あの日の恋は、なかったことにして
 ホテルの2階にある日本料理店は、桐生社長が手配してくれたらしい。
(実際に予約をしたのは、秘書か誰かだと思うが)

 掛け軸のある個室に、年頃の男女とその親という組み合わせ。
 傍から見ればまるでお見合いで、まさか正妻と愛人との対決の場だとは思わないだろう。


「お口に合うかわかりませんが、これ、よかったらどうぞ」

 母は、持ってきた沖縄土産の袋をひとつ、桐生の奥様に差し出した。

「あら、沖縄に行ってらしたの?」
「SDGs――持続可能な開発目標の国際フォーラムがありましてね。私、山形ではNPO法人の理事をしておりますので、代表で参加してまいりましたの」
「もしかして、そこから直接こちらに?」
「ええ。飛行機で2時間ほどなんですよ」
「身軽に旅行ができて、羨ましいですこと」

 奥様は上品に笑う。

「仕事」ではなく「旅行」という言葉をチョイスしたのは、わざとだろうか。
 ふたりを見ていると、キツネとタヌキの化かしあいみたいで恐ろしい。
< 51 / 78 >

この作品をシェア

pagetop