あの日の恋は、なかったことにして
   ***

 次の日。
 いつもより30分早く出社した私は、10階にあるオフィスではなく、地下に向かうエレベーターのボタンを押した。

「誰にも会いませんように」


 地下2階で降り、通路を通って駐車場に出る。
 少し歩いていくと、黒塗りの車がポツンと停めてあるのが見えた。

 コンコン、と運転席の窓をノックする。
 すると後部座席から、「開いてるよ〜」と眠そうな声がした。

 私は助手席のドアを開け、素早く車に乗り込んだ。
 急ぎすぎて、座席に置いてあったペットボトルに気づかず、うっかりお尻で踏み潰してしまった。

「いったぁ! なんでこんなところにペットボトルなんて置いてんのよ!」
「いや、気づくでしょ、普通」

 後部座席でむくりと上体を起こしたのは、ワイシャツを着たキレイな顔の男。
 OB訪問の時、私を助けてくれたあの人だ。
 ただし、髪の毛は黒く真っ直ぐにしていて、一応は社会人らしく見える。

「また車の中で寝たの?」
「だってさ、いつ仕事になるかわからないんだぜ? 24時間体制なんだ、うちの社長」
「ふーん、社長付きの運転手も大変だね」

 彼は社長専属の運転手をしていて、ときどき雑用(このあいだの社員の素行調査みたいな)もさせられるらしい。
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