あの日の恋は、なかったことにして
 ここでは人目があってまずい、ということで、ビルの最上階にある展望スペースに行くことになった。

 このオフィスビルで働く人がみんな使える共有スペースで、昼間は売店やコーヒースタンドなんかも開いている。
 今はあまり人もいなく、夜になりかけたほんのり暗い空が、窓一面に広がっていた。


 小暮ディレクターは、大柄な体にふさわしいサイズのテイクアウトの弁当をテーブルに広げた。

「デザートに買ってきやつだが、おまえにやろう」

 そう言って、紙の容器に入った小さなグラタンをディレクターがくれた。
 デザートにグラタン……プリンやムースと間違って買ったわけでもなさそうだ。

 割り箸をパチンと割ったと思ったら、ディレクターはものすごい勢いで弁当を吸引していく。
 一緒に買っていたカレースープも、まるで水のようにごくごく飲んでいる。


「早速だが、島本が申請していたシンガポール行きの件、許可が下りたぞ」
「本当ですか!?」
「入社してまだ半年なのに、こうもあっさり申請が通るとはな」

 さすがお兄さま! 頼りになる!
 あああ、念願の海外だ!

「おまえ、他の連中には絶対に言うなよ」
「もちろんです!」

 悪いことをしているわけではないけれど、周りの顰蹙を買うのは間違いないと思うので、ギリギリまで黙っておくことにする。


 もらったグラタンをようやく半分食べたあたりで(猫舌なのだ)、すでにディレクターは買ってきた弁当を完食していた。

「じゃあ、俺は先に行くな。そうだ、おまえが今扱っている海外向けポータルサイトのβ版、反応いいぞ。チャンスをモノにできるといいな」
「ありがとうございます!」
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