あの日の恋は、なかったことにして
「さて、どこへ行こうか。甘いものでも食べる?」
「あれだけ食べた直後だし、パスですかね~。っていうか、律儀に親の言うこと聞かなくてもいいんじゃないですか?」

 店を出たあと、私を誘ってくれた社長に対し、無下な返答をする。
 会社はべつに辞めてもいいと思っていたので、素の自分がうっかり出てしまった。

 桐生社長は目を丸くして、「どういうこと?」と聞いてきた。

「話すことなんか別にないし、私たちはここで解散ってことで。母のわがままに付き合ってもらって、ありがとうございました。ではまた来週会社で……って、フロア違うし、会うこともないか」

 ぺこりとお辞儀をし、その場を去ろうとした私を、桐生社長は「待って」と呼び止めた。

「君と、ちゃんと話がしたい」
「さっき言ってた、〝直に人の話を聞かないと駄目〟ってやつですか?」
「それもあるが……ちゃんと謝罪がしたいんだ」

 社長があまりにも深刻な顔をしているので、一瞬たじろぐ。


 本当は、謙虚で真摯な人なのだろうか。
 そういえば、前に猪狩くんが、社長が以前お年寄りを保護して会議に遅れてきたことがあると言っていた。

 猪狩くんの話を100%信じるわけではないけれど、私もこの人のことを、もう少し知りたいと思った。


「私、行きたい場所があるんです。よかったら付き合ってもらえませんか?」
「では、車を呼ぼう」
「近いはずなので大丈夫です。あ、動物は平気ですか?」
「平気だが……」

 私はスマホのアプリを立ち上げ、目的の店を表示して社長に見せた。

「……猫カフェ?」
「20匹もいるんですって!」

 深刻な話を聞かされたとしても、猫を撫でればきっと笑顔になれる。

< 54 / 78 >

この作品をシェア

pagetop