ロスタイム・ラブ
第1章
「んー。もう少し可愛く撮れないのかな?もう一枚ね」
柏木美咲は不満げに小さな口を尖らせてそういうと、ピンク色のケースに入ったスマホを再び僕の手に置いた。
これで何度目だろう。かれこれここにきて30分は経っている気がする。
僕からしてみれば液晶画面に映る彼女の姿はどれも可愛らしく見え、自分にはプロカメラマンの才能があるのではないかと錯覚してしまうほどの出来栄えだ。
しかし、大きな桜の木の下で、満面の笑みでポーズをとる彼女はというと、その笑顔とは裏腹にまだまだ納得のいかないご様子だ。
そもそもこんなことになったのは、「せっかく春が来たんだから花見に行きたい」という彼女たっての要望を叶えるためのものだった。
僕からしたら大好きな彼女と一緒にいることが出来る、彼女は文句の言わない優秀な?カメラマンをタダで雇える、まさにWINWINな関係と言えるだろう。
高校三年生になったばかりの僕らは、始業式後、その足で学校から一番近い丘の頂上にある大きな桜の木まで向かい今に至る。
彼女はいわゆるSNS映えというものを気にしている人種で、この写真もSNSに投稿するために撮っているらしい。
僕もそういった類のものに全く興味がないわけではなく、ごく普通の男子高校生並みにスクールライフをエンジョイしているつもりだ。しかし彼女の執念には大抵及ばず、こうして渋々ながら彼女専属のカメラマン業に勤しんでいる。
「お、この写真いいね。可愛く撮れてる。やっぱり私、モデルに向いてるかもね」
ようやくお気に召した一枚が撮れてご満悦の彼女の言葉にツッコミを入れたいのを堪えていると、
「もうこんな時間か。暗くなる前に帰らないとね」
と、これまた誰のせいでこうなったのかとツッコミを入れたくなるセリフを吐き捨て、彼女は下り道へと駆け出した。僕がその背中を追って歩き出すと、彼女はイタズラを思いついた少年のような笑顔でこちらへ戻って来た。
「忘れてた。最後に淳平カメラマンへのご褒美として、ツーショット写真を撮らないとね」
そういうなり、僕の腕にしがみついた彼女は、再びスマホを取り出し、さっきまで僕の目の前に居続けたあの見飽きたピンク色をバックにしてシャッターを切った。
側から見たらカップルのように見えるかもしれないが、僕らはそういった関係ではない。もちろん僕はそうなりたいと思ってはいるが、10年以上の付き合いになる彼女に決定的な一言を言えずにいる。
僕と彼女は、特別家が近いわけではないが、小中高と同じ道を進んでいった腐れ縁である。
クラスが一緒になることが多かったこともあり自然と仲良くなっていった僕らは、2人で遊ぶことも増え、自然と仲良くなり今の関係を構築した。
彼女はというと、僕に対してどういった感情を持っているのかわからないことが多く、中学時代に告白されたクラスメイトと付き合った時には、僕に死ぬほど自慢をしてきたが、1ヶ月を持たずして破局した。
その際に、別に好きな人がいるからと彼女の方から振ったらしいが、その「好きな人」が僕のことなのかはわからなかった。
桜が見える丘を下り終わると、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「じゃあ、また明日ね。」
彼女はそう言うと、僕の家とは反対の方向へと歩き出した。僕の家と彼女の家はこの丘を挟んで反対側にある。
僕も一旦は自分の家の方向へと歩みを進めた。
が、少し進むとなんだか訳のわからない胸騒ぎを感じ始めたことに気づいた。
一歩、また一歩と歩みを進めていくにつれ、その何だかわけのわからない胸騒ぎは徐々に大きくなっていき、気がつくと僕の足は慣れ親しんだ我が家とは真逆の方向をむいていた。
その足音にすぐ気づいた彼女は、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにいつものいたずらな笑顔を僕に向けた。
「どうしたの?もしかして愛の告白?」
彼女の上等文句はいつものことだが、今はなんだかそんなことに構っていられない複雑な感情が行ったり来たりしている。
だが、この気持ちが何なんかは僕にもわからない。
「いや、暗くなっちゃたし、送っていくよ」
咄嗟にそう口が動いた。
いや、というより訳のわからない巨大な塊をその言葉と共に呼吸のように吐き出したといった方が正しいのかもしれない。
確かに、この辺りは街灯も人通りも少なく、女の子が夜道を1人で歩くには少し危険な感じはしなくもない。
だけど、今まで彼女を家まで送ったことなどない僕から、思いもよらない言葉を耳にした彼女は、一瞬だけキョトンとした表情をしたが、すぐに今度は爽やかな笑顔を僕に向けた。
「大丈夫。遅くなったのも私のせいだし。淳平こそ早く帰らないとおばさんに叱られちゃうよ。今日は付き合ってくれてありがとね」
そう言うと、彼女は胸のあたりで手を小さく振り、暗闇の中を行ってしまった。
まだ胸騒ぎが収まらなかった僕は、彼女の姿が完全に闇の中に見えなくなるまで立ち止まって彼女を見守っていたが、さすがに帰ろうと思い立ち、自分の帰路へと足を運んだ。
家に帰ると、母は夕食の準備をしていた。するの、息子の帰宅に気づいたのか、軽く振り向くと微笑みかけてきた。
「お帰りなさい。もうすぐできるから部屋で待っていてね。」
そう言うと、すぐにまた包丁をリズムよく動かし始めた。
母に挨拶を済ませ、僕は自分の部屋へと向かい部屋の大部分を占める大きなベッドにどさりと倒れこんだ。
夕飯を済ませ、お風呂に入り、テレビをつける。芸能人たちが自分の昔好きだった人を披露するという心底どうでも良い内容のバラエティ番組が映っていた。
なんとなくそれを眺めていると、いつもの日常を取り戻した僕はすっかりさっきの胸騒ぎが治まっていることに気づいた。
野生動物は身の危険を察知して、第六感を働かせるという。
ただ、それは厳しい野生環境を生き抜くために与えられた能力であり、恵まれた環境で育った人間には失われつつある感覚であろう。
しかし、僕の胸騒ぎは正しかった。
母が僕の名前を呼ぶ声と、こちらへ駆けてくる足音が同時に聞こえてきた。
普段は落ち着いている母のただ事ではない様子に、僕も先ほどの胸騒ぎを思い出し、母の元へと駆け寄った。
ちょうど部屋を出たところで母と鉢合わせると、母の顔が妙に青ざめているのを感じた。
「落ち着いてね」
僕の心の動揺を察してか、母はまずそう口にし、小さく息を吸い込んでから、
「美咲ちゃんがトラックにはねられて病院に運ばれたって」
僕のスマホには、数時間前に届いた彼女からの写真付きのメッセージ通知と彼女のSNSの更新を知らせる2件の通知が届いていた。
柏木美咲は不満げに小さな口を尖らせてそういうと、ピンク色のケースに入ったスマホを再び僕の手に置いた。
これで何度目だろう。かれこれここにきて30分は経っている気がする。
僕からしてみれば液晶画面に映る彼女の姿はどれも可愛らしく見え、自分にはプロカメラマンの才能があるのではないかと錯覚してしまうほどの出来栄えだ。
しかし、大きな桜の木の下で、満面の笑みでポーズをとる彼女はというと、その笑顔とは裏腹にまだまだ納得のいかないご様子だ。
そもそもこんなことになったのは、「せっかく春が来たんだから花見に行きたい」という彼女たっての要望を叶えるためのものだった。
僕からしたら大好きな彼女と一緒にいることが出来る、彼女は文句の言わない優秀な?カメラマンをタダで雇える、まさにWINWINな関係と言えるだろう。
高校三年生になったばかりの僕らは、始業式後、その足で学校から一番近い丘の頂上にある大きな桜の木まで向かい今に至る。
彼女はいわゆるSNS映えというものを気にしている人種で、この写真もSNSに投稿するために撮っているらしい。
僕もそういった類のものに全く興味がないわけではなく、ごく普通の男子高校生並みにスクールライフをエンジョイしているつもりだ。しかし彼女の執念には大抵及ばず、こうして渋々ながら彼女専属のカメラマン業に勤しんでいる。
「お、この写真いいね。可愛く撮れてる。やっぱり私、モデルに向いてるかもね」
ようやくお気に召した一枚が撮れてご満悦の彼女の言葉にツッコミを入れたいのを堪えていると、
「もうこんな時間か。暗くなる前に帰らないとね」
と、これまた誰のせいでこうなったのかとツッコミを入れたくなるセリフを吐き捨て、彼女は下り道へと駆け出した。僕がその背中を追って歩き出すと、彼女はイタズラを思いついた少年のような笑顔でこちらへ戻って来た。
「忘れてた。最後に淳平カメラマンへのご褒美として、ツーショット写真を撮らないとね」
そういうなり、僕の腕にしがみついた彼女は、再びスマホを取り出し、さっきまで僕の目の前に居続けたあの見飽きたピンク色をバックにしてシャッターを切った。
側から見たらカップルのように見えるかもしれないが、僕らはそういった関係ではない。もちろん僕はそうなりたいと思ってはいるが、10年以上の付き合いになる彼女に決定的な一言を言えずにいる。
僕と彼女は、特別家が近いわけではないが、小中高と同じ道を進んでいった腐れ縁である。
クラスが一緒になることが多かったこともあり自然と仲良くなっていった僕らは、2人で遊ぶことも増え、自然と仲良くなり今の関係を構築した。
彼女はというと、僕に対してどういった感情を持っているのかわからないことが多く、中学時代に告白されたクラスメイトと付き合った時には、僕に死ぬほど自慢をしてきたが、1ヶ月を持たずして破局した。
その際に、別に好きな人がいるからと彼女の方から振ったらしいが、その「好きな人」が僕のことなのかはわからなかった。
桜が見える丘を下り終わると、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「じゃあ、また明日ね。」
彼女はそう言うと、僕の家とは反対の方向へと歩き出した。僕の家と彼女の家はこの丘を挟んで反対側にある。
僕も一旦は自分の家の方向へと歩みを進めた。
が、少し進むとなんだか訳のわからない胸騒ぎを感じ始めたことに気づいた。
一歩、また一歩と歩みを進めていくにつれ、その何だかわけのわからない胸騒ぎは徐々に大きくなっていき、気がつくと僕の足は慣れ親しんだ我が家とは真逆の方向をむいていた。
その足音にすぐ気づいた彼女は、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにいつものいたずらな笑顔を僕に向けた。
「どうしたの?もしかして愛の告白?」
彼女の上等文句はいつものことだが、今はなんだかそんなことに構っていられない複雑な感情が行ったり来たりしている。
だが、この気持ちが何なんかは僕にもわからない。
「いや、暗くなっちゃたし、送っていくよ」
咄嗟にそう口が動いた。
いや、というより訳のわからない巨大な塊をその言葉と共に呼吸のように吐き出したといった方が正しいのかもしれない。
確かに、この辺りは街灯も人通りも少なく、女の子が夜道を1人で歩くには少し危険な感じはしなくもない。
だけど、今まで彼女を家まで送ったことなどない僕から、思いもよらない言葉を耳にした彼女は、一瞬だけキョトンとした表情をしたが、すぐに今度は爽やかな笑顔を僕に向けた。
「大丈夫。遅くなったのも私のせいだし。淳平こそ早く帰らないとおばさんに叱られちゃうよ。今日は付き合ってくれてありがとね」
そう言うと、彼女は胸のあたりで手を小さく振り、暗闇の中を行ってしまった。
まだ胸騒ぎが収まらなかった僕は、彼女の姿が完全に闇の中に見えなくなるまで立ち止まって彼女を見守っていたが、さすがに帰ろうと思い立ち、自分の帰路へと足を運んだ。
家に帰ると、母は夕食の準備をしていた。するの、息子の帰宅に気づいたのか、軽く振り向くと微笑みかけてきた。
「お帰りなさい。もうすぐできるから部屋で待っていてね。」
そう言うと、すぐにまた包丁をリズムよく動かし始めた。
母に挨拶を済ませ、僕は自分の部屋へと向かい部屋の大部分を占める大きなベッドにどさりと倒れこんだ。
夕飯を済ませ、お風呂に入り、テレビをつける。芸能人たちが自分の昔好きだった人を披露するという心底どうでも良い内容のバラエティ番組が映っていた。
なんとなくそれを眺めていると、いつもの日常を取り戻した僕はすっかりさっきの胸騒ぎが治まっていることに気づいた。
野生動物は身の危険を察知して、第六感を働かせるという。
ただ、それは厳しい野生環境を生き抜くために与えられた能力であり、恵まれた環境で育った人間には失われつつある感覚であろう。
しかし、僕の胸騒ぎは正しかった。
母が僕の名前を呼ぶ声と、こちらへ駆けてくる足音が同時に聞こえてきた。
普段は落ち着いている母のただ事ではない様子に、僕も先ほどの胸騒ぎを思い出し、母の元へと駆け寄った。
ちょうど部屋を出たところで母と鉢合わせると、母の顔が妙に青ざめているのを感じた。
「落ち着いてね」
僕の心の動揺を察してか、母はまずそう口にし、小さく息を吸い込んでから、
「美咲ちゃんがトラックにはねられて病院に運ばれたって」
僕のスマホには、数時間前に届いた彼女からの写真付きのメッセージ通知と彼女のSNSの更新を知らせる2件の通知が届いていた。
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