ロスタイム・ラブ
第2章
次の朝はいつも通りにやってきた。
毎朝見ている情報番組も鳥のさえずりもあまりにもいつもと同じ光景だったため、昨日の出来事は夢だったのではないかとさえ感じるような朝だった。
結局あの後、彼女の家からは何の連絡もなく、そのまま朝を迎えた。
「母さん後で美咲ちゃんのお母さんに連絡してみるから、あんたはちゃんと学校にいきなさいね。」
食卓に座って開口一番に告げられた母のその一言で、やはり昨日の出来事は夢ではなかったのだと確信し、朝食のオレンジジュースを一気に流し込んだ。
そうしなければ、胸の奥にある大きな塊が息を吸うことを許してくれなかったからだ。
朝食を済ませた僕は、急いで着替え、いつもよりも10分ほど早く家を出た。
何かいつもと違うことをすればこの日常にあるたった一つの非日常が薄まってくれる気がしたからだ。
外に出ると、同じ制服を着た人たちが皆、思い思いの表情で歩いている。
新学期を楽しみに勇み足で歩いている者、もう少し寝ていたかったと不機嫌そうな顔をしている者、そんな人たちの中で僕は一体どんな風に映っているのだろうか?
僕の姿を見て、まさか大好きな幼馴染が交通事故に遭い、その安否がわからなくて…そんな僕の気持ちを察することができる人がいるだろうか。
そんなことを考えていると、ふいにスマホが震える音がした。宛先は、親友のクラスメイト、コータローからだった。
今の僕にクラスメイトからの連絡ほど怖いものはない。
僕は見たくないものを見ないようにしようと、この連絡には気づかなかったことにして、スマホをしまい、通学路を無心で進んだ。
学校の光景もいたっていつも通りだった。
学年が変わったものの、僕の学校は受験に集中するためにと、3年の進級時にはクラス替えが行われない。
つまり3年生になった僕は、今年も彼女と同じクラスということになる、はずである。
新しくなった下駄箱を間違えないように、新しい教室を間違えないようにゆっくりと一つ一つ歩みを進める。
3年B組の教室に入ると、後ろから僕の名を呼ぶ声がした。コータローの声だ。
「おい、淳平!なんで返事返してくれないんだよ」
「ごめん、美咲のことがあったからさ」
僕は覚悟を決めた。もう逃げることはできない。
「ん?え?お前ついに柏木に告ったのか?」
「・・・え?」
コータローから返ってきた言葉があまりにも突拍子もなかったので、僕は今日一の声の大きさが出てしまった。
「だからあいつあんなに楽しそうな顔してるのか。やーよかったな」
「ちょっと待って。美咲は昨日トラックにひかれたって」
「お前何言ってんだ?トラックにひかれたやつがあんな嬉しそうにこっちを見てるっていうのか?それともあれが見えてるのは俺だけっていうのか?」
そう言うと、コータローは僕の首を強く掴んで捻った。少し痛かった。
だが、そんな痛みはすぐに忘れた。
僕の目には、もう見ることができないと思っていた、何千回も見たであろう笑顔が飛び込んできたからだ。
彼女は、いつも通りに笑っていた。それは間違いなく、僕の愛した笑顔だった。
そして、その笑顔はだんだんと僕の視界を占領して、気づくとわざとらしく怒ったような顔をしている。
「ねえ、昨日の私のLINE無視したでしょ!あといいねもしてくれなかった!」
「なんで…?」
僕は思わず声が出た。
「それはこっちのセリフ!なんで無視したの?ちょっとだけ心配したんだよ。昨日様子おかしかったから」
「だって、美咲が、事故に遭ったって…」
僕の声は間抜けな、気が抜けたコーラを開けたときのようなそんな声だったらしく、後ろにいるコータローの笑い声が聞こえてきた。
目の前の彼女は少しだけ真顔になったが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「あ、それね。お母さんがおばさんに大げさにいうからさ。ちょっと掠ってね、びっくりして気を失ったみたいなの。けど全然大丈夫!ほら、なんともないでしょ!」
確かに彼女の体には、見る限り傷一つない様子だ。
「そうか、そうか。心配してくれてたんだね。けど、本当に大丈夫だから。そうだ、そのお詫びに今日提出の宿題を見せてもらおうか。私忘れちゃって」
そんな彼女の言葉にツッコミを入れるほど僕の気持ちの整理はついていない。
けど、彼女は確かにここにいる。僕の目の前で笑っている。そう思うと、僕の胸にいた大きな塊は自然とどこかに消え失せていった。