【しょくざい】第1話【最後の晩餐】
「どうだ、死因分かったか?」石田は冷たく微笑し設楽を急かす。
「いや、まだわかりません」
 設楽は冷蔵庫からサラダ用に仕込んで置いた一口サイズのレタスを取り出して真っ白な皿に綺麗に盛り付けていく。ベーコンは適量に切り分けて軽くオーブンに入れて炙る。その間に粉チーズを緑緑しいレタスにまぶす。チーズの香りが食欲をそそる。そこに温泉卵を割り真ん中に盛り付ける。とろみがレタスの間を駆け下りる。ちょうどベーコンも焼けた頃だろう、トースターから取り出し卵にはかからないようにレタスの上に置く。その上からクルトンをまぶせば大概は完成だ。マヨネーズ、チーズ、黒コショウ、すりニンニク、ヨーグルトを掻き混ぜて仕上げのソースを作る。後は綺麗に振り掛ける。シーザーサラダの完成だ。
 設楽は満足気だった。今日は綺麗に出来た。なかなか自信作だ。何個も作っていると卵の位置が中心に無かったりベーコンの焼き加減がイマイチだとかと気になってしまったりするが今回はドンピシャの真ん中に決まった。ベーコン焼き加減も絶妙。
 しかし食べられる時はそんなこと関係のないことだ。口の中に入れば皆一緒だ。それでも小さなこだわりが設楽にとっては些細な楽しみの一つである。最後の晩餐に不足なし。「ハンバーグはまだかかりそうですか?」
 料理長はフライパンの上にあるハンバーグを見ていた。
「まだかかるから先に出していいよサラダ」
「分かりました、先に出しますね」
 設楽が皿を待ち運んで行こうとすると石田が念押して死因を聞いて来させようとするが、そんなことしたら食欲が無くなるだろう、聞くにしても食後にしようと思う。石田のこういう所が少し面倒だと設楽は思う。
 カウンター越しに見る女はまたもうつむいている。明るくしろとは言わないがこうもうじうじされると私達まで気が滅入るものだ。もう少し凛として貰いたい。
「お待たせ致しました前菜のサラダでございます」
 そっとテーブルにサラダを添えると設楽はお冷が空になっている事に気が付いた。
「何かお飲み物は?」
「あ、お水下さい」
「かしこまりました」
 私はピッチャーを取りに厨房に帰ると料理長はまだハンバーグを焼いていた。客のいないせいか何時もより時間が長く感じる。
 透明のピッチャーを取りに戻る。大きな冷蔵庫には沢山の飲み物が並んでいる。ジュースからアルコール何でもある。
 女性のグラスに水を注ぐ、水を入れると中の氷が少し縮こまり氷同士が擦れ横に滑った。グラスの周りについた水滴が店の照明を反射して輝いていた。設楽はその様子をじっと見ていた。
 女性はそんな設楽を一瞥もすること無くサラダをフォークでザクザクと突きながら少しづつ口に運んでいた。
「いかがでしょうか?」
「あ、はい、美味しいです」
 少し笑って見えたがそれが作り笑いなのは見え見えだ。無理してここにいるのがひしひしと伝わる。そもそも大概の人間は作った人を目の前にして不味いと言わないだろうし今まで言われたことはない。それでも設楽は会話の入口を探していた。
「あの、お名前聞いてもよろしいでしょうか?」
 まるでナンパ師のような挿入だが恥など無い、客と話す。少しでも情報を得る。人生を知る。これくらいしかここには娯楽が無いのだ無駄にはしない。
 女性は少し間を空けて重たい口を開いた。
「遠藤です」
「遠藤さんですね、こんな事急には難しいかも知れませんがせっかく楽になったんだしもっと気楽になってもいいんですよ」
 設楽は絶対にバレない満面の作り笑いで言った。
「あ、はい」彼女はまたひきつった笑顔でそう呟いた。
 設楽ははこのタイミングのコミュニケーションはこれ以上出来ないと思い諦め厨房に戻ることにした。
「どうだった?」石田はしつこく聞いてくる。
「まだわかんないです、食べ終わったら聞いてみますよ」
 石田は設楽の仕事であるはずのハンバーグのプレートに付属する一口サイズのにんじんとポテトとナスをカットしていた。
「ありがとうございます」
「はいよ」 
 料理長はハンバーグを乗せるプレートに油をひいた。白い煙が上がる。準備が出来たようだ。そっと脂のひかれたプレートにハンバーグを乗せる。さらにその上にソースをかけて完成だ。ハンバーグのいい香りが店中を包む。
 料理長からプレートを受け取り仕上げににんじんとポテトとナスを盛り付けて完成した。設楽はそっと女性の方に料理を運ぶ。
「お待たせ致しましたハンバーグでございます」
 じゅーと油が弾ける音と肉とニンニクの香りをのせた煙が真上に立つ。女性は少し頭を下げ。料理の方を見つめていた。人がいると食べにくいだろう。聞きたいことは多いが渋々設楽は一旦厨房に戻る。
 厨房から見守る事にした。女性は肉を一口サイズに切り分けて口に運ぶ、少し熱そうだ、続けて米を頬張る。
 言葉を口に出さないがここから見る表情から察するに不味いと思っていないだろう。食べるペースも悪くない。しっかりとは確認出来ないがサラダは既に完食されていると思う。料理人達は自分が作ったものを「美味い」とそう食べて貰えるのは素直に嬉しい。至上の幸福である。料理人冥利に尽きる。
 設楽は娯楽に飢えていた。最後の晩餐で命を考える本来の目的をわすれている。設楽料理が楽しくてしょうがない。本当はメインのハンバーグを作りたかった。こればかりは順番なので仕方がない。こんなにこの地獄を楽しんでいるのは恐らく設楽か料理長くらいだろう。
 料理長は焼いたフライパンを鼻歌交じりに洗っていた。直接誰かが聞いたことは無いが料理長も地獄を必ず楽しんでいる。これは閻魔の判決のミスだろう。娯楽なんてものを感じてはいけない人間だ。そもそもそんな地獄を作ってはならない。上の連中の考えることは到底理解出来ない。
 設楽は視線を彼女に戻すと黙々と食べていた。半分くらい進んだろうか退屈が設楽を襲う。開店直後ということもあり次の客がなかなか来ない。暇だ。
 石田含め他の従業員も退屈そうにしている。サラダを作った設楽ですら暇なのだから何もしていない人達はさらに退屈だろう。退屈地獄だ。
 地獄の最高位には無間地獄というのがあるらしい。文字通り何も無い。耐え難い恐怖だ。想像するだけで恐ろしい。何も無いという恐怖は世の中にある絶望を全てを凌駕するだろう。そこにだけは行きたくない。
 今の現状まだ彼らは女が食うのを見ることが出来るだけマシな筈だ。無間地獄に行かなかったことに安堵する。
 3
 食べ終わっただろうか、盛り付けの野菜はまだ残っている。だがフォークをライス皿に起き手に取る気配は無い。
「終わったか?」
「そうですね、多分終わりましたね」
「意外とちゃんと食べたな、俺は死ぬ前後全く食欲無かったけどな」
「そうですか、私は大丈夫でしたよ。こっち来てから直ぐにけっこう食べましたし。けっこう腹減ってたんで。あ、終わったようなんでそれじゃあ行ってきますね」
 彼女の方に向かう、設楽が動いたので一瞬目が動いたが体は俯いたまま動かないままだった。
「いかがでしたか?」
「あ、美味しかったです」
「それは良かったです。少し落ち着きましたか?」
「あ、はい」
「あのひとつ聞きたいのですが、今回はどうしてこちらに来られたのですか?」
「それは」
「はい」
「え、あの、い、言わないとダメですか?」
「いえ、勿論義務ではありませんが、恐らくここが人と話す最後の機会になると思います、最後に少し話してから行きませんか?」
「え、この後私どうなるんですか?」
「魂が浄化されて新しい命に生まれ変わると聞いています」
「あ、そうなんですか、浄化、新しい命」
「多分そんなに怖い物じゃないと思いますよ、私は行ったこと無いですけど」
「あ、そうなんですか」
「どうですか、少しお話聞かせて貰えないですか?」しつこいと思われようが嫌われようが構わない、もう二度と会わないのだから。
「首を吊ったんです」一瞬面食らって間が空いた。
「どうして?」それ以上踏み込んで欲しくないのだろう、また間が空いた。それでも設楽は逃げ出さなかった。彼女が思い口を開く。
「浮気です、旦那がずっと浮気してたんです。最悪です」
 答えが案外すぐ分かった。
「そうですか」
「3年間も浮気してたんです、気持ち悪いです、結婚してからもずっと、本当に私の人生返して欲しいです」
 彼女は食べ終わったプレートを睨みながら捲し立てた。設楽はその迫力に狂気を感じて生唾を飲み込んだ。体も1歩引いていた。厨房までもその声は届いただろう何人かがこちらの様子を確認する。
「そうですか」
「最低です」
「なら何で自殺なんかしたんですか?旦那か浮気相手を殺せば良いじゃないですか?」
 設楽は無心でそこにあった疑問に純粋な心で質問した。
「ころす、私にはそんなこと出来ません、ですが私はあいつの買ったマンションで首を吊ってやりました、私の死体を見てきっと後悔してるはずです」
 設楽には理解が出来なかった。そんなこと意味があるのか、憎い相手なら直接危害を加える方が合理的のはずだ。何ともスッキリしなかった。
「きっと後悔してるでしょうね」
 料理長が心配そうに私たちの話に割り込んできた。
「はい、そうでなければ意味がありません」
 冷静になったのか声量はだいぶ小さくなった。グラスを手に取り水を飲み干した。料理長はそっと質問をする。
「最後にデザートとかはどうでしょう?」
「あ、はい、何があるんですか?」
「そうですね、基本何でもありますが、何でもあると逆に難しですよね、オススメマンゴーアイスとかイタリアンプリンとかですかね」
「アイスがいいです、マンゴーアイスでお願いします」
「かしこまりました」
 人は何かを隠しているものだ。だが人は秘密をバラしたいものだ。設楽と料理長はその野菜の残ったプレートとライス皿を持ち厨房に戻った。洗い場の大場に渡した。
「どうだった、失恋だったろ」
「んー、まあそうですね、いいですよ石田さんの勝ちで」
「よっし、1日分な」
「私には理解できませんね、浮気くらいで死ぬなんて」
「まあな、愛するとかより、信じていたものに裏切られたってことが許せなかったんだろうな」
 石田は賭けに勝ち嬉しそうだった。仮に休みでも趣味のない設楽には暇なだけなのにと思い石田のその嬉しそうな表情には納得は行ってなかった。
「マンゴーアイスお願いします」
「はいよ」
 石田はニヤニヤしながらマンゴーアイスをすくう。そして冷えた食器に乗せる。カットしたマンゴーも飾り付けして完成だ。
「いらっしゃませ」
 ここで新しい客が入ってきた。また料理長が対応するようだ。設楽は綺麗に飾り付けられたマンゴーアイスを彼女のところに持っていった。
「マンゴーアイスです、少しは落ち着きましたか?」
「はい、だいぶ、その、旦那はどうなったのでしょう」
「あー、そういうのは私たちには分かりません、自殺をすればもしかしたらここに来るかも知れませんが、別の店に行くかも知れませんし、なんとも言えません」
「そうですか、一生後悔して地獄に落ちればいいのに」
「どうでしょう、前科があればですけどね、私たちの用に地獄に落ちることは稀ですよ」
「私たち?」
「そうですよ、あなたもいま罪を償っている所ですこの煉獄で」設楽と女の立場は違ったがそこは触れなかった。
「何ですか、何で私が、私は何もしてないじゃないですか」
「人を殺してるじゃないですか?」
「え、殺してない」
「自分の命とはいえ、人の命を一つ殺してる事に変わりはありませんよ人殺しは人殺し罪は罪。」
 彼女は黙り込み、睨みながら、スプーンを力いっぱい握り絞める。
「でも私は地獄、あなたは煉獄、この後どうなるかは分かりませんが多分すぐに新しい魂に変わると思いますよ」
「あなたは、あなたは何をしてここにいるんですか?」
 女は恐る恐る設楽に思った事を口にした。設楽は何も答えずにただただ笑顔を作った。女はその笑顔に気後れしそれ以上追求することは出来なかった。
 またドアが開く鈍い音がなった。いらっしゃいませの掛け声が店内に響き渡る。それに釣られて設楽もいらっしゃいませと声を出す。
 徐々にではあるが客が増え続けていた。繁盛という言葉は違う。またひとつ命が失われた。利益は一門もない。
 それでも客が入るとまるで人気店なのではと錯覚できるので設楽にとってここは居心地が良かった。その分人が自ら命を絶っている訳だが。
 女は少し溶けたマンゴーアイスをすくい一口頬張った。
「これが最後のお料理になりますが満足頂けたでしょうか?」
 女は黙って首を縦に降った。
 これが重要なのだ。これで彼女は次に行ける。彼等の仕事はひとつ終えた事になる。罪人からすると地獄に位置するこの店ではお代は取らない。だから何を持って客に退室して貰うかは見た目では分からない気持ちの中にある満腹であり満足それにならないのだ。これが1番大変なことである。あくまで自殺人を満足させる施設である必要がある。
 客からしたら満足したと言わなければ何食でも食べられる訳だから味をしめて何日も出て行かない者も現れる。人を殺めた者だと気づかれてそもそも口にして貰えないものもいる。なのでなるべくはやく口にしてもらい、なるべくはやく満足させることが重要になる。

 
 
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