あの日の恋は、なかったことにして
 父から、兄の薫の話は聞いていた。写真も何度か見せてもらったことがある。
 そのせいだろうか。こんな危機的状況なのに、私は絶望や焦燥と同時に、嬉しさも感じていた。

 だが、次に放たれたひと言で、私はどん底に突き落とされた。

「父から金を受け取っているらしいね。なにが目的でこの会社に入った?」

 私は、愛人の子。
 半分血がつながっていても、彼にとっては自分の母親の仇なのだ。
 あらためて、そのことを思い知らされる。

 ならば、十分にその役目を果たしてやろうではないか。

「心外ですね。私の採用を決めたのはあなた方でしょ。私は正々堂々と入社試験を受けて入りましたけど」
「いや、君の採用を決めたのは、父と、それから猪狩の口添えがあったからだ」

 猪狩くん。
 なんだ、彼がすべてのシナリオを書いていたのか。
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