残骸、証。
あ、蝉が死んでる。
既に無数の蟻にたかられているソレは、もう生き物と言うよりはガラクタに近いように思える。
陽炎。焼けたアスファルト。
今日もなんて暑いんだろう。
そんな風に足元に転がる死骸をぼんやり眺めてたから、背後から近づいて来る彼と車に気がつかなかったんだ。
「──着いたよ篠原さん。この部屋」
ギイッ……と軋みながらドアが開く音。埃とカビが混じった臭い。そして僅かに、鉄の臭い。
「私に見せたいものがここにあるの九重くん? もう目隠しを外してくれる? あと、この手枷」
「うんいいよ。外してあげる。急にこんなのつけられて疲れたよね。でも、逃げられたくなかったし、ビックリさせたかったから」
九重くんは頭がおかしい。九重くんは異常だ。九重くんには話が通じない。
どこかの会社の社長令息で。顔も涼やかな美形で。身長も高くて。
友達はみんな彼のことを「うちの大学のプリンスだ!」なんて騒いでいるけど、私は知ってる。
九重くんのその切れ長の瞳の奥には狂気が潜んでる。
「……いきなり目隠しされて拉致られた時点で充分ビックリだよ。ここ、東京じゃないよね? 車でずいぶん走ったし、なんだか涼しい」
「正解。うちの別荘の一つなんだ。あんまり使ってないところだからちょっと埃っぽいけど、外の空気は美味しかったでしょ。一応避暑地として有名な場所だから」
「いつもこんなことしてるの? 運転手さん、私が目の前で九重くんに縛られてても驚いてなかったし慣れてたよね?」
「まさか! 俺がこんなことするのは篠原さんにだけだよ」
九重くんは頭がおかしい。九重くんは異常だ。九重くんには話が通じない。
飲み会でふだん行きつけていない居酒屋の安酒に悪酔いした彼を介抱しただけのことで。私なんかに執着してる。
──私には別に好きな人がいるのに。
「……とにかく、その私へのサプライズとやらを見せたらすぐに東京に帰してよ。明日は兄の誕生日だから準備をしたいの」
「お兄さん確か27歳になるんだっけ? 兄妹共に成人してるのに誕生日には実家で集まってお祝いするなんて仲が良いよね」
「また勝手に調べたの? 今度は兄のことまで」
「好きな人のことを全部知りたいと思うのは当然でしょう? ──あ、でも、お兄さん結婚が決まったそうだから、明日は婚約者の女性も来る予定だったのかな?」
「……本当によく調べてる」
気持ち悪い。
不快感で胃がねじ切れそうだ。
長く閉ざされていた部屋の空気と臭いが気分の悪さに拍車をかける。
「見て。篠原さん。これが、俺の君への気持ちの証だよ」
九重くんの弾んだ声と共に数時間ぶりに視界が開ける。
ちかちかとした夏の日差しが網膜に染みる。
「…………お兄、ちゃん……?」
東京に居るはずの兄。
いつも着てるグレーのVネックのカットソーにベージュのチノパン。部屋の中なのに、何故か黒のスニーカーは履いたままで。
だらしなく埃まみれの床に寝そべった兄はぴくりとも動かない。
東京に居るはずの兄。
私を見つけたらすぐに微笑んでくれるはずの兄。
──生きているはずの、兄。
腹部に刺さったままの包丁。その周囲は赤茶色に染まって。
自分で抜こうとしたのか腕と手は包丁に添えられた形で固まっている。
開いた瞳孔は虚ろに濁っていた。
「な、え? ちょっと待って……」
心臓の音がドクンドクンと耳元で反響する。
夏なのに、身体が震える。
「九重くん……?」
「これが、俺の君への気持ち」
笑顔。
死体と同じ部屋で、なんて綺麗に嬉しそうに微笑むの。
「ひっ」
未だに拘束されたままの私の手の甲に九重くんが口づける。
「篠原さんがお兄さんを好きなことはわかっていたから……」
「や、」
「人を雇ってお兄さんが婚約者以外の女性とホテルに入る写真を撮ったんだ。本当に浮気してくれてたら楽だったんだけど、まず浮気相手を作るところから始めたから時間がかかっちゃった」
「何を、言って……」
ぴちゃりぴちゃり。と彼の舌が私の肌を這っていく。
「だって篠原さん。お兄さんの婚約者なんかに会いたくなかったでしょう?」
ドクン!
あぁ、鼓動を止めてしまいたい。やめて。勝手に私の心を語らないで。
「だから、撮った証拠写真をチラつかせてお兄さんを呼び出したんだ。……篠原さん、君がずっと片想いしていた人は誘惑されれば婚約中でも他の女と寝るような男だよ」
「そんな、の、妹の私には関係ないわ……」
「そう。君は妹。彼の血の繋がった家族。兄が誰と寝ようと、文句を言う権利は無い」
「っ!」
背後に移動した彼にうなじへ歯を立てられる。
痛い。
ねぇ、痛いってば!
聞きたくないのに、手首を縛られているせいで耳を塞ぐことができない。
「でも大丈夫だよ」
「何が……!」
「もう、お兄さんは誰とも結婚できない。明日の誕生日に、婚約者が家に来ることもない」
カクン。と力が抜けて床に膝を着く。埃が、舞い上がった。
「喜んで、くれるよね?」
「ぁ、あ、あ」
「篠原さん。篠原さんっ。篠原さん……!」
熱に浮かされたように私の名前を呼びながら、九重くんが私の身体を撫で回す。
ブラをずり上げて先端に吸い付いた時なんて、本当に赤ちゃんみたいに嬉しそうだった。
「──っ!」
「痛い? 痛いよね。篠原さん初めてだもんね。本当はこんな床の上じゃなくて、ベッドでしてあげたかったんだけど、干してなかったから……」
「────!」
私を貫いた九重くんが微笑む。
死体と同じ部屋で。
めちゃくちゃに腰を振りながら。
なんて嬉しそうに綺麗に笑うんだろう。
「お兄、ちゃん……っ」
虚ろに濁った兄の瞳は私たちの方へ向いているけれど、もう何も映してはいない。
けれど。
けれど。
けれど。
私の心は喜びで満ちていた。
九重くんは頭がおかしい。九重くんは異常だ。九重くんには話が通じない。
私にはわかる。九重くんのその切れ長の瞳の奥には狂気が潜んでる。
何故なら、私も同じだから。
お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!
好きなのに。こんなに好きなのに。
どうして私以外の女なんかと結婚しようとするの。
私のものにならないなら。独り占めできないなら。
死 ん で し ま え
「っ! え、篠原さんっ?」
「……お礼」
「篠原さん!」
九重くんが私からのキスに感極まった様子で唇を貪ってくる。
くちゅ。くちゅ。くちゅ。
舌も、腰も絡め合う。
──見てて。
女になる、私を見てて。
お兄ちゃん。
既に無数の蟻にたかられているソレは、もう生き物と言うよりはガラクタに近いように思える。
陽炎。焼けたアスファルト。
今日もなんて暑いんだろう。
そんな風に足元に転がる死骸をぼんやり眺めてたから、背後から近づいて来る彼と車に気がつかなかったんだ。
「──着いたよ篠原さん。この部屋」
ギイッ……と軋みながらドアが開く音。埃とカビが混じった臭い。そして僅かに、鉄の臭い。
「私に見せたいものがここにあるの九重くん? もう目隠しを外してくれる? あと、この手枷」
「うんいいよ。外してあげる。急にこんなのつけられて疲れたよね。でも、逃げられたくなかったし、ビックリさせたかったから」
九重くんは頭がおかしい。九重くんは異常だ。九重くんには話が通じない。
どこかの会社の社長令息で。顔も涼やかな美形で。身長も高くて。
友達はみんな彼のことを「うちの大学のプリンスだ!」なんて騒いでいるけど、私は知ってる。
九重くんのその切れ長の瞳の奥には狂気が潜んでる。
「……いきなり目隠しされて拉致られた時点で充分ビックリだよ。ここ、東京じゃないよね? 車でずいぶん走ったし、なんだか涼しい」
「正解。うちの別荘の一つなんだ。あんまり使ってないところだからちょっと埃っぽいけど、外の空気は美味しかったでしょ。一応避暑地として有名な場所だから」
「いつもこんなことしてるの? 運転手さん、私が目の前で九重くんに縛られてても驚いてなかったし慣れてたよね?」
「まさか! 俺がこんなことするのは篠原さんにだけだよ」
九重くんは頭がおかしい。九重くんは異常だ。九重くんには話が通じない。
飲み会でふだん行きつけていない居酒屋の安酒に悪酔いした彼を介抱しただけのことで。私なんかに執着してる。
──私には別に好きな人がいるのに。
「……とにかく、その私へのサプライズとやらを見せたらすぐに東京に帰してよ。明日は兄の誕生日だから準備をしたいの」
「お兄さん確か27歳になるんだっけ? 兄妹共に成人してるのに誕生日には実家で集まってお祝いするなんて仲が良いよね」
「また勝手に調べたの? 今度は兄のことまで」
「好きな人のことを全部知りたいと思うのは当然でしょう? ──あ、でも、お兄さん結婚が決まったそうだから、明日は婚約者の女性も来る予定だったのかな?」
「……本当によく調べてる」
気持ち悪い。
不快感で胃がねじ切れそうだ。
長く閉ざされていた部屋の空気と臭いが気分の悪さに拍車をかける。
「見て。篠原さん。これが、俺の君への気持ちの証だよ」
九重くんの弾んだ声と共に数時間ぶりに視界が開ける。
ちかちかとした夏の日差しが網膜に染みる。
「…………お兄、ちゃん……?」
東京に居るはずの兄。
いつも着てるグレーのVネックのカットソーにベージュのチノパン。部屋の中なのに、何故か黒のスニーカーは履いたままで。
だらしなく埃まみれの床に寝そべった兄はぴくりとも動かない。
東京に居るはずの兄。
私を見つけたらすぐに微笑んでくれるはずの兄。
──生きているはずの、兄。
腹部に刺さったままの包丁。その周囲は赤茶色に染まって。
自分で抜こうとしたのか腕と手は包丁に添えられた形で固まっている。
開いた瞳孔は虚ろに濁っていた。
「な、え? ちょっと待って……」
心臓の音がドクンドクンと耳元で反響する。
夏なのに、身体が震える。
「九重くん……?」
「これが、俺の君への気持ち」
笑顔。
死体と同じ部屋で、なんて綺麗に嬉しそうに微笑むの。
「ひっ」
未だに拘束されたままの私の手の甲に九重くんが口づける。
「篠原さんがお兄さんを好きなことはわかっていたから……」
「や、」
「人を雇ってお兄さんが婚約者以外の女性とホテルに入る写真を撮ったんだ。本当に浮気してくれてたら楽だったんだけど、まず浮気相手を作るところから始めたから時間がかかっちゃった」
「何を、言って……」
ぴちゃりぴちゃり。と彼の舌が私の肌を這っていく。
「だって篠原さん。お兄さんの婚約者なんかに会いたくなかったでしょう?」
ドクン!
あぁ、鼓動を止めてしまいたい。やめて。勝手に私の心を語らないで。
「だから、撮った証拠写真をチラつかせてお兄さんを呼び出したんだ。……篠原さん、君がずっと片想いしていた人は誘惑されれば婚約中でも他の女と寝るような男だよ」
「そんな、の、妹の私には関係ないわ……」
「そう。君は妹。彼の血の繋がった家族。兄が誰と寝ようと、文句を言う権利は無い」
「っ!」
背後に移動した彼にうなじへ歯を立てられる。
痛い。
ねぇ、痛いってば!
聞きたくないのに、手首を縛られているせいで耳を塞ぐことができない。
「でも大丈夫だよ」
「何が……!」
「もう、お兄さんは誰とも結婚できない。明日の誕生日に、婚約者が家に来ることもない」
カクン。と力が抜けて床に膝を着く。埃が、舞い上がった。
「喜んで、くれるよね?」
「ぁ、あ、あ」
「篠原さん。篠原さんっ。篠原さん……!」
熱に浮かされたように私の名前を呼びながら、九重くんが私の身体を撫で回す。
ブラをずり上げて先端に吸い付いた時なんて、本当に赤ちゃんみたいに嬉しそうだった。
「──っ!」
「痛い? 痛いよね。篠原さん初めてだもんね。本当はこんな床の上じゃなくて、ベッドでしてあげたかったんだけど、干してなかったから……」
「────!」
私を貫いた九重くんが微笑む。
死体と同じ部屋で。
めちゃくちゃに腰を振りながら。
なんて嬉しそうに綺麗に笑うんだろう。
「お兄、ちゃん……っ」
虚ろに濁った兄の瞳は私たちの方へ向いているけれど、もう何も映してはいない。
けれど。
けれど。
けれど。
私の心は喜びで満ちていた。
九重くんは頭がおかしい。九重くんは異常だ。九重くんには話が通じない。
私にはわかる。九重くんのその切れ長の瞳の奥には狂気が潜んでる。
何故なら、私も同じだから。
お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!
好きなのに。こんなに好きなのに。
どうして私以外の女なんかと結婚しようとするの。
私のものにならないなら。独り占めできないなら。
死 ん で し ま え
「っ! え、篠原さんっ?」
「……お礼」
「篠原さん!」
九重くんが私からのキスに感極まった様子で唇を貪ってくる。
くちゅ。くちゅ。くちゅ。
舌も、腰も絡め合う。
──見てて。
女になる、私を見てて。
お兄ちゃん。