あの日の恋は、なかったことにして
 食事の予約をしたホテルまでの道中も、母と猪狩くんの世間話は止まらない。

「左手には、大井競馬場がありますよ」
「あれはレインボーブリッジ?」
「よくご存じですね」

 東京なんか何度も来ているくせに、知らないふりなんかしちゃって。

 でも、このテクニックは私もよく合コンで使っていたから、何も言えない。
 おそるべし、遺伝子。


 そしてもうひとつ、母には恐ろしいスキルがある。
 無知なふりをして、他人の核心をついてくるのだ。

「ところで、猪狩くんって、イカリ・ホールディングスとなにか関係があるの?」
「と、言いますと?」
「桐生の一族と猪狩家は、昔からなにかと関わりがあるみたいじゃない」
「ああ、そうですね……一応、身内です」

 イカリ・ホールディングスの名前は、就活中に何度か聞いたことがある。不動産業を中心に事業展開をしている、日本有数の企業だ。

 やっぱりいいところのお坊ちゃんだったんだなぁ。

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