イザベル・アルザス公爵令嬢の誤算 〜婚約破棄を狙ったら婚約者の性癖が開花した〜
 朝方まで小説を読んでしまい、欠伸を堪えながら渡り廊下を歩いていたイザベルは、背後から声をかけられた気がして足を止めた。

 聞き覚えのある、されど声の主が自分を呼び止めるなど有り得ない。
 眠気で幻聴が聞こえたのかと、振り返らずに首を傾げる。

「イザベル、話がある」

 今度は真後ろから声が聞こえ、幻聴ではないと判断したイザベルはゆっくりと振り返った。

「……殿下」

 驚きの感情をアデルバードと顔を合わせる前に排除し、イザベルは外向けの微笑を張り付けた。

「学園祭当日と、後夜祭はどうするつもりだ?」
「後夜祭ですか?」

 後夜祭は生徒会主催の夜会であり、基本的に恋人との参加か婚約者同士での参加、特定の相手がいない場合は親族の若い男女と一緒に参加することとなっている。
 昨年度は、イザベルはアデルバードと一緒に参加していた。

「今年は、」
「待ってくださーい!」

 イザベルが続く言葉を発しようとした時、物陰から一人の女子生徒が全速力で走って来た。

「殿下は私と一緒に参加するんです!」

 目を丸くするイザベルを上目遣いで見た女子生徒は、驚いて口を開けたアデルバードの腕に勢いよくしがみ付く。

「貴女と殿下が?」
「アデルバード様! そうですよね? 昨日約束してくださいましたよね!」
「あ、ああ、そうだったな」

 女子生徒、ミネットの勢いに圧されたアデルバードは若干引き気味で答える。
 冷静沈着、優秀な王太子と評されているアデルバードが、マナーを知らずのミネット一人制することも出来ないでいる事実を知り、イザベルの気持ちが一気に氷点下まで冷めていく。

「さようでございますか。わたくしは会場と飲食物の確認のため、皆様より先に会場入りしなければならなかったので丁度良かったですわ。ですが、婚約者をエスコートする役目は果たさなくても、生徒会長の役目は果たしてください。最終確認と生徒会長挨拶はやってくださいますよね。それくらいやれなければ、」
「ええー? 確認なんてイザベルさんが代わりにやればいいじゃない」

 甲高いミネットの声が睡眠不足の頭に響き、痛みだすこめかみにイザベルは指をあてた。
 平民出といえども、公爵令嬢の話を遮るとは明らかなマナー違反。学園でなければ許されない行為だ。

「ミネット、止めなさい」

 アデルバードに制止されたミネットは不満そうに唇を尖らせる。
 見ようによっては、男子から見たら天真爛漫に見えるかもしれない彼女の態度。淑女となるように躾けられてきたイザベルからしたら、幼稚な仕草に見える。幼稚でもそれが“可愛い”と男心をくすぐるのか。
 目の当たりにしたイザベルは、頭痛に続いて眩暈までしてきた。

「殿下……後夜祭は国王ご夫妻も出席されます。生徒会長の責務を全うしないのは殿下の評価を下げることになります。学生とはいえ組織運営を出来ないと評される、この意味は分かりますよね? それでも恋人の我儘を優先したければ、わたくしではなく学園長と話し合ってください」
「何それー? 代わりに挨拶もしてあげないだなんて、イザベルさんって意地悪なのね」

 腰に手を当てて眉を吊り上げたミネットを見て、張り付けた笑みを剥がして鼻で嗤ってしまった。

「意地悪? わたくしは事実を述べただけですわ。殿下、明日の生徒会役員打ち合わせには出席してください。最近の殿下のご様子に不信を抱いている役員もいます」

 生徒会長の仕事をおろそかにしている自覚はあるらしく、アデルバードは目蓋を伏せた。

「分かっている。ミネット、残念だが明日は買い物に付き合えない」
「そんなぁ」

 不満の声を上げて、アデルバードのジャケットの裾を引っ張るミネットは、優先すべきことが何か分かっていない。

 これが、平民出だからという無知ではなくアデルバードの気を引くための計算だったら……大した女優だ。

「では、わたくしはこれで失礼いたします」

 視線を合わせないようにしてアデルバードへ一礼し、イザベルは足早に渡り廊下を通り抜け教室へ向かった。

(殿下の名前を呼んでいたということは、それだけ親しい間柄だということ? 婚約破棄もあの様子では有り得るかもね。責務を果たさない男は嫌いだわ)

 苦手意識を持つイザベルを呼び止めてまで伝えようとしていた後夜祭について、結局用件を言い終わらなかったアデルバードとは、ミネットが登場してから一度も視線が合わなかった。
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