あの日の恋は、なかったことにして
 朝目覚めると、ベッドには猪狩くんの姿はなかった。

「猪狩くん?」

 シャワールームにもいない。おまけに荷物も消えていた。
 代わりに置かれていたのは、1万円札が2枚と、ちぎった紙に連ねられた走り書きのようなメッセージ。

「会社から呼び出された。送っていけないから、このお金使って電車で帰って」

 ここから東京の自宅になんか、こんな大金がなくたって帰れる。
 Suicaだってあるんだし。

 それとも、お弁当代と同じように、これは昨夜の代価として支払われたものなのか。

「ううん、猪狩くんはそんな人じゃない」

 私はシャワーを浴びて身支度を整え、ぼんやりした頭のまま、帰途についた。

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