お願い、あと少しだけ
その日の夜。弘樹は服部部長とお好み焼屋の鉄板を挟んで向かい合っていた。

「ごめんね、うちに食べ盛りの子が2人と旦那がいるから、1枚だけ食べて、あの件を説明してササっと帰らせてね。私は、チーズもち玉とウーロン茶、紺野くんは?」

時間がないのに、悪かったな、と思いつつ、弘樹もメニューを見て決める。

「スペシャル豚玉と、ジンジャーエールで」

「了解。すみませ~ん。え~っと、チーズもち玉とスペシャル豚玉とウーロン茶とジンジャーエール。あと、持ち帰りでキムチ豚玉4つとスペシャル豚玉2つ」

「まいどっ!」

ウエイターが去ってすぐに、飲み物を持ってきた。

「とりあえず、乾杯。大阪支店開発部へようこそ!」

「よろしくお願いします」

グラスを合わせると、服部部長は口を開いた。

「遠距離恋愛・・・私には、痛い思い出があるの。20年ほど前になるかな。当時、直属の上司だった亮吾さん・・・当時は開発課長だった佐川さんと私がね、恋に落ちたのよ」

「えっ・・・結構、年、離れてないですか?」

「15は違ったかな。でも、そんなの関係なかった。亮吾さんも独身だったしね。でも、つきあって半年たった頃かな、私に辞令が下りて」

「大阪支店に、ですか?」

「うん。係長として、と言うことだった。止めてくれると思った。でも、『君のキャリアのためなら』って言って、遠距離恋愛することにしたの。最初は、2週に1回くらい帰ってたんだけど。とにかく忙しくてね。亮吾さんも忙しかった。今みたいにスマホとかないし、電話代も馬鹿にならない。気がついたら、気持ちが離れてた。そうしているうちに、今の旦那に出会って。すごく優しくてね」

「そうだったんですね・・・」

「だから、亮吾さん、2人に自分たちみたいな想いをさせたくないと思ったんだと思う。私の気持ちも一緒よ」

目の前では、お好み焼が焼かれ始めていた。慣れた手つきでお好み焼を焼く服部部長。当時のことを思いだしたのか、目には涙が浮かんでいる。

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