスメイトで、そのまま結婚に至ったらしいですけど」
「学生結婚なのに、産まれた息子は父親が違うってことか……、そりゃ、信じられないぜ」
「そうなんですよ」
「へえ。その香月とかいう奥さんには、ぜひ会ってみたいな」勇作は強い興味を覚えた。
 「斉藤さん、話は変わりますが」
「うん」
「あのゴルフⅡは20万円で売ってもらえるんですよね?」
「約束した通りだ」
「ありがとう御座います。あの無骨なスタイルに惚れました」
「こっちこそ、感謝するよ。これでやっと憧れのBMWに乗れるんだから」
「ゴルフの調子はどうですか? どこか修理が必要なところってありませんか?」
「ないよ。今のところは何の問題もなく走ってくれる。それに今年の初めにATF、ブレーキ・オイル、スティアリング・フルードなんかは交換したしな。走行距離は8万キロを少し超えたところだ」
「じゃ、そのまま乗り続けて構わないってことですね」
「そうだな。ラジエターの冷却液も交換したし、……あっ」
「え?」
「強いて言えばバッテリーだ。まだ1年ぐらいは使えるかもしれないが、そろそろ交換を考えた方がいい」
「わかりました。幾らぐらいします?」
「値段は、……幾らしたっけかな、3年ぐらい前に交換したんだが覚えていない。だけど国産車と違って安くないことは確かだ」
「やっぱり」
「通販で買った方が安いぞ。それとも、これからイエローキャップへ行って、幾らで売っているか調べてみるか。あそこへ行けば手塚奈々ちゃんに会えるしな」
「そうしましょう。彼女、最近は泳ぎに来ていませんから」
「ここ2回ばかり休んでる」
「どうしたんだろう」
「明後日の飲み会には来てほしいな」
「そうですね。彼女が居るのと居ないのでは大違いだ」
「なにしろ君津南中学の生徒会長だった方だからな」
「あはは。その通りだ。あの子が生徒会長をやってたなんて、なんか想像できない」
「まったくだ。水着コンテストで優勝したって言うなら頷けるけどな」
「オレもです」
「じゃ、とにかく行ってみよう」
「そうしましょう」
 二人はファミリーレストランを出た。
 手塚奈々はスイミング・クラブで知り合った20歳の女性だ。カー用品を扱うイエローキャップで働く。スタイルは抜群で、瑞々しい色気を発散していた。水着姿は眩しいほどだ。勇作と磯貝の冗談に大笑いしてくれる。何度か近くにある養老乃瀧へ誘って三人で飲み食いした。明後日に行われるスイミングクラブの飲み会には参加してほしかった。
 
   04

 「いらっしゃ――あ」
 勇作と磯貝の二人がイエローキャップの店内に入っていくと、目当ての手塚奈々は受付けに立っていた。水着姿はもちろんだが、なかなか青い制服姿も似合う。美人で背が高い女性は存在感があって、人目を惹きつける。改めて、そう思った。
 「おはよう」勇作は挨拶した。
「おはようございます」手塚奈々はカウンターから出てきた。
「バッテリーを見に来たんだけど」
「それなら、こちらになります」
 店の奥へと進んでいく彼女の後ろを勇作と磯貝の二人が追う。お尻の形が素晴らしい。脚が長いから余計に引き立つ。
 「奈々ちゃん、最近は泳ぎに来てないけど、どうしたの?」
 受付けから離れて三人だけのスペースが確保されると、勇作はプライベートな事を口にした。
 スイミングクラブは行くまでは気持ちが重いが、行って泳ぎ終わると爽快感から来て良かったと思えるのだ。しかし二十歳の若々しい水着姿が拝めるなら状況は一変する。泳ぎに行く日が待ち遠しかった。
 「すいません」手塚奈々は謝った。でも笑顔のままだ。
「そうだよ。どうしちゃったの?」磯貝が続く。
「ちょっと忙しくて……」
「じゃ、明後日の飲み会はどうする?」勇作が訊く。
「え、明後日でしたっけ?」
「そうだよ」
「……」
「来てほしいな」
「そうだよ。奈々ちゃんが来てくれないと盛り上がらない」
「何とか行けるようにします」
「よかった」
 いらっしゃいませ、という言葉が受付けから何度か聞こえてきた。次々と客が入ってきたらしい。それを気にする様子の手塚奈々。
 「奈々ちゃん。オレたちは、もういいよ。自分たちで探せる。受付けに戻った方がいい」
「すいません」
 手塚奈々が立ち去ると勇作は、バッテリーの棚に結ばれたリストを手に取って開く。ゴルフⅡは1991年式で型式はE-19RVだった。
 「これだ」勇作は、箱に欧州車仕様と書かれたバッテリーを指差した。
「へえ、29800円もしますよ」がっかりしたように磯貝が言う。「思っていたよりも高い。オレのヴィヴィオは4000円で買えるのに」
「おい、軽自動車と一緒にするな。通販で買えばいい。お前のソーテックでサイトを探してみろよ。きっと安いのが見つかるはずだ」
「わかりました」
 二人がイエローキャップの店を出る時、あいにく手塚奈々は接客中だった。勇作が目で合図を送って頷く。彼女は笑顔で会釈して応じてくれた。
 「これから板垣モータースへ行くんですね?」駐車場で別れ際、磯貝が勇作に念を押すように訊く。
「そうだ。もし決まったら連絡するよ。ゴルフを譲り渡すのに手続があるからな」
「わかりました。じゃあ」
「うん」

   05  
   
 斉藤勇作はゴルフⅡの運転席に座ると、イグニッション・キーを回した。一発でエンジンが掛かる。1995年に4年落ちの中古車として買った車だ。これまでずっと調子良く走ってくれた。
 フォルクス・ワーゲンのゴルフは、Ⅲのモデルから角を削った洗練されたボディ・デザインになっていた。今は5代目だから、ゴルフⅡはかなり古い車と言えた。
 しかし角ばったスタイルは無骨でストイックな印象があって、歳月と共に存在感を強くしていく。日本車みたいに旧モデルは見劣りして見向きもされないという感じではなかった。
 ゴルフのⅠ型はジウジアーロのデザインだ。フォルクス・ワーゲン社が、世界中で売れたビートルに代わる主力商品として開発した自動車だった。まさに社運を賭けた一台と言えた。
 しかし、そのジウジアーロのデザインが当初は消費者に全く受けない。勇作自身も自動車雑誌に掲載された写真を見て、「なんで中古車みたいな新型車をわざわざ作ったんだろう」と、首を傾げたものだ。
 コンパクトでシンプルなデザインが理解されるには時間が掛かった。乗ってみれば走行性、ハンドリング共に優れている。荷物も十分に積めた。使いやすい自動車だ。但しエンジン・ノイズが酷い。運転していて音楽を聴く気にはなれないレベルだった。
 アメリカでは停止したゴルフのⅠ型から、伝説的クォーターバックのO J シンプソンが出てきて、コンパクトでも車内は十分な広さがあるとアピールするTVコマーシャルが流された。
 もちろんO J シンプソンが白人の美しい元妻を殺害する前の話であるのは言うまでもないが。
 9年も乗ったゴルフⅡを手放すのは、相手が知り合いの磯貝とは言え、少し寂しい。いい車だった。始動してエンジンが温まってくると、その力強い動力性能がハンドルを通してドライバーに伝わってきた。快感だ。あえて欠点を口にすれば、もはや3速オートマチックは古過ぎるということぐらいか。現在は7速が登場している時代だ。
 斉藤勇作は、これから手にするBMWに考えを切り替えた。きっと、いい車だろう。フォルクス・ワーゲンはその名前の通りに大衆車だが、BMWはプレミアム・カーだった。きっと新たな感動があるはずだ。板垣モータースへと走りながら、どんどん気持ちは高ぶった。

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